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『キングダム 大将軍の帰還』大ヒット 漫画の実写映画化を次々と成功させる佐藤信介監督を大解剖

ORICON NEWS / 2024年8月16日 8時30分

佐藤信介監督(撮影:松尾夏樹) (C)ORICON NewS inc.

 原泰久氏の同名漫画を山崎賢人(※崎=たつさき)主演で実写映画化したシリーズ第4弾『キングダム 大将軍の帰還』(公開中)。当初「邦画の予算では再現不可能」と言われた漫画『キングダム』の実写映画化を見事に実現させた佐藤信介監督。

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 『キングダム』シリーズのほかにも、『GANTZ』シリーズ(2011年に全2作)、『図書館戦争』シリーズ(13年、15年)、『アイアムアヒーロー』(16年)、『デスノート Light up the NEW world』(16年)、『いぬやしき』(18年)、『BLEACH 死神代行篇』(18年)、Netflixシリーズ『今際の国のアリス』(20年、22年)と、人気漫画を日本映画・ドラマの枠を超えたスペクタクルな作品へと昇華させてきた。



 『キングダム』シリーズ4作をともに手がけた松橋真三プロデューサーは「佐藤監督は本当に天才だと思っています。監督と一緒にやっていなかったら、この予算でこの迫力の作品は作れていなかった」とその手腕を称えている。佐藤監督が「天才」と言われる理由、漫画の実写化を成功させる秘けつとは?

■作品へのインスピレーションの源は西部劇!?

――子どもの頃から映画監督になりたいと思っていたのですか?

【佐藤】父親が大の西部劇好きだったんです。父は高校・大学時代をアメリカで過ごしていて、1950年代・60年代の西部劇を浴びるように見ていた。その後、帰国して自分が生まれて、子どもに見せる映画が全部西部劇だった(笑)。とにかく西部劇を見させられて、それで映画が大好きになりました。

 自分で好きな映画を見るようになった80年代は、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やスティーヴン・スピルバーグの『インディ・ジョーンズ』、『E.T』など、ハリウッドのブロックバスター映画が勃興した時代で、ますます映画にどハマりして。でも、なぜか自分で映画を撮るという発想にはならなかったんですよね。

 中学生の頃は、絵描きになるか、物書きになるか、どっちかないしはどっちもやりたいと本気で思っていたんです。高校1年の時、学校から進路選択を促されて、迷ったんです。美術系へ進むか、文系に行くか。それでふと、この2つ合わせると、昔から大好きだった映画になるんじゃないか、って思いついたんですよ。膝を打つような感覚を今でもよく覚えています(笑)。その日から将来のことを聞かれたら、「映画監督になります!」と言うようになって。周りはポカーンとしていましたけど、自分の中の理屈はすごく通っていたんです。

――「映画監督」になるために佐藤監督が選んだ進学先は武蔵野美術大学だったですね。

【佐藤】当時、美術系の大学に行かなきゃ、って思ったんですよね。後になって人から言われたのは、映画を画でとらえているからなんじゃないかって。思い返せば、子どもの頃、空想で映画を作っていたんですよ。僕が生まれ育ったのは近くに映画館もない田舎町で、新作映画もなかなか見られなかったし、当時はまだビデオもなかった。今みたいにスマホで誰でも簡単に映像が見られたり、映像が撮れたりする時代でもなかった。学校の帰り道、トボトボ歩きながら頭の中だけで自分にしかわからない映画を作って、続きは明日、みたいなことをやっていたんです。その時、頭の中で描いていたのは空想の映画でした。とにかく、映画監督になるという一途な気持ちで、一浪を経た大学受験ではデッサンや絵画やデザインの基礎を叩き込みました。

 大学に入って、仲間ができて、中には高校時代から8ミリ映画を作ってる人もいて。大学には撮影機材もそろっていたし、成瀬巳喜男やエリック・ロメール、ハワード・ホークスなど、映画の趣向も豊富になっていきました。ほかの学生の現場を手伝って、それでようやく自分でも自主映画を作るようになったんです。

