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「讃岐うどんの創始者」は ①水戸黄門②一休さん③空海の誰?【オトナの歴史クイズ】

OTONA SALONE / 2019年8月29日 7時30分

知らなければ知らないでよし、でも知っていれば気まずい沈黙を破るきっかけになるかもしれない世間話。そんな時に役立つ歴史の知識をクイズ形式でお届けします。

香川県にうどんをもたらした人はだれ?

香川県といえば「うどん県」と自ら称するほどうどん食がさかんな土地。さぬきうどんのコシがあるのにツルツルとのど越しもよい食感は、とてもおいしいので好きな人も多いのではないでしょうか。

さて、讃岐国(現在の香川県)にうどんをもたらしたとされている人物は次のうち誰でしょう?

① 水戸光圀(水戸黄門)
② 一休宗純(一休さん)
③ 空海(弘法大師)

 

学んだのは仏教だけではなかった!?

正解は「③ 空海(弘法大師)」です。

真言宗の祖である弘法大師(空海)は774年に現在の香川県善通寺に生を受けたとされています。その後、遣隋使について唐にわたり、仏教を深く学んだのちに帰国し、真言宗を開きました。帰国するときに空海は仏教に関する知識や教典だけではなく、うどんの製法も学んでいたようです。821年に満濃池という池の大改修工事を行うために讃岐に戻ってきた空海が、この地にうどんの製法を伝授したとする説があります。

ただ、空海が讃岐にうどんをもたらした話は地元では有名ですが、はっきりとした証拠はありません。甥で十大弟子のひとりである智泉が、讃岐の両親に食べさせたことを始まりとする言い伝えもあります。

讃岐うどんが表れる最も古い資料は金刀比羅宮の「金毘羅祭礼図」と呼ばれる屏風絵で、江戸時代(元禄ごろ)と考えられ、ここにいくつかのうどん屋の様子を見ることができます。ただし、この時代には京都や大坂にもうどん屋がすでに存在していたようなので、うどん文化の最前線だったともいえないようです。

 

「讃岐」が「うどん県」になったワケ

ところで、なぜ讃岐でうどん文化が栄えるようになったのでしょうか。それは海が近いこと。塩をつくる塩田が香川県にはたくさんありました。塩はうどんには欠かせない素材の一つ。また、小麦を育てるのにも適している土壌がここにはありました。いまでは輸入小麦が増え、栽培面積は減少していますが、昔は小麦生産で有名な土地だったのです。
さらに、瀬戸内海に浮かぶ小豆島の特産品は醤油です。醤油はつゆとして欠かせません。また、海が近いことで出しに使ういりこも豊富に獲ることができました。

このように、あらゆる好条件が讃岐うどんの普及につながり、いまや香川県のうどんの消費量は1位、「うどん県」といえばだれでもわかるほどになりました。地元のプロサッカーチーム(J3リーグ所属)の名前も「カマタマーレ讃岐」と釜玉うどんに由来するものです。

空海がうどんをもたらしたということは、もしかしたら言い伝えにすぎないかもしれません。けれども、茹で立ての麺をすする時にうどんの歴史に思いをはせてみたら、ロマンの味が加わって一層おいしくなるかもしれません。

 

【参考】

木下製粉株式会社

 

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