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『もし徳』浜辺美波・赤楚衛二・GACKT・観月ありさ・竹中直人・野村萬斎が会いたい偉人は?

ORICON NEWS / 2024年7月23日 12時0分

映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(前列左から)赤楚衛二、浜辺美波、野村萬斎(後列左から)GACKT、観月ありさ、竹中直人(撮影:松尾夏樹) (C)ORICON NewS inc.

 同名大ヒット小説を原作に、AIで復活した偉人たちによる最強ヒーロー内閣の活躍を描いた映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(7月26日公開)。もしも小説や映画のように、AI・ホログラムで歴史上の偉人たちを復活させることができるなら、誰に会ってみたい?『もし徳』に出演する浜辺美波、赤楚衛二、GACKT、観月ありさ、竹中直人、そして野村萬斎の会いたい偉人は?

キャスト6人が会いたい偉人について語る動画Ver.

■浜辺美波(テレビ局政治部の新人記者・西村理沙)

「平家物語を書いた人」

【浜辺】『平家物語』の作者はいまだにわかっていないらしくて。男性なのか、女性なのか、どのような身分の方なのか、わかっていないところにロマンを感じますし、話を聞いてみたいなと思います。実は、2年くらい前から『平家物語』の冒頭部分の言葉をスマホの壁紙にしていて、自分への戒めとしてその言葉を忘れないようにしているんです。



 学生時代は、全てのものは常に変化し続けているのだから、状況が変わった時に備えて、今をがんばろう、という向上心を奮い立たせてくれる言葉のように感じていました。最近は、危機感を持って、誠実に、謙虚に、熱心に取り組み続けていくことの大切さをこれ以上なく表現している言葉だな、と思うようになりました。

★『平家物語』の冒頭部分とは【祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ】(平家物語』第一巻「祇園精舎」より)。この世の全ては絶えず変化していくものであり、どんなに勢い盛んな者も必ず衰える。世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、風の前の塵と同じだ、と説いている。

■赤楚衛二(内閣官房長官・坂本龍馬)

「ファラオ」

【赤楚】ピラミッドが好きで、エジプトのギザにあるピラミッドは、ファラオ(王)の墓と言われているじゃないですか、だからピラミッドをつくったファラオに会って、どういうつもりでつくったのか、を聞いてみたいです。

★エジプト古王国時代の首都であったメンフィスには、「ギザの3大ピラミッド」をはじめ、80余りのピラミッドが残されている。「ギザの3大ピラミッド」とは、「クフ王」「カフラー王」「メンカウラー王」のピラミッドで、いずれも紀元前2500年頃に造られたものとされている。最も大きいのがクフ王のピラミッド。半人半獣のスフィンクス像があるのはカフラー王のピラミッド。

■GACKT(経済産業大臣・織田信長役)

「ショパン」

【GACKT】ショパンは一番憧れている音楽家です。子どもの頃にピアノを習い始めて、一番ハマったのがショパンの曲。ロックに出会ったのは10代の終わりで、それまでずっとクラシックをやっていましたから。ボクの音楽の基盤、一番影響を与えてくれたのがショパン。彼の生き方そのものに打たれるものがあります。

★フレデリック・ショパン(1810-1849年)は、「ピアノの詩人」と称されるポーランドの作曲家・ピアニスト。フランス人の父はヴァイオリン、ポーランド人の母は声楽を嗜み、音楽に囲まれた環境で育ち、4歳でピアノに触れ、6歳の頃には作曲にも興味を示し、7歳で公演を始める、まさに「神童」と呼ばれるにふさわしい才能の持ち主だった。一方で身体が弱く、若くして結核を患い、39歳で死去。ショパンが残した数々の作品は、時代を超えて愛され続け、ピアノ音楽への貢献は計り知れない。

【つづき】観月ありさ、竹中直人、野村萬斎が会いたい偉人は?

■観月ありさ(文部科学大臣・紫式部)

「紫式部」

【観月】今回、紫式部を演じるにあたり、「紫式部ってどういう人だったんだろう?」「どんな暮らしをしていたんだろう?」「本当に十二単を着ていたのかしら?」と聞きたいことがたくさん頭をよぎったので、映画のようにAIで復活させることができるのであれば、ご本人にいろいろ聞いて、謎を解明したいと思いました。

★今からおよそ1000年前に、世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を書いた作者として知られる。紫式部は実名ではなく、父や兄が「式部省」(しきぶしょう:教育などを司る行政機関)の役人であったことと、源氏物語のヒロイン「紫の上」(むらさきのうえ)にちなんだ呼び名とされている。一条天皇の中宮(皇后)となった彰子(しょうし)に仕える女官として出仕し、宮中の様子を日記と手紙で記した「紫式部日記」も残した。「三十六歌仙」(平安時代の和歌名人36人の総称)にも名を連ねる、平安時代きっての才女。

■竹中直人(財務大臣・豊臣秀吉)

「ブルース・リー」

【竹中】ブルース・リーをぼくが初めてスクリーンで観たのは、『燃えよドラゴン』(1973年)です。まだぼくが18歳の時。あの眼差し、あの身体のシルエット、そしてあの髪形、あの動き、「アター!」という叫び声!すべてにしびれまくって、大好きな俳優になりました。当時の映画館は入換制ではないので、何度も何度もスクリーンに映るブルース・リーの姿を観に行きました。 AIで復活するなら 「Don't think! Feel.(考えるな!感じるんだ。)」と言ってもらいたい。AIだから本物の声ではないけれど、たまらないな。僕の夢にブルースはよく出てきます。ブルースと一緒に広大な麦畑をふたりで静かに歩いている夢。そして、普通に日本語で会話してるんです。ふと見ると、ブルースが優しい笑顔でぼくに微笑んでくれた。それがあまりにもリアルで、きっとこれは夢じゃないんだ、と思うんです。でも夢なんですよね。

★1940年、米サンフランシスコ生まれ。父の故郷・香港で子役として活躍。18歳で米国に戻り、自らが考案した武術「ジークンドー」の指導者となる。テレビなどのアクション作品にも出演するが、主演企画が実現せず、再び香港へ。70年代に主演作『ドラゴン危機一発』などがヒットし、香港で大スターとなる。ハリウッドの大手映画会社ワーナー・ブラザースとの合作映画『燃えよドラゴン』が実現し、念願だった世界進出に乗り出した矢先の1973年7月20日、32歳で急逝してしまった。日本では死後の73年12月に『燃えよドラゴン』が公開され、カンフーブームを巻き起こした。出演作品は決して多くないが、死後50年が経った今も、スクリーンの勇姿や言動が影響を与え続けている。

■野村萬斎(内閣総理大臣・徳川家康)

「徳川家康」

【萬斎】やはり本人にいろいろ聞いてみたいことがあります。乱世を生き抜き、戦国の世を終わらせ、戦のない太平の世が260年あまり続く、その礎を築いた家康ですが、実際、何を考えていたのか。そして、あちこちで紛争・戦争が起きている今の世界を見てどう思うのか、お話を聞いてみたいです。

★戦国時代の武将として、織田信長や豊臣秀吉と並んで有名な偉人。三河国(愛知県)岡崎の城主・松平広忠の子。幼い頃は今川氏の人質として育てられ、1560年桶狭間の戦いで今川氏が敗れたのを機に岡崎に帰って独立。その後、織田信長と同盟を結び、豊臣秀吉には臣従した。秀吉の死後に起きた関ヶ原の戦いに勝利して天下支配の実験を握り、1603年,征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開き、武家政治を確立させた。

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