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【無所可用】水辺の鉄道・湧網線の撮影

おたくま経済新聞 / 2010年2月17日 21時47分

【無所可用】水辺の鉄道・湧網線の撮影

無所可用

509a229b不定期連載でお届けしている「エドガーの無所可用、安所困苦哉」。
決まったテーマは持たず、毎回エッセイの様なコラムの様な読み物をご披露してまいります。第三回目となる今回は、前回までが私の自己紹介の様な内容とは打って変り、私の趣味でもある「鉄道」に関する話題をお届けしたいと思います。

まず最初に「撮鉄」という言葉を皆さんご存知でしょうか?
鉄道が趣味というと一般的に「鉄っちゃん」という言葉で全部括られてしまいがちですが、実は鉄道趣味にも幾つか枝分かれした趣味が存在します。

主なものは以下の通り
乗鉄:色んな鉄道路線・車輛にひたすら乗ってみる趣味
撮鉄:鉄道車輛や駅を撮影する趣味
収集:鉄道に関わる部品や何かを収集する趣味
模型:鉄道模型のコレクションや製作をする趣味
廃線:古い地図をわざわざ入手して、廃止になった線路の跡をたどる趣味

ざっと上げただけでもこれだけあります。まぁ他にもまだまだ細分化していて紹介しきれないものもあるのですが、主なものはこの5つ。

私はひととおりやっております。しいて言うと、「乗る」には比較的関心が浅いかもしれません。チャンスがあれば乗りますが、わざわざ出かけて行って乗る、ということは、最近はしていません。「収集」も子供の頃は切符を集めていましたが、最近はお休み中です(でも使用済み特急券とかは捨てないで持っています)。
ということで、鉄道に関することなら一通りやってきた中、今回は、結婚前に重度の撮鉄であった頃に撮影した路線のうちで、とても印象的であった今は無き国鉄湧網線について思い出も交えお話しさせていただきます。

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さて、この「国鉄湧網線」。1935年から1987年の間営業していた路線で、北海道は中湧別から網走までの89.8キロを結び、サロマ湖・能取湖・網走湖・オホーツク海と4つの水辺を走る、実に景観の美しい路線でした。特にサロマ湖岸の区間は、水面のすぐ近くを走っている走行感で、いかにもローカル線・低規格線といった趣。

この湧網線の他に、1989年の廃線まで名寄本線が中湧別-遠軽間も走っており、私が撮影に訪れた時期には、遠軽~網走間に、今も健在な石北本線とは別ルートの鉄道もあったわけです。ちなみに湧網線経由で遠軽~網走間の所要時間は3時間以上(うち湧網線で2時間半弱)。現在の石北本線の特急は2時間かからずに走破します。普通列車でも2時間半程度です。

今の北海道の鉄道地図は実に寂しくなりましたが、人口密度が極めて少ない土地にたくさんの線路があったことのほうがむしろ驚きかもしれません。
ただ、ローカル線の車内で開拓時代から生き抜いてきた人々のお話を伺うと、かつて、鉄道はまさに「ライフライン」であり、今の様子からは想像しがたいほどのたくさんの人々が暮らし、それを鉄道が支えていたことがわかりました。その後、開拓を志した人々の多くが残念ながら去り、さらにモータリゼーションによって鉄道から自動車への転換が起き、やがて鉄道は過去のものとなっていったのです。
そんな人口希薄な北の大地のローカル線は次々に廃止されますが、どうにかぎりぎり間に合ういくつかの路線を見聞したいと、何度か津軽海峡を渡ったものです(当時は本当に船で渡っていたのですよw)。そんな中で、湧網線と標津線は特に入れ込みました。どちらもすばらしい景観に恵まれていたためですが、標津線についてはまた別の機会に。

さて、このローカル線の撮影。実は一つ大きな問題を含んでいます。この湧網線に限らずローカル線とは概ね、列車本数が実に少ないものなのです。湧網線の場合、当時、5往復でした。
自動車で行動すれば効率よく回れるのでしょうが、こちらは安上がりに旅するべく、北海道均一周遊券を使い、移動は鉄道、それでいて列車の写真も撮りたいわけです。

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湧網線は、前述のように美しい景色の区間が多く、撮影好適地はたくさんあるのですが、なにしろ数が少ない。一日5往復のうち早朝と夜は撮影できませんから、撮影できる列車は3~4本くらいしかないのです。

