もしも豊臣政権が現代のお役所風だったら…「太閤検地のお知らせ」ハガキが話題

おたくま経済新聞 / 2018年7月18日 17時28分

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画像提供:スエヒロさん(@numrock)

 7月に入ってくると、確定申告に基づいた様々な納税の通知や、自治体からの各種お知らせが自宅に届くようになります。筆者宅にも色々なお知らせが住んでいる自治体から届いているのですが、その特徴をよく捉えた、豊臣秀吉が行なった「太閤検地」の通知ハガキを作ったTwitterユーザーの投稿が話題になっています。こんなハガキが届いたらどうしよう……。

 このいかにもお役所的な「太閤検地」通知ハガキを作ったのは、歴史ネタの投稿で知られるTwitterユーザーのスエヒロさん(@numrock)。通知ハガキの宛先は、世界遺産である国宝・姫路城を現在残る「白鷺城」の姿に修築したことでも知られる戦国大名、池田輝政となっています。美濃国安八郡池尻というのは、現在の岐阜県大垣市池尻町。かつて池田輝政は、この地に建つ池尻城の城主でした。

太閤検地のお知らせハガキを作ってみました。 pic.twitter.com/kSrqjxjLrA

— スエヒロ (@numrock) July 18, 2018

 ハガキは行政からのお知らせにありがちな、貼り合せ式のハガキになっています。税金の口座振替通知とか、こんな感じで送られてくるなぁ……。



 太閤検地は、豊臣秀吉が領地の面積や地勢などを把握し、年貢を徴収する際の基礎資料となる台帳作りのために行なった測量、および田畑の収穫量調査(検地)のこと。豊臣秀吉は天正13(1585)年に関白となり、天正19(1591)年にその職を甥の秀次に譲って「太閤」を称するようになりますが、それ以前に行われたものも含めて、秀吉が関わった検地の総称として「太閤検地」と呼ばれています。

 池田輝政は豊臣家の側近として使えた人物であり、天正16(1588)年には豊臣姓を賜るなど、豊臣家に準じた処遇となっていました。そのせいなのか、検地を担当する奉行は同じく豊臣家の側近である石田三成となっています。

 このお知らせには、さりげなく「検地の測量単位について」という欄がありますが、これが太閤検地の大きな特徴です。これまでの検地では、その場所で普段使っている単位換算で申告されたものが多く、いわゆる「単位の統一」がなされていませんでした。このため、別々の土地の比較が難しかったのです。太閤検地では、場所によってまちまちな単位換算を統一し、同じ計測器(ハガキにあるように「升は京升を使用」など)で測量を行って、正確な統計が取れるようにしたのです。これは織田信長が行なった検地の実務を担当した秀吉が、その経験を生かしたものではないかと考えられています。

 ハガキによると、検地の日時は天正14(1586)年8月2日。用意するものなどが色々と書かれています。領民全員に検地の説明などを行うのは、結構ハードル高そうですね……。

 ネタにマジレスは無粋なことなのですが、気になった点を挙げると、正親町天皇から豊臣性を賜るのは、ハガキの検地の約1か月後となる天正14年9月9日のこと。そして、この検地が実施される予定の美濃池尻城なのですが、池田輝政は天正12(1584)年4月9日の小牧・長久手の戦いで父の池田恒興と兄の池田元助が討ち死にしたため、家督を相続し大垣城主、次いで小牧・長久手の戦いにおける戦勲で、天正13(1585)年に元助が城主を務めていた岐阜城主として転封されており、この検地が行われる天正14年にはすでに廃城となっているのです……はたしてこのハガキは、ちゃんと池田輝政に届いたのか、そちらも気になってしまいますね。

<記事化協力>
スエヒロさん(@numrock)

(咲村珠樹)

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