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梅宮アンナ、娘に「口すっぱく」言ってきた3つのこと「あいさつ」「言葉づかい」意外なもうひとつは#5

OTONA SALONE / 2023年6月16日 21時1分

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モデル・タレント、梅宮アンナさん。20歳でファッションモデルとして芸能界にデビュー。ファッション誌『JJ』の表紙を飾り続け、CMにもひっぱりだこに。30代では活躍の場をTVバラエティ番組にも広げ、まさに老若男女問わずお茶の間の話題をさらい続けてきました。モデルとしてこれだけ全年齢に認知度の高い人は他にはいません。

 

プライベートでは、時代を象徴する人気モデルでありながら恋愛事情を隠さず、そのつど自分の気持ちをストレートに吐露するスタイルに賛否両論が集まり続けます。28歳で結婚、29歳で長女を出産、そしてシングルマザーに。

 

そんなアンナさんが47歳のとき、父で俳優の梅宮辰夫氏が死去。偉大なる父とカリスマの娘、親子でお茶の間に愛されたファミリーの「看取り」は世間の耳目を再び集め、最近では「親が亡くなった後の始末」についての壮絶な体験を語る機会を求められることも増えました。

 

百々果さんのお受験体験から、不登校の問題、お金の教育や自立して生きる人間にするための教育方針など、アンナさんが文字通り七転八倒しながら取り組んできた数々の子育てエピソードを語ってくれました。最終話の5話目は「口をすっぱくして娘に伝えてきた3つのこと」。

 

子どもを「勉強しなさい」と叱ったことはない。だって、私も好きじゃなかったから

——ひとり娘・百々果さんの育児もいよいよ終盤、自立の段階です。これまでを振り返って、アンナさんはどんなときに子どもを叱りましたか? 勉強しなさいとか、門限を守りなさいとか?

 

それも、よく聞かれますね。でも、私は勉強をしなさいと言ったことはないんです。だって、私がお勉強しなかったし、好きじゃなかったから。自分がやらなかったことをやれとは言えないなって。

 

ただ、百々香の通っていた学校は、「学生は、勉強が本分です。成績が悪かったらクラブ活動は禁止」という方針だったので、一生懸命やっていましたよ。

 

彼女は、理系は得意なんですが文系が苦手で、特にスペイン語に苦労していた記憶があります。「バレーボール部をやめたくないから」と泣きながら試験勉強してましたね。

 

門限で叱ったこともありません。百々果だけじゃなくて、今の子って夜遊びとかあまりしませんね。高校くらいのときに、友達と出かけるっていうから「9時までには帰ってきなさいね」と言ったのに、6時とかに帰ってきちゃうんですよ。で、部屋にこもってずっと、さっきまで遊んでいた友達とラインでやりとりしてるの。何なんだろうと思うんですが。

 

とにかくスマホを手放せない。私は、そこは問題だと思っています。スマホというフィルターを通さないと、言いたいことも言えなくなってくると、直接やりとりするパワーが弱るだろうと感じていて。そりゃ、傷つきやすく、打たれ弱くなりますよね。なんだったら、人を前にして「おはよう」って言うのすら、さらっと言えず、パワーがいるんじゃないですかね。

 

 

徹底して教えたのは「あいさつ」と「言葉づかい」。あいさつは必ず自分からと

 

「おはよう」と言えば、私が口すっぱくして娘に言ってきたことは「あいさつは自分から」です。これは、私自身が父に言われて続けてきたことでもあります。ですから私も、芸能界でも、先輩はもちろん後輩であっても、自分から声をかけていました。

 

直接の知り合いではなくても、両親がお世話になっている人と出会ったら、自分から駆け寄って「いつも父がお世話になっております」とあいさつしていました。よほど、変わった方でなければ、嫌がられませんね。

 

先日、百々果が、私の知らないところで仕事関係の方に「母をよろしくお願い致します」とあいさつしていたと聞いて、驚くと同時に、うれしかったですね。

 

――ごあいさつとともに、言葉づかいにもこだわりを持ったというお話を聞きました。

 

娘をインターナショナルスクールに入れたときから気をつけていたのは、美しく正しい日本語もきちんと話せるようになってほしいということ。そのために子どものときからさせたことがあります。

 

それは、お店の予約。わが家は外食が多いので、電話でお店に問い合わせる機会も多いのです。娘がお店に電話するのを隣で聞いていて、そのつど、言い方を直しました。

 

例えば、「梅宮ですけど」は「梅宮と申しますが」に。

 

「予約したいんですけど、あいていますか?」は「予約をお願いしたいのですが、お席はありますでしょうか?」に。

 

あとは、こまかいことですが「〜をお願いします」ではなく「〜をお願いできますか?」と申し上げた方が印象が柔らかくなることなど。

 

最後には必ず「ありがとうございます」や「よろしくお願いいたします」とお店の方に伝えることも必須です。これらをすべて、かなり厳しく言いました。

 

当初は「え、やだ。恥ずかしい。面倒くさい」と嫌がりましたけど、私、けっこう厳しいので、やりなさい!って。でも、今では、百々果が電話する様子を耳にした方々は「きちんとしているね」って言ってくださいます。

