生まれつき顔面に“赤アザ”の男性、思春期は「本音と建前に絶望」 結婚&子育てを経て “普通”の生活に初めて感謝
ORICON NEWS / 2024年7月15日 8時30分
顔に単純性血管腫という“赤アザ”を持ち、1999年に、自身の苦悩とともに同じ疾患を持つ人の内面に迫った『顔面漂流記(現題:顔面バカ一代)』を刊行した石井政之さん。幼少期はアザがあることの苦しさを説明する“言葉”が見つからず、「とにかくいろんな意味で他人の目にビクビクしていました」と振り返る。「一番苦しかった」という幼少期から学生時代、本を書き上げた当時のこと、結婚・離婚を経て現在に至るまで赤裸々に語ってくれた。
【写真】インタビュー撮影時、優しく微笑む石井政之さん 33歳当時のリアルな似顔絵も
■“生の声”が届くようになった一方で「まだまだ伝えきれてないことは多い」
――昨今は体にハンディキャップを背負った方が自ら積極的にSNSで発信や記事が増え、読者やさまざまな障害や症状を知るきっかけになっています。
【石井】僕、昭和40年生まれで、今月59歳なんですけど、昔のメディアの状況に比べて、いわゆるマイノリティとされる人たちの生の声が記事になることは増えたと思うし、そういった人たちの情報が前よりもすごく手に入りやすくなったかなと思いますね。
ただ、YouTubeでもちょっと喋ったんですけど、やっぱりお行儀のいい話にまとまりがちな記事も多いなあと思います。人間が生きてるといろんなことが起きるので、まだまだ伝えきれてないことは多いんじゃないかとは感じますね。
――石井さんは1999年に『顔面漂流記−アザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)を刊行されました。顔にアザを持つ当事者として発信されたのは当時かなり注目されたのではないでしょうか。
【石井】本を通して、アザのことを読者に知ってもらえて良かったと思います。僕よりも上の世代を見ていくと、名前と顔を出して情報発信する当事者はゼロなんです。同じようにアザがある人はいるのに、新聞記事にも出ていなかったですし。僕はその“声が上げられない現状”が、すごい嫌だなと思って自分で原稿を書いて。出版社に売り込みの電話をかけて、最終的に「おもしろい」と言ってくれた出版社から本を出せました。『顔面漂流記』を33歳の時に書いてから、いろんな取材を受けるようになりました。“自分を伝えられるのは、この一回だ”と、気持ちを込めて対応していたら、その話が記者さんの間で広まったのか、月に一回は何かしらの取材に対応する日々でした。
――反響として広がっていくことについて、ご家族はどのような反応でしたか。
【石井】喜んでくれました。「いい仕事している」と。ただ、「こんなに顔のことで注目されるとは思ってなかった」と親父もおふくろも言っていました。“執筆”という好きな仕事を通して注目されたので、誇りを持ってくれていたのが嬉しかった。
■“普通”が嫌いだった中高時代「普通の人と同じようなことやってると馬鹿にされる」
――『顔面漂流記』(講談社)では、幼少期から大学時代までの“赤アザ”を持つがゆえの葛藤や苦悩が克明に綴られています。
【石井】顔にアザのある人間として生きていると、コミュニティのなかに僕一人しかいないですよ。幼稚園で僕一人、小学校でも一人しかいない。中学校でも、高校でも大学でも……。こんな顔を持つのは会社にいても僕一人なんですよ。ずっと一人っきり。幼少期から“ひとりぼっちだな”っていう人生観でスタートしてますから、孤独が当たり前になっちゃいましたね。僕の場合は、どこかそれに慣れてしまったんだけど、それに慣れずに潰されていく当事者がいるのはわかりますね。
――ご自身を“どこでも一人なんだ”と受け止めていたということでしょうか?
【石井】受け止めるというか、もう仕方ないと達観していたというか。何事も一人で考えるのが癖になりましたね。今でも覚えているけれど、保育園の頃、「毎日歯を磨きましょう」「お母さんに言うことを聞きましょう」など、先生が園児に教える時間がありました。その時に、先生が「人に迷惑をかけないように生きていきましょう」というのに対して、「俺、迷惑かけられたんだけどな…」ってすごい思ったんですよ。アザのことで、いじめられていたから。なのに、僕をいじめて、変な目で見てきた子らが「迷惑かけないように生きていきます!」と言っている。それに対して「ふざけんな!」って猛烈に思ったことをすごい覚えていますね。
世の中の本音と建て前に敏感な子でした。かといって、当時はアザのあることをしんどいとか苦しいとか説明する言葉を持っていなかったので、とにかくいろんな意味で他人の目にビクビクしていました。誰であっても、すぐに僕の顔を見て嫌っていくんだとか、哀れみの目を向けてくるんだとか、そんなことを思いながら生きていたので。どんどん過敏になっていました。
――アザを持っているがゆえに、勉学に励まれたり、柔道など部活動に精を出されたりと、前向きに努力を重ねたエピソードが本には書かれていましたが、より多感な中高生の時代はいかがだったのでしょう。
【石井】中高生時代は「普通」っていう言葉がすごく嫌いでした。普通の人たちと同じようなことをやっていると、僕は馬鹿にされると思っていました。だからより勉強しようとか、努力しようという考え方で、自分の身を守っていました。僕は学校の勉強が向いていたタイプだったので、勉強のことでなめられることはなくなったし、中学校まではひ弱だったけれども、高校に入って柔道と空手をやったことで、選手としてはすごい弱くても、一般人と比べたら強くなるので、いじめてくる同級生もゼロになっていきました。そのときにようやく、努力は報われるんだなとすごく思いましたね。意外と簡単なんだな、と。
――意外と外見が作用しないんじゃと思ったりは?