 在学中に作った2本目の『寮内厳粛』で「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」(1994年、第17回)のグランプリをとったんですけど、それが大きな転換点になりました。賞をいただいた時、すでに3本目の作品に取りかかっていて、ちょうど自分なりのスタイルを掴んでいました。『寮内厳粛』は、浪人生たちのとある1日の中で起きたことを物語にしたのですが、初めて自分らしい作品が撮れたと思えた作品だったので、それで賞をとれたというのは大きかったですね。

――『キングダム2 遥かなる大地へ』(22年)は、信にとっての初陣、大将軍への第一歩でもある“蛇甘(だかん)平原”の戦いを描いていますが、出発して一晩野営地で過ごして、翌日には戦いが終わっている。ほぼ1日の出来事でしたね。

【佐藤】そうですね。『キングダム』シリーズでは、とても短い時間を濃く描くことが多いです。自主映画の時も、1日だけの物語を描くのが好きでした。場所や時間を限定して描いた物語が好きでした。そういう意味では『キングダム』は、ちょっと自分向きの映画だ、と密かに思っていました(笑)。

■やりたいことを実現するまでの紆余曲折

――自主映画から商業映画へどのようにステップアップしていったのですか?

【佐藤】「PFF」には受賞監督を対象にしたスカラシップがあって、それで新作を作って劇場公開まで行けたらよかったんですが、僕はスカラシップの審査は落選してしまって、3年くらい自分の商業映画作品は撮れなかったんです。

――生活に困るようなことは…。

【佐藤】上映会に誘われることが多く、大学時代の4本目の自主映画『正門前行』(せいもんまえゆき)がテアトル新宿でレイトショー公開してもらえることになって、そうした自主映画を見てくださったプロデューサーから「何か一緒にやらないか」と声をかけてもらい、いろいろ企画を一緒に考えたり、そうした流れから、深夜ドラマの演出をしたり、「PFF」で賞をとった時の審査員だった市川準監督から脚本を依頼され、とにかく多忙でした。脚本家としては『東京夜曲』(97年)がデビュー作になったのですが、それ以来、行定勲監督の『ひまわり』(2000年)など、脚本の仕事はいろいろ入り、脚本家としては順調でした。ただ、自分の監督作品となると、なかなか商業映画デビューはできませんでした。

――はからずも物書きになりたかった…という夢は実現できたんですね。

【佐藤】自分以外の人が監督する作品の脚本は、監督の気持ちもわかるし、その思いを最大限に汲んで、自分なりのエッセンスも入れて、完成に導けた。そうした作品は、実際に公開されていきました。でも、いざ自分の作品となるとうまくいかなかった。何がダメなんだろう、と悩みましたね。そんな20代があって、30歳になるまでに1本でいいから自分の作品を撮らなければ、と焦りましたね。それで発想を変えて、脚本を依頼された作品の監督をやらせてもらえないか、とプロデューサーに頼んでみようと思ったんです。そうしたらちょうど監督がまだ決まっていないオリジナル脚本の依頼があって、プロデューサーに今までの自主映画などを見せて、アピールしたら、すんなり「いいよ」って。それで監督・脚本を務めさせてもらったのが『LOVE SONG』(01年)、商業映画デビュー作になりました。

――映画監督・佐藤信介の誕生ですね。

【佐藤】いや、デビューはできたんですけど、自分がやりたいことをうまくアピールできない、という課題は残ったまま。「どういう映画を作りたいの?」と聞かれた時に、大学時代、自主映画で作っていたような日常の世界を超えて、もっと子どもの頃見ていたワクワクする映画を作りたい思いが頭をもたげて来ていました。子ども頃、しきりに空想していたような映画です。ただそれをうまく言葉で表現できなかった。「面白い映画を作りたい」と答えても、「それじゃあ、やりたいことがよくわからない」と返される。自分にとって面白い映画といえば、西部劇だったり、『インディ・ジョーンズ』みたいな活劇だったりするんだけど、「日本映画でそれは無理」となる。「エンタメがやりたい」と言っても、「そう言われてもね…」みたいなリアクションで。プロデューサーが乗ってくるような、これだ!という企画がうまく出せなくて。

