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女40代、生きづらさを感じたら「先輩づら」の辞め時|女のギアチェンジVol.15

OTONA SALONE / 2020年10月31日 20時30分

先輩づらはオワコン

なるべく自由に生きることを信条にしているので、人のことには基本的に無頓着なのだが、日々様々な人と仕事をするなかで、これはあまり好きじゃないなあと思うことのひとつが「先輩づら」である。

 

いろんな現場で、相手先の上司と部下が同席している場合や、しばしば私自身の元上司がいたりする場合があるが、なんというか上からの物言いをしたり、不必要なため口を使ったりするのが気に障るのである。その場には彼らの上下関係には関心のない人もいるにもかかわらず、高圧的ではないものの「ここで上下関係をはっきりさせておきます的な発言」や「うちら仲良し和気あいあいとやりましょうや的ないざない」に、それ要らなくね?と思ってしまうのである。

 

ちなみにそんな折の「後輩づら」もほめられたものではない。一番下っ端なので末席を汚させていただきますという風情の人を見つけると、なぜ来た?と思ってしまう。自分の職務を全うすれば良いだけなのに、末席な自分を演出する人は、逃げか、仕事相手を見ず先輩を気遣う人に映ってしまうからだ。

 

さて、「先輩づら」にはいくつか弊害があると思う。周囲に対してカッコ悪いだけならまだしも、一番問題なのは、あの人怖いし面倒くさい人よねと後輩に煙たがられてしまうことである。実はこういう人ってかなりの数で存在していると思う。

 

なぜ先輩づらをしてしまうかは、いろんな要素があって、元をただせば終身雇用制度や年功序列など日本的企業文化が深く関わっている事も考えられるが、それ自体ゆるやかに崩壊しつつある今、そろそろ先輩づらもやめ時なのじゃなかろうかと思う。私は以前からそう感じているので、あらためて信条を述べてみたいと思う。

 

いい歳こいた女の生活信条

 

  • 誰に対しても敬語を使いたい。私は自分の元教え子であっても実社会で仕事の相手として再会した場合は敬語を使うようにしている。たとえ経験値は低くてもプロとして敬うことが相手のためであると思うから。ただし図に乗ったら突き放す。

 

  • なれなれしい人に対しては上司や後輩にかかわらず受け身に徹しつつ距離をおきたい。呼応してしまうと相手のみならず周囲にも、私がなれなれしい人間と判断されてしまうから。他人なのだから他人行儀で良い。

 

  • 辞書を引き続け、学び続けたい。自分が年少の人間よりものしりであるなどという思い上がりは、ただちに他人からの軽蔑につながっていくから。

 

  • 他人からコワい人だと評価されたら、すぐさま自分の弱点を見直したい。コワさの裏にこそ自分の隠したい弱点が潜む。私がこれまで会った超一流の悪役プロレスラーの人たちでコワい人はひとりもいなかった。強い人はぜんぜんコワくない。

 

  • 服装やメイクは自分流で良しとする。人の印象に残るのは本当に素敵なわずかな人たちだけで、そこには到底及ばないからいつも徒労に終わる。どうせ誰も見ていないなら好きなものを着る。すると不思議と注目されるようになるか、解放されて自由になるかどちらかに収まる。

 

女はいつだって誰だって悩んでいる、と思う。大した事柄ではないがこんなふうに思っていると結構気楽に生きていけるときもある。

谷崎純一郎の名文「私の日常道徳」には遠く及ばないが、私はこういった生活信条を時おりアップデートしながら、世間を斜に見つつ楽しんでいる。

 

 

≪フリーアナウンサー、ナレーター 近藤サトさんの他の記事をチェック!≫

 

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