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[社説]不発弾と戦後処理 至る所に色濃く戦争が

沖縄タイムス+プラス / 2024年9月30日 4時0分

 戦争が終わって79年にもなるというのに、沖縄では今も至る所で不発弾が見つかる。

 「鉄の暴風」と形容される沖縄戦の爪痕の深さは、目に見える風景だけでは分からない。

 那覇市首里山川町の下水道工事現場で見つかった米国製250キロ爆弾の不発弾処理が行われた。

 おもろまちのシュガーローフから首里城にかけての一帯は激戦地で、陸海空からすさまじい量の砲弾が浴びせられた。

 現場の道幅が狭いことから、不発弾は近くに深さ6メートルほどの処理壕を造った上で信管が取り外された。

 周辺道路は交通規制され、周辺に住む470世帯約1400人と、近くにあるホテルなど約80事業所が避難の対象になった。

 物々しい対応は、万が一のことを考えた安全対策だ。

 沖縄戦で使用された弾薬量は約20万トン。このうち5%(約1万トン)が不発弾とされる。

 1972年から始まった陸上自衛隊の不発弾処理件数は8月に4万件に達した。現在のペースで処理したとしても、さらに70~100年かかるという。

 不発弾処理だけなく、遺骨収集もボランティアらによって続けられている。

 県の推計によると、沖縄戦戦没者の未収骨数は3月末現在、約2600柱。戦時撃沈船舶に乗船していた海没者の収骨作業はほとんど進んでいない。

 戦争は終わった後もさまざまな形で長く尾を引く。これからも、ずっと。

■    ■

 沖縄の戦後史はある面で「戦後処理の歴史」でもあった。不発弾処理や遺骨収集など地上戦由来の戦後処理だけでなく、米軍統治がもたらした被害補償などの戦後処理も数多く抱えていた。

 米軍の土地接収や米軍人・軍属の不法行為によって県民が被った損害に対する講和発効後の請求権は、沖縄返還協定によって放棄された。

 その補償を日本政府に迫り、市町村挙げての運動の末に決着したのが対米放棄請求権問題である。ただ補償額は請求額を大幅に下回った。

 戦争で公図・公簿が失われた上に、軍による地形変更で位置境界がはっきりしなくなった土地の位置境界明確化作業も進められた。

 戦後処理という視点から歴史をひもとくと、沖縄における戦争の爪痕の深さをあらためて痛感する。

■    ■

 だが沖縄の戦後処理は完了には程遠く、まだ道半ばである。

 沖縄戦が終わって戦闘はなくなったが、平和な日常が訪れたとは言い難い。米軍統治の下で冷戦の最前線に置かれたからだ。

 来年は戦後80年の節目となるが、戦後処理も片付かないうちに、状況は悪化する一方だ。沖縄の戦域化を想定した有事計画が立てられ、離島住民の避難計画が進められているのである。

 日本の安全保障政策が沖縄の負担と犠牲の上に成り立っているという構造は、何一つ変わっていない。

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