劇画師・植木金矢と特撮監督・矢島信男 2019年に世を去った2人の足跡

おたくま経済新聞 / 2019年12月30日 10時40分

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2012年に弥生美術館で開催された「伝説の劇画師 植木金矢」展ポスター

 2019年も、おたく文化の発展に貢献された方が多く世を去りました。本稿では2019年10月11日に97歳で逝去された劇画師の植木金矢さん、11月28日に91歳で逝去された特撮監督の矢島信男さんのお2人を取り上げ、生前のご活躍を振り返ります。

 まずは植木金矢さんの思い出をご紹介すると共に、植木さんの作品の特徴をご紹介しましょう。2012年、東京都文京区にある弥生美術館で植木さんの回顧展「伝説の劇画師 植木金矢展」が開催されました。当時既に90歳を超えるご高齢でしたが、何と会場でサイン会を開催してくださいました。私もサイン会に馳せ参じ、貴重なサインを頂戴したことは今も有り難く思っています。

 植木さんは主に時代劇漫画を描かれましたが、昭和30年代頃には実在する時代劇スターの似顔絵を思わせる登場人物を描かれました。当時の映画界には五社協定という大手映画会社によるカルテルがあり、スターは各映画会社に囲い込まれる形で他社の作品へ出演することができませんでした。つまり、異なる映画会社に所属するスターが共演することをファンが夢見ても、五社協定の存在がそれを阻んでいたのです。

 しかし植木さんの漫画では、異なる映画会社に所属する映画スターが、似顔絵の登場人物で共演しているのです。これは五社協定に縛られることのない、漫画ならではともいえる夢の共演でした。

 一般的に、五社協定の時代に異なる映画会社のスターが共演した最初の作品は、日活から独立して独自の石原プロモーションを設立した石原裕次郎と、東宝から独立して三船プロダクションを設立した三船敏郎がW主演を務めた「黒部の太陽」であるとされています。この作品は石原裕次郎の出身である日活と、三船敏郎の出身である東宝、双方の系列劇場で公開されましたが、観客を奪い合うことのないよう、上映開始を二週間ずらして公開されています。

 実在する時代劇スターの似顔絵のような登場人物を描く植木さんの手法は、テレビ時代劇のコミカライズでも存分に発揮されました。植木さんは1971年、三船敏郎主演のテレビ時代劇「大忠臣蔵」のコミカライズを担当されました(ちなみに1971年の「大忠臣蔵」は私の大好きな時代劇ですので語ろうと思えば色々語れてしまいます)。そのコミカライズでも、やはり登場人物が実際の俳優の似顔絵なのです。

 家庭用ビデオのうち、ソニーがベータマックスを発売したのが1975年、ビクターがVHSを発売したのが1976年ですから、1971年の時点における俳優の似顔絵を駆使した植木さんのコミカライズ作品は、視聴者にとっては番組を録画したビデオと同じように、何度もコンテンツを楽しめる貴重な存在であったと推測されます。

 植木さんの功績に敬意を表すると共に、謹んで哀悼の意を表します。
 
 続いて、矢島信男・特撮監督の経歴を振り返りたいと思います。

 1949年に、矢島信男監督が初めて入社した映画会社は松竹でした。この当時、松竹の作品で特撮を手掛けていたのが円谷英二監督と川上景司監督です。

 太平洋戦争後に撮影所で起きた「東宝争議」や、GHQからの公職追放指定により東宝を離れた円谷英二監督は、公職追放解除により1952年に東宝に復帰するまでの間、自ら「円谷特殊技術研究所」を設立し、松竹大船撮影所作品や大映京都撮影所作品などの特撮を請け負っていました。

 川上景司監督は1942年公開の東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」で円谷英二特技監督のもと、特撮キャメラマンを務めるなどしていましたが、1943年に松竹へ移籍し、大船撮影所の特撮(特殊撮影)課の主任となりました。矢島氏は松竹時代、円谷英二や川上景司といった特撮の巨匠の下で特撮スタッフとして薫陶を受けたのです。

 矢島氏は1959年、東映に移籍。この頃、東映に在籍していた特撮監督が上村貞夫監督でした。上村監督は東亜キネマ、極東キネマのキャメラマンを経て、円谷英二特技監督の「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」「あの旗を撃て」(いずれも1944年)で特撮キャメラマンを務めた後、戦後は新東宝映画で「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃(1956年・製作は国光映画)」や「スーパージャイアンツ」シリーズ(1957年~1959年)の特撮監督を務め、更に東映へと移籍しています。

 矢島氏は昭和30年代に数多くの東映映画の特撮監督を務められますが、タイトルクレジットには名前が表示されませんでした。1961年の「宇宙快速船」などにいたっては、特撮が見せ場だというのに矢島監督の名前が表示されないという酷い有様でした。当時の東映では、まだ特撮に対する意識が低かったことをうかがわせます。