 

そういった言葉づかいやふるまいは、一生失うことのない、彼女の身を守る財産になりますから。

 

「子どもだから」と容赦はしなかった。子どもであっても場の空気を読む

――あまり「子ども扱いしなかった」というお話もありましたよね。

 

はい。もうひとつ、百々果が小さいときから口をすっぱくして注意してきたことに、「場の空気を読むこと」がありました。2〜3歳くらいのときから、大人が話しているところに「ねえねえ」と割って入ってきたら「今お話をしているでしょ。私たちの話が終わってからにして」って。「場の空気を読みなさい」って。まったく子どもファーストではありませんでした。

 

百々果は小学生くらいのときから空気を読む力のある子に育ちました。とはいえ、自分の考えというものはすごくある子なので、周りの空気に迎合するという子ではないんです。親からしたら「もうちょっと愛想よくしてくれたらな」と思うほどに。

 

そういえば、娘のアメリカのアルバイト先に顔を出したとき「百々果は、余計なことを言わないし、余計なことに首を突っ込まない。聞かないふりもできるし、すごく賢い子だね」と言われて、あ、ちゃんと空気を読んで生き抜く力がついてるなと思いました。

 

 

それを目指したわけではないが「友達のような親子」になった。でも、決して友達ではない

今は、自他共に認める、なんでも話せる「友達のような親子」ですが、娘が思春期の頃は、生意気な口をきくこともあって、取っ組み合いの大げんかもしましたよ。

 

そんなときはきれいな日本語なんて言ってられません。「あ? 今、親に向かってなんて言った?」なんて言ったりしてね。怖いですよ私。無視ももちろん許しません。でもね、娘が中学生くらいになると、取っ組み合いのけんかにも負けちゃうわけ。ほら、あっちは日々バレーボールで鍛えてるから。服も破れるし、あざもできましたよ。もうお互い真剣勝負ですよ。

 

仮に友達のような親子であっても、親子は決して友達ではないんです。そこの線引きは、なあなあにはせず、きっちり引いていました。

 

百々果もなかなか頑固なので、すぐには謝れないことも多く、そういう場合は時間をおきました。その間はお互い口もききません。

 

2〜3日たってから「自分でも何が悪かったか本当はわかってるでしょ? ラインで、自分の何が悪かったかを書いて、反省文を送りなさい」ってメールをするんです。

 

すると、ちゃんと「ごめんなさい。私が悪かった」って謝ってくれます。ポイントは「必ず、何が悪かったのかを書いてもらうこと」。面倒くさいからと、その場しのぎで謝っても意味がありませんから。

 

私の方で気をつけていたのは、娘に「私がやってほしくないことをはっきり伝えておくこと」です。子どもも、親が何をしてほしくないのかわからないと気をつけようがないので困りますよね。いきなり怒られても、反省するのは難しいですから。自分がやってほしくないことを伝えてなかったなと思ったら、いきなり怒ったりはしません。

 

わが家のルールは、親に失礼な口はきかない、うそやごまかしはしない、約束したことは破らない、私が家にいないときに私の知らない人を家に入れない、などでしょうか。

 

 

反面教師として教えたのは「この世に悪い人はいる!」

――こうした教えはすべてご両親、梅宮辰夫さんとクラウディアさんの教えに基づくのでしょうか?

 

いいえ。私は、親元にいるときずっと「世の中に悪い人はいない」と言われて育ったんです。だから、むやみに人を疑ったりするのは、悪いことだと思って育ったんですね。

 

でも、社会に出てつくづく思ったのですが、いるんですよ! 悪い人、ずるい人、うそをつく人、だます人、人の足を引っ張る人。たくさんいます。何度「両親は私に世の中に悪い人はいるよって教えてくれなかったのよ」と思ったことか。

 

ですから私は百々果に「悪い人はいるから、気をつけなさいね」と言い続けてきました。私は案外リアリストなんです。

 

——ズバリお伺いしますが、そんな百々果さんの異性関係で心配することなどはありますか?

 

その質問も、同世代の娘を持つファンの方からよくされるんですけれども、娘が中学生くらいのときから、ボーイフレンドは、むしろいてほしいと思っていました。

 

私の持論なのですが、女の子は、彼氏がいないとはじけて遊ぶ傾向にある! 大好きなボーイフレンドがいる方が、いちずで生活も落ち着くんです。

 

三度目の不登校? 娘が2年間ニートになった。母親はどう見守るべきなのか

——さて、ここまで話題に出てきている百々果さんですが、コロナ禍の直前に日本で高校を卒業し、渡米。そのままアメリカの州立大学へ進学されたのですよね?

