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首里城地下の第32軍司令部壕を公開へ 2026年度に第1坑口、30年度に第5坑道 沖縄県計画素案

沖縄タイムス+プラス / 2024年12月19日 15時11分

第32軍司令部壕の保存・公開の意義を語る玉城デニー知事=19日、沖縄県那覇市・沖縄県自治研修所

 沖縄戦を指揮した日本軍第32軍が首里城地下に造った「第32軍司令部壕」を巡り、県は19日、保存・公開の基本計画の素案を示した。第1坑口の公開と第5坑口の周辺通路の供用を2026年度に行う方針。通路の供用に合わせて第5坑口は整備過程を含め暫定公開しながら、最終的に30年度の公開を予定する。第5坑道も30年度の公開を目指す。那覇市内で開いた保存・公開基本計画検討委員会で明らかにした。

 第1坑口は劣化防止のため埋め戻して保存する方針。遊歩道を設置し、地中に埋まっている坑口と坑道をイメージできるよう、デジタルジオラマなどの先端技術を活用した公開方法を検討する。

 第5坑口周辺は急傾斜地になっているため、見学者が坑口まで安全に移動できるように手すりや階段を整備する。

 第5坑口については岩盤の崩落や壕の風化・劣化を防ぐため坑口全体を覆う建物を整備する。地下約1.5メートル〜2メートルの深さに出土した壕構築時に使用されていたと考えられるトロッコレールの軌道は、ガラス張りで見せる。

 第5坑道の一部は、安全性を十分確保した上で、坑道内部に見学者が立ち入りできるように整備をする。

 2029年度に開設予定の展示施設は、沖縄県立芸術大学芸術文化研究所の駐車場の一部に建設する。

 玉城デニー知事は「壕の保存、公開の取り組みを通して沖縄の風土と歴史の中で培われてきた平和を希求する心を広く国内外に発信し、沖縄戦の実相と教訓の次世代への継承を進めるべく施策に取り組んでいく」とあいさつした。

 第32軍司令部壕は、日本軍が首里城地下約30メートルに掘った全長約1キロの壕。五つの坑道で結ばれ、作戦室や無線室などの施設、トイレや浴室も造られた。日本軍は1945年5月末、南部・摩文仁への撤退を開始し、主要部分を破壊した。

 県は「平和教育の一つの拠点」「物言わぬ語り部」として32軍壕の保存・公開に向けた取り組みを進めている。11月29日には壕の一部が県の史跡に指定された。

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