「ただの医者の妻でしょ?」50歳で夫に去られたマダムが思い知ったこの世の「地獄と栄光」
OTONA SALONE / 2022年12月5日 21時0分
50歳を迎えたある日、人生を二人三脚で歩んできた最愛のパートナーが急逝。けれど、悲しみに沈む暇もなく、パートナーがいてこその事業は立ちゆかなくなり、2億円の借金が両肩にずっしりとのしかかってきた。
あなたなら、ここからどんな人生を考えますか?
今回のインタビューの主人公で、初めての著書『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく』(PHP研究所)を上梓したばかりのエミチカさんが選んだのは「普通ではない」道でした。さまざまな困難と向き合いながら、再び経済的な成功を手にして、さらには「ありのままの自分で生きる方法」をつかみ取ったのです。
エミチカさんはいまセレブの国・モナコ公国に、「パレスエリア」(モナコ大公宮殿エリア)に住む唯一の日本人として暮らしています。50歳のあの日から十数年、何が起き、どう受け止め、考え方を変え、行動に移し、寓話のような今があるのかを聞きました。
『医師の妻』『良妻賢母』として生きてきた。なのに、突然の夫の急逝ですべてが変わった
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在りし日の夫と子どもとのカット。
「子どもの頃のことを思い出すと、いつも周りの家族以外の大人がいる光景が浮かんできます。祖母と父が会社を経営していたので、人の出入りが多い環境で。子どもながらに安らげる場所がないな……と感じていました。そこで、ホームドラマに出てくるような『普通の家族』に憧れ、『結婚して家庭をつくれば幸せになれる』と思い込む。そんな10代でした」
大学卒業後、大手商社に就職したものの、祖母が見つけた眼科医の男性とお見合い。すぐに結婚し、寿退社することになりました。
「ここから『医師の妻』としての人生が始まりました。夫は、クリニックの開業だけでなくメディカルサポート法人も立ち上げ、私はその取締役に。経営には携わっていましたが、スタッフから見れば『院長の奥様』。名ばかりの取締役としか見られていませんでした。また、長男と長女を授かって母となった後は、子育てが生きがいに。良妻賢母であることが、自分のアイデンティティーになっていきました」
子どもたちの成長を喜びながら、地域医療に貢献する夫を支えてきたエミチカさん。ホームドラマで描かれる『普通の家族』以上の幸せな日々です。ところが、50歳のある日、眼科医の夫が急逝。ここからエミチカさんの人生は大きく変わってきます。
医師が亡くなったクリニック。無為に毎月数百万円が出ていくのを「ただ見ているしかない」
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医師を失った江見眼科はすぐさま危機に襲われた。
「医師を失ったクリニックは休業するしかありません。しかし、地域医療に心血を注いでいた夫の意志を継ぐためにも閉院だけはしたくない……。そこで、銀行の担当者や会計士、税理士、そして医師会の人たちに助けを求めました」
ところが、誰もが「閉院しなさい」という態度を示してきたと言います。
「夫をサポートしてきてくださった人たちからすれば、『院長の奥様』に後任の医師をみつけるのは無理ということだったのでしょう。それが何よりも安泰な道だったのかもしれません。一方で、さまざまな支払いは待ってくれません。休業しているので収入は一切なくなりましたが、建物と医療設備の借り入れの返済、スタッフの人件費など、毎月数百万円が出ていきます。手元のお金がなくなっていくのをただ見ているしかない……。切実な状況に追い込まれました」
働きに出ることも考えたというエミチカさん。しかし、そのプランは現実的なものではありませんでした。
「『ネイリストの資格をとって、クリニックでネイルサロンを開いたらどうかな』と想像して、『1人8000円で、1日に5人お客さんが来てくれたら売り上げは4万円。月に100万円くらいは稼げるかも……』と。いま思えば甘い計算で、葬儀を終えた私は、生きていく術を何一つ持ち合わせていない自分にがく然としていました」
(私は何をして生きていきたいの?)(人生このままでいいだろうか?)
人生最大の苦難に見舞われながらも、周囲の目を気にして見栄を張り、気丈に振る舞い、とにかくクリニックを再開したいという思いで後任のドクターを探しに奔走したエミチカさん。全国を走り回ってやっと女性医師を見つけ、1年後にクリニックは営業を再開。しかし、これで一安心とはいきませんでした。
「新しい医師と、夫と同じようなパートナーシップを築けるはずもなく、経営は限界を迎えたのです。さらに、クリニック再開1年半後に、その医師との関係が悪化してクリニックは再び休業することに。私はすっかり気が動転してしまいました」
混沌とした状況下、エミチカさんの中に、ある一つの問いが浮かんできたと言います。
“私は何をして生きていきたいの?”
