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[社説]消失する戦争遺跡 保存に向けた指針必要

沖縄タイムス+プラス / 2024年9月25日 4時0分

 戦後80年を前に、多くの戦争遺跡が開発や劣化などで原形をとどめないなど、危機的な状況にある。

 1996年に始まった文化庁の調査で、太平洋戦争関連の戦跡として全国の市区町村から報告があった642遺跡のうち、約3割が消失、または大部分消失していることが分かった。

 このうち沖縄県では全国最多の23市町村の206遺跡に上り、消失15、大部分消失37、現存116、把握していない38となった。消失と大部分消失の合計は52で全体の25%だった。

 45年以前に生まれた戦争体験世代が県内人口の1割を切ったといわれる中、戦跡は戦争の記憶や実相を伝える役割を持つ。

 地上戦のあった沖縄では砲弾を受けた建物や、軍民混在で逃げ込んだガマなどが広範囲に点在し、全国に比べ戦跡の数が多い。

 早くから「戦争遺跡」という言葉を使い、地元の情報や日米の資料を基に山野や海岸に隠れた日本軍の陣地を見つけ出すなどの調査が積み重ねられてきた。

 2015年3月時点の県立埋蔵文化財センターによる調査で1077カ所、20年5月の本紙の市町村アンケートで1554カ所が確認されている。

 大半は文化庁の調査から漏れていることになる。

 戦跡の分布状況を見ればその地域で何があったかを知る手掛かりにもなる。

 しかし、戦跡は都市や経済の発展に伴う開発、経年劣化などで消失している。

 全容を把握し、何をどう守り、生かすか、議論を深めることが不可欠だ。

■    ■

 南風原町は1990年、陸軍病院南風原壕群を戦跡として全国で初めて町文化財に指定した。ひめゆり学徒が活動した病院壕だ。

 壁や天井につるはしで掘った跡や、米軍の火炎放射器による黒いすすが残る。

 町は2007年に壕を公開した。それに合わせて発足した平和ガイドの会が壕や周辺の案内など、10万人以上に戦争を伝えている。

 劣化する壕をデジタル技術で記録する事業も始まっている。糸満市は落石が確認された「轟(とどろき)の壕」の内部を3Dデータで保存し、公開する予定だ。この壕は沖縄戦で住民が逃げ込んだ自然洞穴で、市は平和学習などで活用する。

 首里城地下にある第32軍司令部壕の保存、公開を求める声は根強くある。

 戦争の過ちを二度と繰り返さないために「物言わぬ語り部」と呼ばれる戦跡の重要性は高まっている。

■    ■

 一方、民有地や軍用地にあることから、自治体が把握できないケースもある。

 戦跡の多い糸満、南城、八重瀬の3市町は戦跡の範囲や保存、調査方法などの指針を定めるよう県に要請している。周辺の開発行為などで調整が難航するケースがあるという。

 それぞれの戦跡の法的な位置付けなどを明確にする必要がある。

 県や市町村が文化財指定を判断するにも、歴史的な価値や意義に関する統一見解が大切である。

 県は指針作りを急がなければならない。

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