[社説][沖縄戦80年]第32軍司令部壕構築 持久戦で首里を要塞化
沖縄タイムス+プラス / 2024年12月10日 4時0分
沖縄戦ではなぜ多くの住民が犠牲となったのか-。それを考える上で最も重要な場所の一つが「第32軍司令部壕」だ。
80年前の1944年12月9日、首里城の地下30メートルで軍最大となる掘削工事が始まった。
陸軍の技師が指揮を執り、工事には兵士のほか大勢の住民や学徒が動員された。翌年3月に完成したのは総延長が1キロに及び、複雑で堅固な構造を持つ巨大な洞窟陣地である。
首里城が要衝とされた背景には32軍の作戦変更がある。
32軍は当初、南風原村津嘉山(現南風原町)に司令部壕を築造していた。
ところが完成間近に起きた「10.10空襲」で米軍の破壊力を目の当たりにした軍首脳は、津嘉山壕では耐えられないと判断。先に第9師団が首里城の東の城壁に構築した壕に移った。
9師団は7月のサイパン島陥落を受け、大本営が新たに沖縄を本土防衛の最前線とすべく24師団などとともに追加配備した部隊だ。
しかし、11月に入ると大本営は9師団の台湾転出を命じ、32軍は根本的な作戦変更を迫られる。
32軍の当初任務は空中戦に備えた飛行場や港湾の建設だった。
それがサイパン陥落により、敵を海岸部でたたく「水際作戦」に。その数カ月後には、敵を沖縄に上陸させ一日でも長く戦闘を続ける「持久戦」へと方針転換したのである。
■ ■
展望の良い首里は持久戦を指揮する格好の場所で、これにより一帯は要塞(ようさい)化する。司令部壕が完成するころには、同壕を取り囲む形で他の部隊の壕も構築された。
45年3月29日、32軍は司令部壕に入った。千人余の将兵と軍属採用した沖縄の女性ら65人、「慰安婦」と呼ばれる女性もいた。(吉浜忍著「沖縄の戦争遺跡」)
首里には軍機上の厳戒態勢が敷かれ、自由に街中に出入りすることもできなくなった。
一方、米軍は早い段階で司令部壕の位置をつかんでいたとされる。本島上陸から2週間後には首里への集中的な空爆が始まった。
赤瓦と白い漆喰(しっくい)の屋根が映えた街並みは焼け焦げた黒色に。道路は住民の遺体で踏みどころがないほどだった。要衝とされた古都は歴史・文化・自然を失う結果となったのである。
■ ■
あれから80年。先月、司令部壕が県史跡に指定された。長く埋もれていた壕の実態解明がようやく本格化する。
米軍が戦艦から打ち込んだ砲弾は首里地区だけでも数十万発に上る。圧倒的な物量を前に勝ち目は全くなかった。
そうした中、32軍は壕を捨てて本島南部へ移動し、さらに多くの住民を戦闘に巻き込むことになった。
「戦略持久作戦」にこだわり、住民保護を顧みなかった軍部の過ちを忘れてはならない。
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