「東京国際マンガ図書館(仮称)」への懸念も...児ポ法改定を語る前に考えたい「表現の自由」という大ウソ

おたぽる / 2014年5月10日 19時30分

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『美味しんぼ』(小学館)における福島での鼻血の描写をめぐって、「表現の自由」か否かという議論が絶え間なく続いている。

 児童ポルノ法の問題を取材していると「表現の自由」という言葉を聞かない日はない。試しにツイッターで検索してみたが、毎日誰かが「表現の自由」という言葉を含んだツイートをしている。

 児童ポルノ法の問題に限らず国家などによる創作物への抑圧に対して批判的な人々は「表現の自由を守ろう」という言葉を、よく使う。

 けれども「表現の自由」という言葉ほど「俺の考えているのが正しくて、アンタのは違う」と齟齬の激しいものはない。そして、誰もが自分の思想や立ち位置によって「これは表現の自由、これは違う」と勝手に判断する。そして、自分の考える「表現の自由」にとって、都合の悪い表現からは、目を背けるか、なんらかの理屈をつけて国家権力による弾圧をも辞さないのである。

 昨年、大いに盛り上がった、いわゆる「反レイシズム」の運動の折、取材中にこの問題に深く関わっている有田芳生氏に出会った。「レイシズム」を防ぐためには立法化が不可欠だという有田氏に「それでは、表現の自由を抑圧してしまうのではないか」と、問うたところ彼は、こういうのだ。

「そんなことはない。海外では、表現の自由への介入を避けて立法化が出来ている」

 海外の事例はともかく、常日頃から「右傾化」だの云々と批判をしている現政権なり国家などに新たな武器を渡すことに躊躇がない。そこに論理の破綻を感じない理由が、私にはわからない。

 もちろん、人間はさまざまな自己矛盾を抱えているものだ。「表現の自由」という視点を通して、その矛盾はさまざまな形で見えてくる。

 去る憲法記念日の5月3日、『東京新聞』の社説に次のような一文があった。

"護憲集会に自治体の後援拒否の動きが広がっています。大学でもそうです。学生が「憲法改正反対」を唱え、教室で集会を開こうとしたら...。明治大学は「思想色が強い」と判断し、集会は「認められない」。慶応大学も「学生有志による教室利用や集会は、理由にかかわらず認めない」と回答しています"

 現行憲法の是非は、ひとまず置いておいて、読者の中にも「おやっ?」と思う人はいるのではなかろうか。明治大学といえば、マンガを多数収蔵する米沢嘉博記念図書館という日本有数の施設を持ち、マンガ・アニメの表現を抑圧する動きがあった時には、さまざまな意見表明をする碩学が揃っていることでも知られている。けれども、この文章の中で触れられていた学内において「表現の自由」が抑圧されていることに対して意見を述べている様子は、まったく聞かない。興味のないことだから、触れていないのか。あるいは「自分の考える表現の自由」とは無関係と考えているのか。

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