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【無所可用】塘路の豆腐屋さんのおはなし

おたくま経済新聞 / 2010年4月13日 17時52分

【無所可用】塘路の豆腐屋さんのおはなし

無所可用

43615e9f不定期連載の「エドガーの無所可用、安所困苦哉」。エッセイの様なコラムの様な読み物です。第10回は、釧路湿原のちいさな町・塘路にあったとうふ屋さんの思い出をおとどけします。
塘路。塘路ってどこ?という方がほとんどかと思います。
釧路湿原の辺にある標茶町にある町で、湿原の近くの町では大きいほうに入りますが、普通に見たら小さな町です。JR北海道釧網本線と国道391号線が通っています。より詳しい場所を知りたい方は地図を広げてみてください。

近くには釧路湿原で最も大きい塘路湖という湖があり、冬になるとオジロワシ、オオワシなどもやってきます。
国鉄時代、釧網本線に急行があった頃は、急行停車駅でもありました。かなり後期まで駅員さんの配置もありました。現在は駅舎が建て替えられて喫茶店になっています。また列車交換(単線なので、上下列車のすれ違い)のある駅でもあります。夏場運転される「釧路湿原ノロッコ号」も、ここで折り返します。駅前が比較的広くかつなにもなく、観光バスのコースに組み込まれているノロッコ号乗客は釧路~塘路のどちらか片道を乗車することが多いようですが、それには塘路の駅前が何もなくて広いという立地があるかと思います。

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さて、そんな塘路に初めて降り立ったのはもう20年くらい前でしょうか。初の北海道旅行、湿原を行く列車を高台から撮影するのに、この駅が撮影場所に近かった、ということで。当時は駅前に商店がまだあり、食料品が買えたのは助かりました。(高台からの写真)
翌年は塘路の隣駅、茅沼に行きました。茅沼はタンチョウヅルが来る駅として知られていまして、前年見れなかったので今年は!という感じでやってきたのでした。
すると、駅のすぐ近くで、なにやら家を建てていました。看板を見ると「旅の宿」となっていて、おお、ここに宿が出来るのか!と思いました(当時は塘路にあった旅館が廃業してしまい、釧路湿原に近い宿がほとんど無かったのです)。
その日の宿泊はとあるユースホステル。管理人の方とお話したら、なんと宿を建てているのはこのユースホステルの方でした。そして宿の完成後、営業開始3番目の客として訪問し、以後数年間、毎年3~4回出かけるようになったのです。

さて宿はできましたが、湿原を歩き回る拠点である塘路のお店は、だんだん品数が少なくなり、かつてはあったパンなどはなく、飲み物とお菓子と煙草と必需品(塩とか砂糖)などしか置かなくなってしまいます。
宿は昼間は閉まっているので、食料品が入手できないとキツいです。釧路湿原では15~20kmを普通に歩きます。
そんなある年、塘路にとうふ屋があるよ、ということを教わりました。それも戦前から続く、歴史あるとうふ屋だそうで、製造する機械もかなり古く、しかも木綿とうふしか作っていない(油揚げとかがんもどきとか絹ごしとうふもない)とのこと。

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ある日、例によって茅沼駅~塘路駅間を鳥を見ながら歩きとおし、昼過ぎにこのとうふ屋さんの戸を開けました。その佇まいは、知らなければ普通の家と変わりありませんでした。
横浜から湿原を歩きに来ていること、食事できるお店がないのでできればとうふを1丁食べさせていただけないか、などを、お店のおばあさんにお話しました。おばあさんは喜んでとうふを皿にすくってくださり、割り箸としょうゆを持ってきてくれて、ゆっくり食べていきなよ、とやさしく応じてくださいました。
とうふを食べながら、数日滞在すると話すと、じゃあおなかすいたらまたおいで、とにこやかに言ってくれました。
これ以来、塘路のとうふ屋は、重要な昼食ポイントになりました。
通うにつれ、とうふを買いにくるお客さんとも顔なじみになりました。そして世間話をするうちに、実はすごいとうふ屋さんであることがわかりました。
とうふを買いに来るお客さんは、ほとんどが自動車でやってきて、2~3丁のとうふを買われて行きます。北海道の東部、それも都市部ではない塘路というちいさな町に手作りとうふ屋があること自体が結構驚きですが、買いにくるお客はほとんど車です。聞けば、釧路や標茶市街のスーパーならともかく、半径30kmくらいにわたり、とうふを売っている店はここだけで、しかも自家製となると釧路市内でもそうそうないのでは??ということが伝わってきました。
「どうせ車で出ないと買い物できないんだし、それならとうふが食べたいときはここに来るわよ」と仰っていた牧場を営んでいる方は、20km以上の道のりを、とうふを買いにここまで来られているのでした。

すっかりおなじみになったワタシと、ワタシの北海道仲間(というより湿原仲間)は、釧路湿原に行ったら必ずとうふ屋にも行くようになりました。そのうち、110円のとうふの代金しか払っていないのに、自分で摘んでこられたという山菜の煮物とか、つくりおきのおかずを出していただいたりするようになり、なんだかかえって申し訳ない感じに。
でも、お店の戸を開けて声をかけると「おお、ようきたね。こんなゆるぐないときに」と笑顔で迎えてくれたのでした。

そんな思い出多きとうふ屋さんですが、旦那さん(寡黙なおじいさんで、結局、ほとんどお話したことがありませんでした)が亡くなられ、おばあさん一人ではとうふ作りはできないということで、お店はやめられてしまいました。
その後、釧路市内に住むお子さんのところへ転居するらしい、という話を伝え聞き、こんなものではこれまでの感謝には足らないなと思いつつも、東京で和菓子の菓子折りを買って、釧路行きの飛行機に乗り、茅沼の宿に一泊した翌日、菓子折りを持ってかつてとうふ屋さんだったお宅へ伺いました。
いままでありがとうございました、とてもおいしいとうふでした、とお礼をいいつつ菓子折りをお渡ししました。思えば今まで食べさせていただくばかりで何もお返しできていませんでした。普段から、来てくれるだけでもうれしいよ、と言ってくれていたおばあさんの目には、ちょっと涙が見えました。

Publisher By おたくま経済新聞 | Edited By おたくま経済新聞編集部 | 記事元URL https://otakuma.net/archives/20100413.html

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