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宮崎吾朗監督『君たちはどういきるか』展、手描きの表現の豊かさ感じて ジブリはこれからも「自分たちがいいと思うことをやっていく」

ORICON NEWS / 2024年6月22日 8時30分

宮崎吾朗監督 (C)ORICON NewS inc.

 5月にフランスで開催された「第77回カンヌ国際映画祭」で、映画界への多大な貢献をたたえる「名誉パルムドール」を受賞した「スタジオジブリ」。授賞式に参加したのは、スタジオジブリをさまざまな立ち位置で見つめてきた宮崎吾朗監督。「この賞をいただいたのは、『これから先40年もスタジオジブリは頑張れよ』というメッセージかと思う。頑張れるといい」と述べた吾朗監督にこれからのことなどを聞いた。

【画像】三鷹の森ジブリ美術館に展示されている名誉パルムドールのトロフィー

――授賞式の模様はインターネットのライブ配信で拝見しました。会場は満席でしたね。式典はいかがでしたか?

【吾朗】タキシードを着るだけでいっぱいいっぱいで、全然余裕なかったです(笑)。拍手が上から降ってくる感じでした。今回、宮崎駿(※崎=たつさき、以下同)が原作や脚本などを手がけた「三鷹の森ジブリ美術館」の短編アニメーションと『紅の豚』、自分が監督した『ゲド戦記』を上映してくれたのですが、それを見てくださっている人をその場で見られたことが一番うれしかったです。



 2020年ぐらいからHBO MaxやNetflixといったストリーミングサービスで作品を配信するようになって、それによって過去作を含めて初めてジブリをちゃんと見たという人が世界中に生まれたんですよね。その影響はすごく大きかったんじゃないかと思います。今回、カンヌに行って、ポーランド、ハンガリー、ノルウェー、ブルガリアのメディアの取材を受けたんですよ。モロッコで初めてジブリ作品(『君たちはどう生きるか』)を配給した会社の方にもお会いしました。すごく状況が変わっていることを実感しました。

――およそ40年にわたり、数多くの名作を生み出したスタジオジブリの功績に対しての「名誉パルムドール」。団体に授与されるのは初めてとのことです。

【吾朗】1985年にスタジオジブリを設立して、間もなく40年。三鷹の森ジブリ美術館も2001年の開館から20年以上経ちますし、それだけの歴史があっての評価だったんだと思います。カンヌから帰ってきて冷静になると、「これから先40年もスタジオジブリは頑張れよ、ということだと思いました」なんて言わなきゃよかった(笑)。あの時はそう言わないといけない気がしたんですよね。

――カンヌ映画祭が認めた“功績”に、アニメーション作品だけでなく、ジブリ美術館やジブリパークも含まれていたことは、スタジオジブリをさまざまな立ち位置で見つめてきた吾朗監督にとって感慨もひとしおだったのではないですか?

【吾朗】やはりスタジオジブリ=アニメーションという認識になると思うのですが、美術館も、パークもやってる僕からすると、すごくうれしかったです。それは美術館やパークのスタッフも同じだと思うんですよね。アニメーションをつくっているわけではないけれど、自分たちもスタジオジブリの一員だと感じてもらえたんじゃないかな。

――ジブリ美術館は、コロナ禍で経営が苦しくなったこともありましたが、ふるさと納税を活用してファンの支援を受け、持ちこたえることができました。継続してきたこと自体の価値も認められたような気がします。

【吾朗】例えばコンピュータの中の仮想空間にジブリ美術館をつくればコストは安くすむかもしれない。でも、それって楽しいか?という話でもあるんですよね。ジブリパークも同じですが、実際に足を運んで、見て、触って、カフェでお茶を飲みながらおしゃべりして、そういう肉体的な体験も含めて楽しむことができる場所があるというのは、今後ますます強みになっていくように思うんです。

 アニメーションをつくることにおいても、その実体性みたいなものはどこかに残しておいた方がいいんじゃないか、という気がします。ただ、本当にそうなのか、40年後どうなっているかわからないです。ですが、そもそもスタジオジブリはみんなと同じことをやりたくて始めたわけじゃないから、今後も自分たちがこれでいいと思うことをやっていけばいいと思っています。

――これからの40年について、今、思うことは?

【吾朗】次をどうしていくか、というのを今、頭を冷やしながら考える時期なんだと思います。ちょうど美術館を建てた時と重なるところがあるんです。『もののけ姫』(1997年)で大成功した後、宮崎駿は50代の終わりでしたが、「長編から引退する」と言い出した。さらに、アニメーターたちに「俺だけ引退するのは嫌だから一緒に引退しろ」と道連れにしようとした(笑)。

 「再就職先として店をつくってやるから、そこで働いたらいい」と言う宮崎駿が、「客商売は愛想が良くないとできないから無理です」と反論され、「美術館ならどうだ」と。自分も含めたセカンドキャリアの場として発想されたのがジブリ美術館だったんです。結局、宮崎駿は引退しなかったわけですが、美術館はつくることになった。ジブリの名前が世に広まったのは、常設のジブリ美術館ができたことも一つのきっかけになったと思っています。その時以来のターニングポイントに、今、来ているんだろうな、という気はします。

