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“初代タイガーマスク”佐山サトル、好敵手・小林邦昭さん追悼「青春を共有した戦友 最高のライバル」

ORICON NEWS / 2024年9月10日 15時46分

小林邦昭さんが死去 “初代タイガーマスク”佐山サトルが追悼

 新日本プロレスにて初代タイガーマスクの好敵手、“虎ハンター”の異名で活躍した小林邦昭さんが、9日に死去した。享年68。これを受けて初代タイガーマスクの佐山サトルが、追悼文を寄せた。

【写真】リングへの思いを赤裸々に語る武藤敬司

【佐山サトル追悼文】
今朝、電話が鳴り響いた時、
嫌な予感がしました。
体調が悪い悪いのは、二週間前の電話の声で、わかっていました。
その時、
「俺達、良い試合をしたなあ」と言うので、
タイガーマスクでの試合の事かなと思い、
私はその気で思い出を話すと、
何と、小林さんは若手時代の事を淡々と意味深げに話すのです。
五分位で疲れたトーンになって来たので、
「元気になってメシ行こう!」
「それじゃ元気で!」


「元気で!」
と言い合って電話を切りました。

3日前掛けた電話の返信がなく、心配をしていたところへ、
四代目からの電話です。

私は体が沈み込むのが分かりました。

青春を共有した戦友
最高のライバル
思い出は沢山沢山あります。


小林さん有難う御座いました。

初代タイガーマスク 佐山サトル


 小林さんは、1972年に新日本プロレスへ入門。1973年に栗栖正伸を相手にプロデビュー。その後メキシコ武者修行を経て、1982年10月に赤いパンタロンコスチュームで凱旋帰国をはたして以降、当時絶大な人気を博していた初代タイガーマスクとのライバル抗争がスタート。試合ごとにタイガーのマスクを剥ぐ無法殺法で“虎ハンター”として、大きな注目を浴びた。

 1984年9月には、“維新軍団”長州力、マサ斎藤、キラー・カーン、アニマル浜口らと新日本プロレスを離脱して、ジャパンプロレス所属となり、全日本プロレスへ参戦。全日本マットでは、2代目タイガーマスクともライバル抗争を繰り広げた。また、全日本マットでは、1986年11月23日にヒロ斎藤を破って、第2代世界ジュニアヘビー級王者となる。

 新日本プロレスでは、小林さんを偲び、追悼の意を込めて 、11日に宮城・仙台サンプラザホール大会において、10カウントゴングセレモニーを実施する。セレモニーは、大会開始前の午後6時時15分より開始する。

 小林さんの訃報を受け、武藤敬司は10日、公式Xを通じて「新日本プロレスに所属していた時の先輩、小林邦昭さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。最近訃報が相次いでいますが、俺はもう少し頑張って生きていこうと思います」と追悼。

 真壁刀義もXを更新し「小学4.5年生の頃、初めて見たプロレスで初代タイガーマスクの好敵手として反則を駆使しBIGヒールとして君臨した『小林邦昭』さんが亡くなられた。引退後も裏方で道場管理から雑用をこなし、現役選手をバックアップしてくれた。今のプロレス界があるのもアノ人のお陰。安らかにお眠りください」としのんだ。

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