 あるプロデューサーからは、「怖いとか、笑えるとか、そういう感覚にフィットした作品を作りたいという話ならわかる」と言われたことがあって、そういうふうに映画を見ていなかったことに気づいたんですね。自分は映画で人を怖がらせたいのか、笑わせたいのか、何がしたいのか。考えた結果、わかりやすく言うと、自分は西部劇を見て育ってきたこともあってか、決闘の場面が見たい、見せたいんじゃないかと思ったんです。そういう中に興奮やドラマがある。思えば、自分の好きなどんな作品の中にも、闘う場面がありました。脚本でも必ず、AとBの対立を作り出し、話を転がしていました。でも、「西部劇」や「決闘」などと言ったところで、おそらくピンとこないだろう。わかりやすく伝えるには、何と言えばいいのか、いろいろ考えて見つけたキーワードが「アクション」だったんです。

 当時90年代後半でしたが、「アクション」といえば香港映画のイメージが強く、日本ではまだあまり作られていなかった。そこで「次、何やる?」とプロデューサーに聞かれた時に、「アクション映画をやりたい」と答えたら、一発で響いたんですよ。

――商業映画監督2作目となったのが『修羅雪姫』(01年)。釈由美子さん主演のSFアクション映画で、アクション監督はドニー・イェンさん、特技監督は樋口真嗣さんが担当しました。

【佐藤】大きな変わり目になった作品です。それまで作っていた自主映画や『LOVE SONG』は日常の世界で完結する映画でしたし、脚本を担当した『東京夜曲』は大人のラブストーリーだったこともあって、手がける脚本作は、概ね、青春映画だったり、恋愛映画でした。それがいきなりSFアクション映画をオリジナルで作るなんてどうしちゃったの?とびっくりされた方も多かったのですが、初めて商業映画で自分がやってみたかったことに挑戦できた作品。反省点もありましたが、やっと一歩踏み出せたという感じだったんです。

■漫画を実写化する時の極意

――『GANTZ』『GANTZ PERFECT ANSWER』(11年)以降、漫画原作のビッグプロジェクトが続いてますね。

【佐藤】『修羅雪姫』の後、V6の森田剛さん、三宅健さん、岡田准一さんが出演するオリジナルのSF映画『COSMIC RESCUE -The moonlight generations-』(03年)を撮ったり、『LOVE SONG』を気に入ってくださったプロデューサーと芦原妃名子さんの少女漫画を実写化した『砂時計』(08年)の監督・脚本を手がけたり、映画と並行してゲームの仕事をやったり、SF、アクション、そして日常的作品が混じり合いながら作品をつくり続けていた中で舞い込んできたのが『GANTZ』でした。

 現実の東京を舞台にしたオリジナルのSFアクション映画を企画しても「予算的に無理」と退けられるばかりでしたが、『GANTZ』の監督オファーには、大きなバジェットも用意されていて。二つ返事で「やります」と引き受けました。『キングダム』の時もそうでしたが、周りは「実写化できるわけない」「無理だよ」みたいなムードもあったんですが、オリジナルでやろうとしていたジャンルの作品が、むしろプロデューサーの方から依頼されたという感じで、僕としてはそもそもやりたかったことなので、渡りに船だったんです。

――漫画原作の作品を手がける上で念頭に置いていることは?

【佐藤】原作はいわばバイブル。それをどう解釈していくのかだと思うんです。原作が持っている魅力、読者をひきつけている要素、一番面白いところを僕らも映画化したい。それが根本的に変わっていくことはあり得ない。根本を変えるんなら、オリジナルをやればいい。一方で、原作をコピーしただけの単なる映像化は、縮小再生産にしかならない。自分たちがかかわることによって、原作を映画流に拡大できたらいいなと思うんです。原作ファンの人たちには「映画はこうきたか」と驚いてもらいたいですし、原作を知らない人たちには純粋に映画として楽しんでもらって、「原作を読んでみようかな」と思ってもらえたらいいなと思っています。

 『GANTZ』をやるまで、オリジナル作品にこだわっていたところもあったんですけど、これを描いてみたいという強烈な衝動に駆り立てられる原作との出会いから映画を作っていくのも面白いなと思うようになりました。