「これまでずっと、誰かの庇護のもとで暮らしてきた私は、この問いをきっかけに、少しずつ変わり始めました。人生で初めて、『自分の人生を生きていきたい』という思いが芽生えてきたのです」
“人生このままでいいだろうか?”
「私は、自分の人生を懸けられる新しいものに出会いたいと思いました。50代の専業主婦が新しいフィールドに踏み出すのは勇気のいることです。でも、暗闇の中で呆然としているよりも、希望があるほうへ向かいたい。じっとしているよりも動いたほうが何か見つかるはず……。そう考えて、私はクリニックの廃業を決め、自分の意志で新たなビジネスを立ち上げることを決めました」
ビジネス経験ゼロの「院長の奥様」が立ち上げたエステ。案の定の失敗を受け止められない
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好きなものを詰め込んだ、すてきなサロンができたが。
エミチカさんが始めたのはエステサロン。とはいえ、美容ビジネスの経験はゼロで、自分が受けて感動したサービスの経験だけを頼りにスタートを切ったそうです。
「100点は目指さなくていい、10点でも、20点でもいいから歩み出すのが大事と思い、踏み出してみると、経験ゼロで突き進もうとしている51歳の私を応援してくださる方がたくさん現れるようになりました。このとき、『自分の思いを周囲に伝えると、物事の進むスピードが速くなっていく』ということを学びました」
天井にはバラのレリーフを施し、最新鋭の機器を揃え、内装の細部にまでこだわり、理想のサロンを現実の形に。「こんなに素敵なサロンはないと自信満々」でのオープンでしたが、思ったように会員数は増えていかず……。
「事業を継続していくだけの売り上げはありましたが、私が期待していたような評価や反響は得られませんでした。その理由は、今ならよくわかります。『お客様をおもてなしするための最高の空間』と言いながら、結局は自分の好みを追求していたのです。それなのに当時の私は、売り上げが伸びない責任をほかに転嫁していきます」
「田舎だから」「宣伝の担当者が悪い」「スタッフの努力が足りない」「この良さに気づかないお客さんが悪い」。そんな考えを改めることができなかったエミチカさんは、「夫に先立たれたあと、自分の力で成功する経営者」という100点満点のイメージを追いかけ、東京進出という決断を下します。
みるみる負債がかさんでいく。なのにリッチな「成功者のイメージ」を手放せなかった
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自身を広告塔する美容メーカーへと転身。
東京進出に合わせ、旧知の美容機器メーカーの経営者から「美容商品を開発したらいい」とアドバイスを受けたエミチカさんは勝負に出ます。オリジナル商品の企画・製造・販売に踏み出したのです。社名も「EMICHIKA」と改め、自分を広告塔として発信するブランディング戦略を取ることに。美容業界の関係者が数万人規模で来場するビューティーショーに初出展。ブースに長蛇の列ができたことでビジネスの可能性を感じたと言います。
「ただ、この時期も経済状況は厳しいありさま。サロン経営は相変わらず平行線。美容商品は、投資が先行する段階で、お金はどんどん出ていきます。多額の広告宣伝費を使い、業界紙への広告出稿も続けていました。ビューティーショーへの出展は、1回ごとに数千万円の経費がかかります。成功のイメージを醸し出す一方で、会社の経営状態は悪化していきました」
それでも、「ゼロからスタートしてここまできた」と話題になることで、功名心が満たされていたというエミチカさん。「次の出店は?」「次の広告展開は?」と聞かれると自負心はさらに上がります。「資金的に苦しい」とは言い出すことができないまま、前に進んでいくしかなかったそうです。
「経費削減のため、三重と東京を自分の運転で往復。それも高速道路の深夜割引の時間帯を使って移動したり、スーパー銭湯で仮眠を取ったりしてから、「EMICHIKA」の広告塔エミチカに変身するような日々。4回目のビューティーショーに出展したとき、負債は1億円を超えていました。それでも不思議なことに、不安は昂揚感で抑えられ、冷静な自分もいました。最後の最後、頼りになるのは自分だけ。東京での成功体験も、失敗体験もすべて吸収して、これからも強く生きていかなくちゃ、と」
取材・文/佐口賢作
▶【後編に続く】お金を切り詰めて身体に無理をさせた結果、ついにあの難病に…これが、この姿が私なの?
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