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[社説]32軍壕の県史跡指定 記憶継ぎ公開の弾みに

沖縄タイムス+プラス / 2024年11月30日 4時0分

 「場」の持つ力は大きい。沖縄戦の実相を伝える「歴史の証人」として、公開・活用へ弾みがつくことを期待する。

 日本軍が沖縄戦を指揮するため首里城地下に構築した「第32軍司令部壕(首里司令部壕跡)」が、県史跡に指定された。

 県が沖縄戦の戦争遺跡を文化財に指定するのは初めてである。

 玉城デニー知事は記者会見で「平和教育の一つの拠点として活用していきたい」と述べた。

 32軍壕は、首里城の地下約30メートルに掘られた全長約1キロの壕である。総勢千人余の将兵と県出身の軍属・学徒隊らが雑居した。

 沖縄戦では、司令部が置かれたことで首里城一帯が米軍の攻撃目標になった。大勢の沖縄の住民を巻き込んだ組織的持久戦が方向付けられ、南部撤退の決断により、住民の犠牲は急激に増えた。沖縄戦を考える上で最も重要な場所の一つといえる。

 県の指定史跡になると、県文化財保護法に基づき開発行為などが規制される。

 32軍壕の文化財指定を望む声は各方面から高かった。戦争体験者や沖縄戦研究者は「大きな前進」と喜び「永遠の語り部にしてほしい」と期待する。

 南西諸島の軍事要塞(ようさい)化が進み「新しい戦前」との危機が叫ばれる昨今である。「ありったけの地獄を集めた」と表現される沖縄戦の一端を伝える場として、32軍壕の重要性はより高まっており、史跡指定の意義は大きい。

■    ■

 戦争遺跡を文化財に指定したのは全国で南風原町が初めてである。1990年に沖縄陸軍病院南風原壕群を町の文化財に指定した。その後、95年に国の文化財指定基準が改正され、戦跡の指定が可能となり、広島の原爆ドームが国史跡に指定された。

 文化財に指定された沖縄戦関連の戦争遺跡はこれで、県、市町村を合わせて29カ所となった。

 32軍壕は首里城北側に3カ所、南側に2カ所の坑口がある。県はボーリング調査などに基づき、内部の状況が確認できる第2・第3坑道(約110メートル)、第5坑口・第5坑道(約130メートル)を先行指定した。

 32軍壕が首里城の地下にあることも重要である。華やかな琉球王国の歴史の舞台となった首里城と「負の遺産」とされる32軍壕。再建が進む首里城と一体的に整備し、公開するべきだ。県民や観光客が沖縄の文化と平和を学べる場にしてほしい。

■    ■

 来年は戦後80年の節目の年である。体験者から直接話を聞くことが難しくなる中、歴史の証人として戦争遺跡が果たす役割は増している。

 県は本年度策定する保存・公開に向けた基本計画に32軍壕の具体的な公開範囲や方法を盛り込む予定だ。

 壕の内部は一部が崩壊したり、水没したり劣化が進む。未調査の箇所もあり、いまだ全容は分かっていない。課題は多いが、公開・活用へ向け、調査や作業を加速させてほしい。

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