そして撮影地までの足でもあるわけで、乗った列車は当然撮影できませんから、さらに減ってしまいます。

一日5往復の列車に限られた予算…一般の方ならばおそらくこの時点で諦めるべきところでしょうが、そこはやはり「撮鉄」。元気に機材を担いで撮影に向かったものです。

ただ撮影に向かっても闇雲では失敗してしまいます。撮影できる列車が1本・2本となるローカル線撮影の際は、事前の調査が特に重要となってくるのです。
国土地理院発行の地図を買い込み、どこから撮ればどんな風景になるかを想像しつつ撮影地を決めます。次は時刻表を見て、光の加減を考えつつ撮影できそうな列車があるかを調べ、うまく行かなければ場所を変える、といった按配。

鉄道の常として、朝と夕には「通勤・通学」(ローカル線ではほとんどが通学需要ですが)があるため、列車が走ります。しかし昼間はそうした需要自体がなくなってしまうため、列車が少なくなります。ローカル線ではその傾向はより極端になり、昼間は1本、ということも少なくありません。名寄本線の枝線には朝夕それぞれ1本、一日2回しか列車の来ない駅もありました。
そんなわけで、ローカル線での撮影は、「ただひたすら待つ」ことになります。乗ってきた列車から撮影対象の列車まで2時間、帰る列車まで2時間、というような具合です。
雪の中、商店もないようなところで4時間なにをする?
夏ならともかく、冬だと寒いだけ。駅員さんのいる駅ならまだ暖がとれますが、無人駅だと暖房も入っていないこともままあります。
もう、開き直って散歩するか、駅でじっとしているか・・・もしも雪が降っているようだと、もうじっとしているしかない。

一般的には「本を読む」とかでしょうが、三脚に複数のカメラ・レンズと重い機材を背負っている状態です。時刻表は「無いと死ぬ」ので持っていますが(北海道へ行くときは、「道内時刻表」という、北海道内だけの時刻表を使うことが殆どでした。薄く小さく安くて便利、今でもあります)、本の入る余地などないのでした。
そんなわけで、撮影の合間の時間帯は、散歩をするか、ぼーっとするか、時刻表しかないから時刻表読むか。退屈な時間です。
でも、そんな「一見無駄な時間」も、鉄道写真を撮るという趣味の中では、大事な時間だったのかもしれないと、最近は思うのです。
何時間もぼーっとするなんて、そうそうできないことですよ。最近なら携帯電話でネット見たりしてしまいますよね?当時はそんなことはできませんでしたから、ホームに出てみたり、駅前を歩いてみたりして小さな発見をしたり、全然関係ない場所の時刻表見てみたり。「究極のお一人様」な時間でした。

ところで不思議なことに、かつて北海道には「無人駅なのにKIOSKがある」駅がいくつかありました。近年は駅員さんがいるのにKIOSKが無いのが普通なのに……。
KIOSKのある駅で長時間待っている時は、KIOSKで働くおばさんと話しこんで、あんたどっから来たの?写真撮ってるの?いつまでいるのさ?…そんな会話をするうちに、お茶をいただいたりすることもありました。他にも、人家がまばらな土地では、通りすがりの旅の者にもやさしい方が多かったです。

そんな湧網線。廃止を控え自分が行動できるラストチャンスの時には、3日かけて2本の列車を撮影してまいりました。一日目はサロマ湖を、二日目はオホーツク海を、それぞれ背景に入れました。可能ならば秋のサンゴ草の花の中を行く姿や、能取湖沿いの景色も撮りたかったと今でも思い悔やまれてなりません。それにしても3日で2本という効率の悪さ。まぁこれもいい思い出です。

お別れ運転の日は仕事。ちょっとセンチメートル?な気分で仕事したのでした。
そんな湧網線の廃止から半年後、網走へ行く機会があったのですが、湧網線の線路が剥がされた跡がまだ生々しく残っているのを見て「廃止されてしまったんだなぁ」とつくづく実感したものです。

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ちなみに、かつての計呂地(けろち)という駅の跡地が、保存されているそうです。
計呂地駅はサロマ湖に程近く、撮影でも訪れた場所。駅員さんのいる駅で、入場券を買ったら帆立貝の稚貝(2cmくらいの小さな貝)の貝殻で手作りした記念品をいただきました。
今では交通手段が自動車しかないので、運転が大の苦手な私にはなかなか訪問することができないのですが、機会があれば再度訪問してみたいと思っています。

写真:サロマ湖岸の湧網線。計呂地駅から3kmくらいの地点。
写真:オホーツク海を望む湧網線。常呂(ところ)駅からわりとすぐの丘から。
写真:サロマ湖岸での撮影後、計呂地駅へ戻る際にヒッチハイクをしていたら、乗せてくださった湧別町営バス

Publisher By おたくま経済新聞 | Edited By おたくま経済新聞編集部 | 記事元URL https://otakuma.net/archives/20100217.html

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