臨月の私を残して消えた夫。20年後、辛すぎる戦いの結末は

OTONA SALONE / 2020年8月2日 20時0分

閉経の前後5年を一般に、更年期と呼びます。日本人の閉経の平均年齢は50歳なので、45-55歳の世代は更年期に当たる人が多いもの。身体の不調に苦しみ「更年期障害」の状態に至る人もいます。

私ってもう更年期なの? みんなはどうなの?

オトナサローネは同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています。(ご本人の年齢や各種の数値は取材時点のものです)

 

【100人の更年期#39

プロフィール

54歳。27歳の長女と16歳の長男を持つシングルマザー。福岡で美容関係の仕事をしている。現在は息子と二人暮らし。

 

私の更年期は、夫の暴力で悪化しました

私は4年前、50歳で離婚を経験しました。逃げるように東京を離れ、いまは実家のある福岡で息子と2人で暮らしています。

きっかけは夫の暴力でした。

48歳の時、夫が経営していたアパレルの会社が経営不振で倒産。

そして夫が私に八つ当たりを始めるようになったんです。

言葉の暴力や携帯を盗み見されたり、息子に私の悪口を言ったり、いわゆる「モラハラ」ですね。

その頃から激しい動悸やホットフラッシュ、突然の冷えやめまいに襲われ始めました。

夫との関係のストレスから更年期の始まりを感じました。

 

ここまでくる経緯をお話しします。実は夫との関係がとても複雑なんです。

 

26歳、幼馴染の夫は臨月の私を残して失踪した

20代の頃、幼馴染同士の2人でパリに留学してアパレルの勉強をしていました。

26歳で長女の妊娠がわかり、きちんと2人で生活していこうと私は一旦九州の実家に帰ることに。

夫も帰国して東京で住まいを見つけ、結婚する約束でした。

ところが「東京にアパートを見つけた」という連絡があったきり、音信不通になってしまったんです。

どんどん大きくなっていくお腹をかかえ、不安でおかしくなりそうな日々でした。

それでも両親と妹の助けを借りて、無事に長女を出産できて本当に嬉しかった。

音信不通と言っても、幼馴染なので夫の家族は近所に住んでいます。

夫の家族と繋がっていればなんとなく大丈夫と自分に言い聞かせ、幸せなんだと思い込んでいたのかもしれません。

 

夫の消息を探して東京へ。ところが衝撃の事実が

パリから戻って1年ほどして産後の体調が戻った頃に、夫の住所を探し出し東京へ向かいました。

ところがそこで衝撃の事実が発覚しました。

なんと、夫は別の女性と結婚していました。

もうパニックと虚無感に同時に襲われて、頭が真っ白になってしまいました。

福岡に置いてきた娘が心配で一度戻りましたが、夫の両親に詰め寄ってものらりくらりとかわされるばかり。

信じていたのに、夫の家族にも騙されていたのかという絶望感。

地獄に突き落とされたような気持ちになりました。

それでも娘を育てなくてはならない、その気持ちだけが支えでした。

幸い実家が代々続く薬局だったので、まずは「薬種業」の資格をとりました。今で言う「医薬品登録販売者」に当たります。

美容にも興味をもち猛勉強をして、国際的に通じるエステの資格を取得。実家の薬局の片隅を改造してエステサロンを開きました。

その後もアロマテラピーアドバイザーや漢方の資格、ワックス脱毛講師と娘を育てる為に必死で勉強と仕事をする毎日でした。

 

36歳の時に突然、夫が戻ってきて…理由に愕然とするも

ところが、娘が10歳になる頃、東京から夫が突然戻ってきました。

理由を聞いて愕然とします。

「妻」が病気で亡くなったそうです。だからってノコノコと戻ってくるなんて!

最初は反発しか覚えなかったのですが、「娘に会いたい」と毎日のように懇願され、両親や夫の両親にも説得され、結局は結婚することになりました。

私も「娘の為には両親が揃っていた方がいい」「今後の娘の進学や将来を考えると金銭的に余裕が欲しい」と縋るような気持ちもあったのは事実です。

夫(ここで本当に夫になったわけですが)は東京でアパレルの会社を経営していたので、親子3人で新しい生活を始めます。

38歳で長男も生まれて、このまま順風満帆な生活が続くとばかり思っていました。

 

47歳で再び働きに出ることに。でも夫の態度が豹変し…

2011年の東日本大震災の後、夫の会社の経営がうまくいかなくなりました。

会社の規模を縮小して、私も働きに出ることに。

美容の資格をたくさん持っていたのが幸いし、美容学校の講師やサロンでの施術など家を空けることことが多くなったんです。

すると今度は夫の態度が変わり始めました。

私は必死で家族を支える為に働いているのに、私の財布の中をのぞいたり、携帯のSNSをチェックしたりし始めたんです。

しまいには自分のことを棚に上げて「男がいるんだろ!」とまで言いだしました。

昼夜を問わず働いていた疲れと、夫からのモラハラで私の身体はどんどんおかしくなっていきました。

48歳を迎える頃には生理が不安定になり、ひどいホットフラッシュが始まります。

美容学校で教えている最中にも、冷房が効いているというのにシャワーを浴びたように頭からだらだらと汗が滴り落ちてしまい「清潔感が大切と教えているのに」と酷く落ち込みました。

家に帰れば夫の罵りを受け、どんどん精神的に追い込まれていきます。

そしてある夜、仕事を終えて帰ると、またひどい言いがかりから遂に夫が手をだしたのです。

私は腰を強く打ち付けてしまい、全く動けないのに夫は暴言を吐いて、家を出て行ってしまいました。

「ああ、もう限界だ」

やっと気が付いた私は、スーツケースに必要な荷物を詰め込み、夫がいない間に逃げるように家を出てマンスリーマンションに移りました。

長女は独立していましたが、息子は小学6年生で卒業を控えています。

「子どもを置いて出て行くなんて母親失格だ」という気持ちで涙が溢れました。

幸い夫は息子には優しかったので、長女に息子の様子を見るように頼んで、福岡に帰る決心を固めました。

 

50歳で離婚、更年期の症状との新たな戦いが始まる

息子の小学校の卒業のタイミングに合わせ、東京の家を引き払い、福岡で新しい生活が始まりました。

実は夫の事業が傾いたときに家の名義を私に変更していたので、弁護士をたて夫を追い出し離婚調停を始めます。

その頃、私の更年期の症状は頂点を迎えていました。

ひどい鬱と不眠、腰の冷え、頭痛が重なって、一日中寝込むこともしばしば。

婦人科にかかりましたが、やはり「更年期なんで仕方ないですね」という言われてしまう始末。

今思えば、きちんと自分の事情を話して心療内科を紹介してもらえば良かったと後悔しています。

更年期の症状は本当に心と密接に繋がっているんだと思い知らされたんです。

今後の生活のことを考えると動悸が始まり、このまま心臓が止まってしまうのではないかと思うこともありました。

それでもやっと離婚ができて夫から離れられたこと、息子が福岡の中学に進学してすぐに馴染んでくれたこと、娘の応援、母の助けがあったからなんとか一つずつ乗り越えてきたように思います。

以前に勉強した漢方の知識を活かして加味逍遙散を飲んだり、イソフラボンのサプリを飲んだり、プラセンタの注射をしたり、なるべく自分を奮い立たせることを取り入れるようになったのも良かったのかもしれません。

 

来年からは高齢の母を引き取って、息子と3人で暮らしたいと思っています。

少しずつですが、自分の人生を前向きにと思える日も増えてきました。

 

 

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