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[社説][沖縄戦80年]戦時撃沈船舶 国の責任で遺族補償を

沖縄タイムス+プラス / 2024年9月12日 4時0分

 アジア太平洋戦争で、米軍機や潜水艦の攻撃によって多くの艦船が沈没した。 今もなお約30万柱が、収骨されないまま海底に眠る。 

 沖縄・本土を結ぶ定期航路を運航していた湖南丸は1943年12月21日、那覇から鹿児島に向かう途中、米軍の魚雷攻撃を受け口永良部島西方で沈没した。

 683人の乗客のうち約400人が1時間後に護衛艦柏丸に救助された。

 救助された人々が機関室でぬれた衣服を乾かしていた直後、柏丸の機関室に魚雷が命中、装備してあった爆雷に引火し沈没した。  湖南丸救助者や柏丸乗組員ら577人が死亡した。

 戦時撃沈船舶の件数は、翌44年になって急速に増える。

 神戸を出港した台中丸は44年4月、鹿児島港に寄港し、259人を乗せ那覇へ向け出発、奄美大島の古仁屋で一時停泊した。

 明日は那覇に着くという安堵(あんど)感から、夕食が済むと船内で演芸大会が開かれた。飛び入りの乗客が次々に「上い口説」や「加那よー」などの琉舞や空手を披露。それまでの陰鬱(いんうつ)な空気がいっぺんに吹き飛んだという。 

 台中丸が奄美大島の沖合で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没したのは、その直後、12日午前2時過ぎのことである。

 暗い海に投げ出され179人が命を落とした。

■    ■

 海没死が極端に多いのにはいくつかの理由がある。 国力を顧みず、兵たん補給を軽視して戦線を拡大したこと。

 制空権や制海権を失い、米軍の潜水艦作戦に対処できなかったこと。

 日本軍の暗号通信が米軍に傍受され解読されていたことなどである。

 米軍は軍艦だけでなく、民間人が乗船している商船や輸送船に対しても、警告なしに容赦なく攻撃した。

 潜水艦による国際法違反の無差別攻撃が日本の海没死を増やしたともいえる。

 沖縄県史(各論編6沖縄戦)によると、県出身の民間人に関わる戦時撃沈船舶は26隻、死没者数は県出身者3427人を含む4579人に上る。

 古仁屋に上陸した台中丸の生存者は、憲兵から「遭難したことを口外するな」と厳しく言い渡され、外部との連絡も禁じられた。

■    ■

 対馬丸の遺族に対しては、早い段階で見舞金が支給され、特別支出金も支給された。だが戦時撃沈船舶関係の遺族補償は一部を除き進んでいない。

 戦争に協力したかどうかは「国と雇用関係やそれに準じる関係があったかどうか」だけで決められるものではない。

 軍や政府は戦争中、住民に戦争への協力を求め、実際、さまざまな形でそれを実行させた。

 政府には戦争への協力を強制した責任があり、おびただしい海没死を出した責任がある。

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