 

そうなのですが……。進学した年にコロナウイルスが流行し、オンライン授業ばかりでほとんど学校に行くことができなくて。半年くらいたった頃でしょうか、百々果から「大学にいる意味がわからない。退学したい。学費無駄になっちゃうけどいい?」と相談されました。

 

彼女の様子を見て、これは「頑張れ」と無理強いしてもよくないんだろうなと思ったので「いいよ」と答えました。百々果って、安易に答えを出す子ではないんです。慎重で忍耐強い彼女がそれだけ大きな決断をするってことは、よくよく考えてのことなんです。

 

でも、日本に帰ってきたはいいものの、こちらもコロナ禍ですし、そこから2年ほどは本人もやりたいことが見つからなくて。すごくつらそうでしたね。

 

ある意味、三度目の不登校であり、2年間はニートでした。問題はね、スマホがあるから永遠に、いくらでも暇つぶしできちゃうってことなんですよ。

 

—— 百々果さんの芸能界デビューというのは考えたことはないのでしょうか?

 

幼いときから、私の現場にちょこちょこ連れて行って仕事の様子も見せてたし、場合によっては同じ仕事もありなのかななんて思ったこともあるけれど、百々果はもの心ついたときから芸能界には絶対進まないと言っていました。

 

芸能レポーターが昼夜かまわず押しかけてきたり、いきなり写真を撮られたり、私があることないこと悪口書かれたりしているのを体験してしまったから。夢も持てないですよね。

 

 

百々果さんが20歳に。「自立できる人間に育てる」という目標を振り返ると

 

百々果がついに20歳になったんです。2年の間、目標を見失った娘をじっと見守っていましたが、そろそろカツを入れるときかなと思って「あなたどうするの? もう真剣に動きだすときじゃない?」って言ったんです。

 

しばらくして娘から「やっぱり学校に行こうと思う」と言われました。でも、彼女は、当初ハワイの学校に行きたいと考えていたんです。

 

私は直感的に違うんじゃないかなと思ったので「例えばフラのように、ハワイでしか学べないことがあるのならいいけど、そうでないのならもっと大きいところ、本土に行った方がいい。カリフォルニアで生まれたんだから、生まれた場所に戻ってみたら?」とアドバイスしました。

 

結局、彼女は、ビジネスを学びたいということでカリフォルニア州のコミュニティカレッジに進みました。コミュニティカレッジとは公立の二年制の大学で、正直、学歴という視点で見たら大学よりも世間の評価は下がると思います。でも、彼女が調べて決断したことですから心から応援しました。

 

今、百々果は将来不動産売買の仕事をするエージェントになりたいという目標を見つけました。来年は、コミュニティカレッジをやめて不動産の専門学校に行きたいと言っています。コミュニティカレッジは学費も期間ごとに払えるから無駄にならないんですって。

 

親の目から見ても、今、彼女はすごく頑張っています。アメリカがすごく性に合うみたいで、毎日がすごく楽しいんですって。彼女がずっとお世話してきた愛犬のスーちゃんとバブルスくんも連れて行ってしまったし、もう、日本にはあんまり帰ってこないんだろうなと思うと寂しいけれど、仕方ないですね。

 

(と、ここで涙目になってしまうアンナさん)

 

もうねえ。娘のところから帰ってくる飛行機で涙が止まらなくなったり、娘との距離が離れていくことを実感するたびに、ひとりでおいおい泣いちゃったり。自分でも「あら? 私、こんなにモモさんのこと好きだったかしら?」って思うほど感傷的になっています。

 

でもね、子どもはしかるべき時期に親離れしなくちゃいけないし、子どもが親から独立できるように背中を押すのが親のいちばん大切な仕事だと思っているので。

 

とはいえ、親から見て娘に足りない部分は、まだまだあるので、注意したり、怒ったりすることはありますよ。

 

先日も、報告・連絡・相談、いわゆる「ほうれんそう」がないことにブチギレました。穏やかに注意しているうちは響かないんで、最後は厳しめに。今後、社会に出て仕事する上でも絶対に身につけないといけないことですから。

 

「仕事ならやる」なんてことはありえなくて、日頃からやっておかないとできません。「ほうれんそう」って、仕事のためのスキルというよりも、結局、相手を不安にさせないとか、感謝の気持ちを伝える、という思いやりの心でもあるんですよね。

 

そんなこんなで子育てがひと息ついたとはいえ、まだまだ「人間教育」は続くのかなと覚悟してもいます。

 

子育てがひと息ついた今、次なる自分の人生でやるべきことを考えています

 

今、50歳というタイミングで、自分の人生を振り返ると……。

 

つらかった小学校、中学校時代。続いて、自分で探した高校でようやく楽しく過ごせた10代。

 

モデルとしてタレントとして駆け抜けた20代、子育てに七転八倒した30〜40代。

 

そして、50歳になるまでの2年間は、父が亡くなった後の法的、物理的な整理整頓と引き継ぎ。こんな感じでしたね。

 

さて、50代は何をするのか。まだお話はできないのですが、企画していることがいろいろあります。その準備のためにもアメリカに頻繁に出かけることに。

 

また、皆さんに、お伝えできる機会があったらなと思っています。

 

取材・文/斯波朝子(オフィスCuddle) 撮影/廣江雅美

 

梅宮アンナ初の独白「40年前、私立小で教師にいじめ抜かれた私が、ひとり娘のお受験を決めるまで」

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≪OTONA SALONE編集長 井一美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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