■宮崎駿レベルで作家性を発揮できる人なんて、ほかにいない

――来日したハリウッドの映画監督や俳優から、「ジブリ美術館を行ってみたい」「行ってきた」という話もよく聞きます。ジブリ作品を見て興味をひかれ、「もっと知りたい」という欲求の受け皿になってきたのがジブリ美術館だったかと。

【吾朗】それは思いますね。もっと知りたいと思って美術館に行ったら、余計わからなくなった…そんな場所になるといいな、と思っているんです。ジブリ美術館は、宮崎駿が描いたイメージを具現化したもので、建物そのものが彼の頭の中みたいな作りになってるんです。入口を入ると洞穴を下っていくように階段があって、ホールに出るとどうやって上がっていったらいいのか、出口はどこかもわからない。螺旋階段をのぼればいいのかと思ってあがって行っても、行きたいところに行けなかったり、変なところに橋がかかっていたり。外観と内観にギャップがあって、宮崎駿そのものじゃないか、と。普通の美術館ならもっとわかりやすい建物にすると思います。

――確かに…。何度も訪れていますが、迷うことがあります。そんな三鷹の森ジブリ美術館では現在、『君たちはどういきるか』展 第二部 レイアウト編を開催中(11月10日まで予定)。動画映画の制作過程において描かれたレイアウトが約200点展示されています。紙と鉛筆による手描きの表現の豊かさと、カットに込められたつくり手たちの思いを感じられる展示ですね。かなり、貴重なものを見せていただいているのではないかと思ったのですが。

【吾朗】制作過程で描かれた絵のほとんどが、紙に鉛筆と絵の具で描かれているということ自体、近年では稀ですよね。アニメーション制作の現場はデジタル化が進んで、コンピュータを使うことが一般的になっていますので、本当にクラシックなことをやっていると思います。

 レイアウトとは、そのカットの背景やキャラクターの位置関係、動きの指示、カメラワークなどが描き込まれた、アニメーションの設計図。『君たちはどう生きるか』は約1250カットあり、複数のレイアウトが描かれたカットもあるため、総カット数よりレイアウトの枚数の方が多いのですが、その6分の1ほどを展示しています。

 宮崎駿が描いた絵コンテをもとに、原画担当のアニメーターが描き起こしたレイアウトには、宮崎駿と作画監督らの確認・修正が加えられ、描き直した跡が残り、その多くは背景美術のスタッフに引き継がれる。いろんな人の手に渡って、最終的には必要なくなるのがレイアウトの宿命。そんなレイアウトたちを改めて展示してみると、やはり物としてそこに存在している説得力といいますか、紙に描いた絵としての魅力があると思いました。

 今回の件でいうと、宮崎駿がほぼ一人でストーリーを考え、キャラクターを考え、鉛筆で紙に絵を描いて、7年間かけて完成させた。そんなことができる人、なかなかいないですよね。なんでインコなんだ、なんでサギなんだ。よくわからないけど、そんなことを思いつく人はそうそういない。宮崎駿レベルで作家性を発揮できる人なんて、ほかにいないですし、AI(人工知能)だって太刀打ちできないと思うんですよ。展示したレイアウトを見て宮崎駿の何がわかるかといったら、何もわからないと思うのですが、何か大変なものを作ったんだということは、感じていただけるんじゃないかと思います。

――最近、宮崎駿監督はジブリパークのためにパノラマボックスを作ってらっしゃるそうですが、ほかに誰もつくれないような作品をまだまだ期待してしまいます。

【吾朗】パノラマボックスも吾朗に言われたからしょうがなくつくっている、と言いかねないのですが、本当のところ、何を考えているのか、わからないんですよね。昔ほど気軽にしゃべってくれないんですよ。

――吾朗監督は?

【吾朗】人生の最後にこれを作れたらいいな、というのはありますけど、かなりお金がかかりそうなので…。

――鈴木敏夫プロデューサーが何とかしてくれることを願って、楽しみにしています。

※三鷹の森ジブリ美術館は、日時指定の予約制。チケットの予約は、ローチケWEBサイトにて受け付け( ※ジブリ美術館窓口では販売していない)。

■宮崎吾朗 プロフィール

 1967年生まれ。子どもの頃から父・宮崎駿監督が作るテレビや映画のアニメーションを見て育ち、信州大学農学部に進学して公園緑地や都市緑化などにかかわる建設コンサルトになってからは、一人の社会人としてジブリの作品や宮崎駿監督の仕事ぶりを見てきた。1998年よりスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーから、三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを任され、2001年10月~05年6月の間、初代館長を務める。その後、スタジオジブリから『ゲド戦記』(2006年)で映画監督デビュー。『コクリコ坂から』(2011年)、『アーヤと魔女』(2020年)などを監督。2017年からは愛知・ジブリパークの制作現場を指揮する監督を務めた。

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