[社説]阪神大震災30年 教訓つなぐ重要性増す
沖縄タイムス+プラス / 2025年1月17日 4時0分
燃え上がる炎や煙、高速道路は横倒しになった。火災は同時多発的に発生して燃え広がり、線路や駅も被害を受け、交通は長期間まひした。現実のものとは思えない光景だった。
6434人の犠牲者を出した阪神大震災からきょうで30年となる。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震は観測史上初めて震度7を神戸市などで記録。大都市を直撃した直下型地震は、甚大な被害をもたらし、住宅被害は約64万棟に上った。
30年の節目となるきょうは、兵庫県内各地で追悼行事が行われ、県などが主催する追悼式典のほか神戸市の公園では発生時刻に、市民が灯籠を囲んで黙とうをささげる。
30年という年月がたち、震災の記憶や教訓の風化が懸念されている。発生から30年前後で一つの世代が変わり、経験の継承が難しくなるとされる「30年の壁」をどう乗り越えるのか試行錯誤が続く。
神戸市の「市民による追悼行事を考える会」は、兵庫県内で予定される追悼行事の数を調査。震災発生20年の集計では110件あったが、今回は58件に半減した。新型コロナウイルス禍を経て、減少に拍車がかかったようだ。
震災経験者や遺族が減少する中、記憶と経験を次世代に伝え、災害時に生かせるような取り組みが求められている。
■ ■
未曽有の大震災は、防災と向き合う原点となり、その後、さまざまな仕組みがつくられた。
官邸に危機管理センターを設置し、気象庁は地震計を増設。耐震改修促進法で耐震化が進み、被災者生活再建支援法も成立した。
全国の消防や警察が広域で緊急援助隊を組み活動できるよう体制が整備された。医療関係者による災害派遣医療チーム(DMAT)が発足、24時間体制の災害拠点病院も整備された。
「ボランティア元年」と言われ、災害が起きるとボランティアが駆け付ける光景は、当たり前になった。
「心のケア」の重要性が意識されるようになったのも阪神大震災からだ。避難生活を通じて持病やストレスなどで亡くなる「災害関連死」という概念も生まれた。孤独死が問題化し、その後の仮設住宅では、コミュニティーを重視した対応が取られるようになった。
■ ■
政府の地震調査委員会によると、南西諸島周辺でM8級の巨大地震が起きる可能性があり、与那国島周辺では30年以内にM7級が起きる確率が90%を超える。
能登半島地震は高齢化と人口減少が進む半島での道路寸断による孤立と救援の難しさを浮き彫りにした。
海に囲まれた離島を多く抱える沖縄でも孤立を強いられる恐れがある。高齢者や障がい者など災害弱者へのきめ細かい支援も求められる。備えは万全か。検証が必要だ。
離島県だからこそ、事前の備えで減災を最大限に図る必要がある。
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