 『アイアムアヒーロー』は、「これ、西部劇だな」と思ったんです。僕がそう解釈しただけなんですけど、そういうふうに、その原作を、自分なりに映画的に解釈するんです。この場合は、ゾンビ映画ですが、それ以上に、むしろ、西部劇だという再解釈によって、映画『アイアムアヒーロー』を作りました。

 『BLEACH』の時はクライマックスの戦いを、現代の日常的な街並みの中でやりたい、と思って原作にはない駅前ロータリーで撮ったんです。戦っていくうちに日常的な風景がどんどん破壊されて廃墟になっていくんですが、駅前の風景のほとんどが、壊される前から CGなんですね。でもCGだと気づかなかった人も多くて、どうやって撮ったんだ?みたいになって。日本では予算的にも技術的にも無理だと思っていたけど、360度異世界の作品もできるんじゃないか、と希望が持てたんですね。その後に来た話が『キングダム』でした。

 「映像化不可能」と周りからも言われたんですけど、もしやるなら、一部を中国で撮りませんか?とプロデューサーの松橋さんに提案したんです。もしそれができるなら、映像化可能ですと。実景もありながら『BLEACH』の時のようにCGを駆使すれば、『キングダム』の世界もうまく映像化できるはずだ、という勝算はありました。

 『キングダム』も長い話なので、いろんな切り口、いろんな映画が作れると思うんです。僕は原作漫画の5巻ぐらいまでを読んで、「スター・ウォーズ」の1作目(1977年公開の『エピソード4/新たなる希望』)みたいな冒険活劇だと思ったんですね。再解釈ですね。ある少年が師となる人物と出会い、故郷の村を旅立って、いろんなところをたどり、いろんな刺客と戦い、危ない目にも遭いながら、ついに王宮まで来てしまいました、みたいな。

 そういう意味で言うと、こういう映画にしたいというビジョンが大事かもしれないですね。すでに原作の物語と絵がある、その上で2時間の映画にするわけだから、どんな映画にしたいのか、というのは映画をつくる側が考えなければいけないことです。

 時にはそれが見つけにくいこともあります。当然ですけど、原作は2時間の映画にするために描かれているわけではないですから。どうすれば、多くの人が楽しめる映画にできるか、それがすぐ見つかる時もあれば、時間かかる時もあります。僕の場合は、少しでもそうした映画的な要素を見つけられたら、「行ける!」って感じになりますね。

――『キングダム 大将軍の帰還』での王騎とホウ煖(※ホウ=まだれに龍)の一騎打ちのシーンは、まさに西部劇の決闘でしたね。

【佐藤】そうですね。あのシーンを撮りたくて、『キングダム』シリーズをやってきたと言っても過言ではないかもしれませんね。『大将軍の帰還』はシリーズ集大成という位置づけと言われていますが、1作目の冒頭で戦災孤児の信が初めて王騎将軍の姿を目にしたことから始まった物語は、4作目の『大将軍の帰還』で王騎軍とともに戦って、綺麗に終わりを迎えることができた、というような気持ちですね。

――『キングダム』シリーズは、全4作いずれも興行収入が50億円を突破するという、比較可能な2000年以降に公開された実写邦画シリーズでは前人未到の記録を達成しました。続編への期待も高まっていますし、ほかの作品からもオファーが絶えない状況かと思いますが、今後について今言えることは?

【佐藤】『キングダム』は原作の物語がこの先もずっと続いているので、またできるならやりたい、と思っています。自分にとってもこんなに長いシリーズに携わるのは初めてでしたし、なかなかないと思うんですよ。なので、行けるところまで行きたい、という気持ちはもちろんあります。

 「映画監督になる!」から始まった自分自身の長い旅は途中もいいところ。子どもの頃から空想してきた作ってみたい映画はまだまだたくさんあって、大体やったかなぁ、ということは一切ないですし、新たにやってみたいことは増えていくし。これまでの作品で実現できたこともいっぱいありますが、皆さんがあっと驚くような映画をこれからもつくっていきたいと思います。と同時に、大学時代からつくっていたような、小さな日常の物語を、また作っていきたいとも思っています。

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