【石井】それは思えなかったですね。特に思春期は、同世代の異性の中にはゴキブリを見るような目で見る人もいましたからね。女性不信は昔から変わっていません。根っこにずっとあります。どうせ、みんな外見で人を見ているんだろうと。僕も外見で人を見たりするから、それはある一面では仕方ないと思います。幼少期からそれを経験しているぶん、素直には考えられなかったですね。
――それでも、恋愛や結婚をされていますよね。
【石井】どこかで、世界は広いと気づいたんでしょうね。それは仕事をするなかで、広い世界を渡り歩くことで、友達になれる人が出てきたり、想い合う女性に出会えると思うようになりました。だから、別に腐ってもなくて、めげてもないです。数は少ないけども、僕のことをまともに人間として見てくれる人も実際にはいましたので。学校では数は少なかったけども、世の中に出ればいくらでもいるっていうのは途中で気づけたと思います。
■恋愛、結婚、定職に就いて “普通”になった自分に驚き「環境が変われば、気持ちも変わる」
――学校というコミュニティは、石井さんにとって狭かった?
【石井】色々なことに気づけたのは、学校を卒業してからなんですよね。社会に出ると、性別も年齢もみんなバラバラだから、視野の広い人、狭い人、いろんな人と出会います。学校が本当に狭いコミュニティだったというのは、社会人になってからすごくわかりました。学校には、同い年の人間しかいなかったので。
――社会人になってからは、“赤アザ”があることで理不尽な経験をされることは減っていきましたか?
【石井】ないとは言わないですが、減りましたね。大学に入った時は、とにかくジャーナリストになりたいとか、いろんな夢があったので、ノンフィクションの本をたくさん読み始めました。社会問題や差別問題、いろんなマイノリティの問題について書かれている本があったので、形は違うけど、“人生辛い思いをしてでも生きてます”という人はたくさんいたわけで。そういうことがどんどんわかってくると、「なんとかなるかな」と前向きな気持ちになりました。取材記者となっていろいろな取材に行くことで、マイノリティの人々の生き方やたくましさも学ぶ機会に恵まれたので、自分の悩みごとがどんどん小さくなっていきました。
――現在は、執筆のかたわらタクシードライバーをされています。
【石井】今は、本業がタクシードライバーで、執筆は趣味レベルですね。タクシーの仕事は楽しいです。僕の親父が個人タクシードライバーだったこともあって、離婚して、妻と子どもは田舎の実家に帰って、人生を再スタートすると思った時に、関東に戻って縁があってタクシードライバーになりました。53歳の時です。
今年で6年目ですが、全然飽きない。人間ドラマがあるので、人間観察をしてるようなライターや作家、カメラマンはタクシードライバーをやればいいと思います(笑)。
――家庭を持ち、親となることで、アザへの向き合い方の変化はありましたか。
【石井】42歳で結婚して子どもを育てるために地方に移住して…全部ガラッと変わってしまいました。ライターや記者の仕事一本で食べていく、それも“マイノリティ”の人を取材するという縛りを置いていたのですが、家族のために稼がないといけないので、自分のポリシーをいったん脇に置いて、普通の生活をすることに徹しました。
自分でも面白いなと思うのは、子どもの運動会の時、当然運動場には子どもや父兄がたくさんいる。でも、僕が家族と歩いていると、みんな僕を避けて歩くから、歩きやすいんです(笑)。でも僕は、別にそれで僕の顔を見て差別されているとか、全然思わない。子どもたちが避けるほうが普通で、こんなもんだろうと客観的に見ている自分がいて。環境が変われば、気持ちも変わるんだと思いました。
――お子さんはそんな石井さんをどういうふうに思われていたのでしょうか。
【石井】子どもは僕を「普通のパパだ」って言っていましたね。「パパはこれが普通なんだから」と。アザがあろうが障害があろうが、家族にとっては、“普通になる”のではないかと思いますね。
PROFILE/石井政之
「ユニークフェイス生活史」プロジェクトとして、ユニークフェイス当事者たちへの取材活動を行っている。自ら取材したり、原稿を寄稿してもらいながら、現在それらをまとめて1冊の本にすることを構想中。
撮影/徳永徹
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