 ここで、1960年代の東映映画における矢島監督のご活躍を何本かご紹介します。

 1960年公開の「旗本退屈男 謎の暗殺隊」(松田定次監督)は、時の将軍綱吉暗殺を狙う尾張藩徳川邦宗と、その配下である矢吹流忍者と旗本退屈男・早乙女主水之介(市川右太衛門)との戦いを描く作品。京都での天子(天皇)即位礼に列席する途上、綱吉が逗留する尾張城内の舎殿が崩壊するさまや、矢吹流忍術など特撮の妙味が味わえる作品です。

 同じく1960年公開の「第三次世界大戦 四十一時間の恐怖」(日高繁明監督)は、週刊新潮原案による「もし第三次世界大戦が起きたら」という想定で、その勃発から終結までをドキュメンタリータッチで描く作品。群衆と米軍機の合成シーンと、群衆ときのこ雲の合成シーンが非常にリアルでした。

 1961年の「宇宙快速船」(太田浩児監督)は、千葉真一さん主演の特撮ヒーローもの。地球侵略をもくろむ海王星人に対し、千葉真一さん演じる宇宙科学者の立花慎一が、スーパーヒーロー「アイアンシャープ」に変身して戦います。宇宙船などのデザインは、ウルトラシリーズや「マイティジャック」で知られる成田亨さんが手がけています。木っ端みじんに砕け散る国会議事堂など、都市破壊シーンにおける精密な合成はあっと驚く迫力でした。

 1961年7月公開の「水戸黄門 助さん格さん大暴れ」(沢島忠監督)は、月形龍之介さんの水戸黄門に、松方弘樹さんの助さんと北大路欣也さんの格さんというキャスティング。助さんと格さんが水戸藩の登用試験を受験する、という、水戸黄門一行結成のエピソードから描かれている作品です。実際のお堀とマットアートのお城を合成したシーンが、本物のお城みたいでした。

 さて、矢島監督は1960年代後半には特撮研究所という会社を設立しつつ、テレビ番組でも活躍されます。それまでの映画では矢島監督の名前はクレジットされませんでしたが、テレビ番組では矢島監督のお名前が表示されるようになります。

 1966年の東映のテレビ番組「悪魔くん」では、第6話までは矢島監督は特撮部門のキャメラマンで、特撮監督は(タイトルクレジット上は)不在でしたが、第7話から特撮部門の監督を表す「特殊技術」という肩書きで、他の特撮スタッフと同列ではあるものの大きな文字で矢島監督の名前が表示されました。

 1971年からフジテレビで放送されたピー・プロダクションの特撮テレビ番組「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」第27話では、遂に矢島監督に「特撮監督」という称号が与えられました。ピー・プロダクション創業者のうしおそうじ(鷺巣富雄)は、東宝時代に円谷英二に師事していた人物で、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の音楽で知られる作曲家の鷺巣詩郎さん(現ピー・プロダクション社長)はその長男に当たります。

 東映作品で矢島監督が「特撮監督」という肩書きで表示されるのは1978年の映画「宇宙からのメッセージ」からです。本篇監督である深作欣二監督が矢島監督を信頼していたという事情もあるでしょう。「宇宙からのメッセージ」の幾つかある予告篇の1つにおいて、横書き2枚タイトルで
  監督 深作欣二
特撮監督 矢島信男
と表示されるのが個人的な感動ポイントです。東映作品で矢島監督があれほど大々的な扱いを受けたのは初めてです。

 ここで「宇宙からのメッセージ」における矢島監督のご活躍をご紹介しましょう。作中で敵の要塞に戦闘機で侵入する特撮シーンがありますが、これは1983年のアメリカ映画「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」(タイトルは当時のもの)に先んじたものです。このシーンは、東映が1975年の特撮映画「新幹線大爆破」(特撮監督:小西昌三)で初めて使用したシュノーケル・キャメラを活用したものです。この他、本作では戦闘シーンが迫力満点で、帆船・エメラリーダ号が宇宙空間を進む姿にもロマンが溢れていました。

 さて、矢島監督は1960年代の「悪魔くん」「宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ」以来、長年に亘ってヒーロー番組の特撮監督として活躍されましたが、その中でも特に印象深い1本、1980年の映画「仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王」(特撮監督は佐川和夫監督との連名)をご紹介しましょう。この作品ではドッカンドッカン派手に爆発するシーンがあり、どれだけ大量の火薬を使っているんだと驚いたものです。

 矢島監督は長年の功績により、平成18年に文化庁映画賞・映画功労部門(註1)、平成23年に日本アカデミー賞協会特別賞(註2)を受賞されました。これまで松竹、東映、ピー・プロダクション、円谷プロダクション、角川春樹事務所等、多くの会社の作品で我々視聴者をドキドキワクワクさせてくださり、更に仏田洋監督、尾上克郎監督ら次世代の育成にも貢献なさった矢島監督に敬意を表すると共に、謹んで哀悼の意を表します。

註1・出典 https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/eiga/eigasho_kako.html
註2・出典 https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=34#title23

(文・撮影:コートク)

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