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『虎に翼』が描く不器用な「弱さ」と生きる蘇生術 “前半戦”振り返り

ORICON NEWS / 2024年6月6日 9時0分

伊藤沙莉 (C)ORICON NewS inc.

 俳優・伊藤沙莉が主演を務める、連続テレビ小説『虎に翼』(月~土 前8:00 NHK総合 ※土曜日は1週間の振り返り/月~金 前 7:30 NHK BS、BSプレミアム4K)。女性初の弁護士となるヒロイン・寅子(とその女学生仲間たち)の苦闘を描いた前半部。先週で物語は、太平洋戦争を抜けて終戦へ。節目を越え、新たな幕開けを迎えた。物語の折り返しを迎えたこのタイミングで、ポップカルチャー研究者の柿谷浩一氏(早稲田大学招聘研究員)に特に印象的だったシーンを振り返り、解説してもらった。

【写真】寅子と優三の”新婚初夜” 並べた布団の上で…

■“愚かな父親”を通じて描かれた「生きる知恵」

 寅子は、発布された新憲法を前に、一度辞めた法律家の道で再起すべく奮起する。この物語の折り返しで、印象的だった一つが第44話(5月30日放送)。死の数日前、寅子の夫・優三(仲野太賀)の戦死の報せを隠していたのを、父・直言(岡部たかし)が土下座して詫びるシーンだ。その行動が、娘を心配した優しさのかたまりか。あるいは、夫の帰りを待ち続ける娘を深く傷つける不誠実な非道か。その「弱いダメな愚かな」父の受け止め方は、視聴者の反応も分かれた。



 だが、懺悔に続いて、なだれのように「過去の汚点」を次々吐露していく姿は、責められなかった。

 その自虐ぶりがコミカルで、本音と真実を語っているのに疑いなかったことも、もちろんある。だが心に響いた肝は、そのなかに隠し事というより、致し方ない「生きる知恵」のような処世術が、幾つか含まれていたことではないか。

 妻が怖くて残業といって飲みに行った、息子と内緒で寿司を食べに行った、あるいは息子の戦死後に闇市でひそかに酒を買った…。これらの“こっそり”は、生きていれば、誰でも一度や二度は経験するもの。それだけに強い親近感と愛着がわき、不甲斐なくても直言を憎めない。そこから沁み出ていたのは、非難すべき“愚行”や“逃げ”ではなく、人間的な「弱さ」と言っていい。

 どんな時代・環境にあっても、大小の差はあれ、人はみなどこかで弱い。強くて完璧な人間などいない。そうした人間の普遍にふれて共感を与える、人情味と温かみあるヒューマンな人物描写が、この物語(寅子の人生の周り)には溢れている。それが毎回のように観る側をクスっとさせ、苦難と格闘するヒロインの人生劇の軽妙なアクセントにもなって見事だった。

 例えば、夫・優三の気弱さ――緊張するとお腹が痛くなり、勢いよくお辞儀するあまり頭をぶつける。そうした人間が本来持ちえて当然の、不器用な「弱さ」を、猪爪家の男性陣は折々露呈するのが特色だった。彼も父も、また断言口調なのに常に頼りげなさを伴う「俺には分かる」が口癖の長男・直道(上川周作)も。

 ヒロインを取りまく家族の男たちは、みな芯がありながら、時にどこかで「不甲斐ない」一面をしっかり覗かせる。それが何とも愛嬌があった。そして、それらが「女性が輝く物語」の絶妙なベースとなって新鮮な見応えを作った。

 直言の懺悔でも「女性が強い」家であることが強調されていたが、ポイントは逆だ。「弱き男たち」の姿、「弱さ」を抱えた人間ゆえの優しさ。そのソフトな家庭環境とムードから、社会と制度へ毅然と立ち向かう、それでいて柔軟な思考を持った法律家の寅子が生まれ育っていく。その構図背景が惹きつけた。

 というのも、戦前・戦中は、まだ「女性より男性が勝る」父権的な価値観が主流だった時代。そんななか、母を前に「尻に敷かれたような父」、「へっぽこさも抱えた夫たち」が下支えするようにして、〈女性が軸の家庭〉像が成り立っている。そのさまは、堅苦しく窮屈な「近代的な家」におけるジェンダーバランスを軽やかに崩して、社会を皮肉る感じを持って、現代らしさを先取りしていて見やすく、無理のない好感と共鳴をもたらした。

 この朝ドラは、単に「女の物語」ではない。「男のみせる弱さ」が、随所で寅子の「強くてたくましい」女性像を支え、作る基盤になっている。その辺りが作品独特の味わい深さなのだ。

