宮崎駿も惚れた「萌え」の原点を創った男――孫が語る藪下泰司の伝説

おたぽる / 2014年3月7日 23時0分

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「どうも気恥ずかしいうちあけをしなければならない。ぼくは漫画映画のヒロインに恋をしてしまった。心をゆすぶられて、降り出した雪の道をよろめきながら家へ帰った」

――1996年に徳間書店から出た宮崎駿のエッセイ・講演録『出発点―1979~1996』に、こんな一説がある。そのヒロインとは、1958年、東映が手がけた日本初の長編アニメーション『白蛇伝』の白娘であった。

 現在、DVDも発売され観賞する機会も得やすくなった、この作品。本編もさることながら予告編にも驚かされる。当時の東映社長の大川博の挨拶から始まり、その挨拶に併せて東映撮影所の中に設けられた制作スタジオの風景が映されていくのだ。「大東映が世界に放つ」というキャッチなんて、どれだけ力を入れているんだと、驚くばかりだ。

 この映画を見た当時、宮崎駿は17歳。その彼が東映動画を経て世界に知られる作品を生み出すようになるとは、誰も考えなかっただろう。宮崎の心を揺り動かした作品。その演出を手がけたのが、藪下泰司である。日本のアニメーション史を紐解くと、『白蛇伝』のみならず『安寿と厨子王丸』『少年猿飛佐助』といった数々の作品の演出に藪下の名を見ることができる。観客が恋するアニメヒロインをはじめて生み出した、いわば「萌え」の原点の創造主ともいえる、この藪下とは、どういった人物だったのか。

 そんな彼を身近に見ていた人物がいる。先日、姉妹サイトの『日刊サイゾー』でも取り上げた『ゼウスの法廷』の高橋玄監督だ。藪下の孫にあたる彼は、祖父の思い出を次のように語る。

「映画やアニメの話をした記憶はありませんね。でも、とてもオシャレな人物だったことは覚えています。大正育ちの"モダンボーイ"だった祖父は、普段からシャッポ(帽子)に紐ネクタイでパイプの煙草というダンディ。ビリヤードを教えてもらったこともあった」

 ごく普通の祖父と孫との関係だったのか、会話の中に映画やアニメ関係の話が出ることはなかったというが、高橋監督が学校をさぼって遊びに行って給食の時間に登校するのを見ても「そういうのが楽しいんだよな」と援護してくれたというエピソードからは、社会常識にこだわらない藪下泰司というアーティストの顔が想像できる。そんな穏やかな祖父に、一度だけ映画人としてのプロ意識を見たことがあると、高橋監督は言う。

「私が高校生の時に、文化祭で8ミリ映画を作った。映画といって興味があったのか、祖父は祖母と観に来たんですが、無言で失笑して帰っていきました。高校生が作ったものなんだから、程度なんてわかるだろうし、仮にも孫なんだから何か言えよっていうね(笑)。でも、今、思えば、これこそ祖父のプロ意識だったと思います」

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