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「ちゅらさん」が親しまれる理由は 素を貫く恵里に共感 故郷の喪失と回復、全国共通

沖縄タイムス+プラス / 2024年9月21日 7時0分

「ちゅらさん」の全収録を終えた平良とみ(右から2人目)をねぎらう国仲涼子(右端)=2001年8月24日、竹富町小浜島

【「ちゅらさん」再考(上) 古波藏契】

 4月に始まったNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の再放送が佳境を迎えている。2001年に初回放送されて「沖縄ブーム」を巻き起こした本作を、沖縄戦後史研究者の古波藏契が、沖縄以外の戦後日本社会の共通経験でもある「故郷の喪失と回復」「匿名的な労働力」をキーワードに考察する。

 「ちゅらさん」は縦横二つの軸から構成されている。縦軸は、言うまでもなく主人公・古波蔵恵里が勉強して仕事を見つけ、結婚して子どもを授かるまでの時間軸。横軸は、恵里が故郷・小浜島を離れ、那覇、東京での生活を経た後、小浜島に回帰するまでの移動軸だ。ドラマは、恵里の成長物語と、出郷と帰郷の物語が交差しながら展開する。

 試しにドラマの内容を乱暴に要約してみよう。まず古波蔵家は小浜島でキビ作と民宿を営む兼業農家として登場する。が、子どもたちを大学まで出してあげたいと案じた母・勝子の計らいにより那覇へ移り、賃金労働者に転身する。長女である 恵里は、高校卒業後に上京し、しばしの迷走を経た後に教育を受けて看護師という専門職に就く。配属先の病院で幼少の頃に将来を誓った幼なじみ(文也)と運命的に再会して結婚。いかにも幸せそうな家庭を築く。

 古波蔵家と恵里の履歴は、ある程度までは、戦後日本社会を生きた多くの人々の共通経験を体現している。周知のように戦後日本の高度経済成長は、農村から送り出される安価で勤勉な労働力(金の卵)に支えられていた。それはすなわち、国を挙げた経済成長の陰で、膨大な“故郷喪失者”が生み出されたことを意味している。

 ドラマ的脚色で常に明るく前向きに演出されてはいるものの、恵里もまた、この見えない磁場によって東京へと吸い寄せられた故郷喪失者の一人に他ならない。だから上京の理由については、恵里自身も明確には言葉にできない。反対する家族に対しても「自分でも言ってること滅茶苦茶(めちゃくちゃ)だって思う」と断りつつ、辛うじて「馬鹿(ばか)みたいって思うだろうけど、感じたんだよ。ここには私のいるべき場所があるって。東京で誰かが私を必要としているんだって」と絞り出すだけだ。

 そのように恵里はあまたの故郷喪失者と同じ道を歩む。他の登場人物からも「宇宙人」呼ばわりされる恵里に全国の視聴者が共感できたのも、そのためだろう。だが、ドラマでは喪失感とは無縁のキャラクターとして描き出されている。

 確かに現実社会でも、都会に出て行った地方出身者たちが必ずしも全て、寄る辺ない根なし草のごとき存在になったわけではない。高度成長真っただ中の1965年、社会学者の見田宗介は、故郷を捨てて都会へ出た地方出身者たちが、家庭というささやかな家郷を築くことで故郷喪失感を疑似的に埋め合わせている、と分析した。

 故郷(Home)の喪失とは、単に地元を離れるだけではなく、匿名的な労働力となり、社会の歯車として生きることだ。その代償として、他の誰でもなく素の自分でいられる場所=家庭(Home)を手に入れる。それが見田の言う故郷喪失者たちの生き方だった。

 しかし恵里が特殊なのは、上京しても何一つ失わないことだ。職場でも下宿先でも一貫して素の自分を保ち、しかも自分のことを気にかける人々に囲まれている。もちろん、それは現実の社会ではありそうもない。が、だからこそ恵里の物語は、多くの視聴者を魅了したのかもしれない。(沖縄戦後史研究者)

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