■母・妻・娘にも共有された“こっそり”

 父・直言が懺悔した“こっそり”を行うのは、彼だけではない。母・妻・娘にも共有されて描かれていたのも見逃せない。

 戦後篇の起点を作る第46話(6月3日放送)。母は父の遺品を売ったお金を「自分のためだけに使いなさい」と渡して、寅子が夫の戦死に向き合うのを後押しする。

 そこで語られるのが、母も長男の嫁も、心が限界を迎えたとき、密かに贅沢をしたというエピソード。この告白とやりとりが胸を突くのは、単に娘を思う母の愛情だけでなく、もっと深い真理にふれるためだ。

 家を切り盛りして強く映る家の女性陣も、当たり前だが「弱さ」を抱えている。それを事情や具合は違うものの、直言同様に“こっそり”と自分自身の時間や褒美を確保することで、何とか越えていく。根底に頼れる家族と親子の愛が強くありつつ、他方で、誰かが慰め・励ますのでは足りないことがあることも物語は描く。

 人間の「弱さ」は、他者によって完全にカバーできうるものではない。あくまで自分自身と徹底して対峙・会話し、乗り越えゆくしかないもの。そうした自立と勇気の重要性を、重くひたひたと教えてくれる。そしてそれが、寅子の「女性としての独立独歩」の力へつながっていく。

 物語(寅子の生涯)は、言うならば、男性や社会に負けない「女の奮闘記」。でもただ「女性が強く」というのではない。性別や家族や親子等の立場関係なしに、みなどこかで脆く不完全で、それを克服し得るのは自己しかない。そうした「人間の弱さと生」をめぐる本質。それが家庭日常レベルで大切に描かれている点も、強い作品評価の一端になっていそうだ。

■“戦争描写”の距離感

 戦争の描写も、いまの時代にフィットしていた。召集令状と出征の別れ、疎開や食料難などの変わりゆく庶民の暮らし…。襲いかかる戦争の波をしかと描きつつ、例えば戦地のカットや空爆、空襲下の不安ぶりなどは極力抑え、「戦時の物語」という印象をひどく押しつけず、むしろ長い戦争は嵐のごとく通り過ぎていった劇のスピード感があった。

 最低限必要な史実を細部へ入れ込むかたわら、戦争をスケール過剰に見せない「庶民感覚・目線で捉えた戦争という時間」というテイスト。戦争は不条理で悲惨だ。でも物語が集中して見つめたのは「残酷」より「悲哀」の方だったように見える。それも日常生活レベルでの、身近な人間を相手にした「心の痛み」の方。戦争の忍び来るなかの女学校仲間たちの離散、大切な身近な人間の不在。ナレーションや映り込む新聞記事の見出し、ラジオ放送から歴史的区切りが説明されるが、寅子の仕事と生活からすれば、そう明確に割りきれたものではなく、むしろ地続き。気づけば次第に飲み込まれ日常化していく「うねり」のようなものだ。

 そんな庶民のリアルな戦争の肌触り、経験した混沌とした流れと雰囲気が、地に足がついた形で描かれていた。戦争描写に欠かせない、終戦の玉音放送の省略が象徴的だったように、物語は「これが戦争、これが悲劇」という、決めつけがちな、ありふれた“戦争イメージの型”に流されず、寅子というひとりの個人とその感覚にひたすら寄り添って、戦争期を描いてみせた。

 社会制度と価値観に常に問う聡明な寅子には、戦争への疑念も大きかっただろう。でも物語は、戦争を直接憎んで、抗うような「反戦」的な心情や身振りの色は、ほとんど残さなかった。寅子の「はて?」は、いきなり戦争という大きな権力とシステムに結びつき向かうのではなく、もっと手前の眼前にある日々の暮らしに端を発する。そんな彼女の正義感と倫理感のありようも、戦争描写からはよく滲んでいた感じもあった。結果的に、物語がことさら戦争の「負」を誇張し与えてくる厭らしさを作らず、良い意味で戦争を「背景」に、ヒロインがそれをくぐり抜けるのを粛々と描いて、再出発の物語へつないだ。だからこそ、折り返しの終戦後の再出発も、何とも心地よく嫌味がない。

 評伝ドラマの質を決めるのは、生活時間(経験)と歴史時間(史実)のバランス。その点、取り扱うのが難しい戦争に対し、ほどよく距離感を持って、社会時勢でなく「個」に拠る見せ方をした巧さは、簡単なようで至難の業。現代感覚に照らしても無理がなく、また「戦争劇」ではなく「人生ストーリー」をあくまで見たい視聴者の思いにも応えた秀作な前半だった。

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