梅宮アンナが赤裸々に語る「娘の不登校体験」。すべての親を励ましたい、私たちは大丈夫だって#3
OTONA SALONE / 2023年6月15日 21時2分
モデル・タレント、梅宮アンナさん。20歳でファッションモデルとして芸能界にデビュー。ファッション誌『JJ』の表紙を飾り続け、CMにもひっぱりだこに。30代では活躍の場をTVバラエティ番組にも広げ、まさに老若男女問わずお茶の間の話題をさらい続けてきました。モデルとしてこれだけ全年齢に認知度の高い人は他にはいません。
プライベートでは、時代を象徴する人気モデルでありながら恋愛事情を隠さず、そのつど自分の気持ちをストレートに吐露するスタイルに賛否両論が集まり続けます。28歳で結婚、29歳で長女を出産、そしてシングルマザーに。
そんなアンナさんが47歳のとき、父で俳優の梅宮辰夫氏が死去。偉大なる父とカリスマの娘、親子でお茶の間に愛されたファミリーの「看取り」は世間の耳目を再び集め、最近では「親が亡くなった後の始末」についての壮絶な体験を語る機会を求められることも増えました。
百々果さんのお受験体験から、不登校の問題、お金の教育や自立して生きる人間にするための教育方針など、アンナさんが文字通り七転八倒しながら取り組んできた数々の子育てエピソードを語ってくれました。3話目は「百々果さんの不登校」にまつわる秘話。
娘の二度の不登校。最初は小学校のときだった
――アンナさんも不登校気味だったことがあったというお話を伺いましたが、娘の百々果さんはいかがでしたか?
百々果が小学校5年生のとき、お友達との関係がこじれてしまって、学校に行きたくないと言い出したんです。よくよく話を聞いてみましたが、百々果が悪いとも思えませんでしたし、彼女の気持ちもよくわかったので「行かなくていいよ」と言いました。
このとき、この子は随分と意志がはっきりしていて、ひとりでも平気な精神を持っているんだなと思いました。そして学校の先生にも、親にもきちんと自分の気持ちを伝えることができる子なんだなあと。
結局、10日後くらいに、相手の子が謝ってきたのですが、百々果は許さなかったんです。私は、そのときもう好きなだけやらせようと思いました。
――不登校の間、不安にはなりませんでしたか?
なりません。むしろ「ねーねー、一緒にディズニーランドに行こうよ」って私から誘って、平日のディズニーランドで遊んだりしましたね。
私は、親に学校へ行きたくない理由やつらい状況を理解してもらえず、心は瀕死の状態だったし、言ってもどうせわかってもらえないからと心を開くことができなくて。だから私は、そういう親になっていないんだって安心したくらいです。
結局、もう1週間くらいたったところで「このまま行かないと、留年することになると思うけどいい? 来年から年下の子たちと授業受けることになるよ」と。脅すのではなく、この先に待っている現実を淡々と伝えたら、「う〜ん」と幼いながらに考え込んでいました。
2〜3日して「留年はカッコ悪いから行く」と言って、また通い始めました。
——やっと学校に行ってくれた瞬間、やはりホッとされましたか?
いや、学校に行くことについて特別ホッとしたわけでもなく、ただ「元気になってよかったな」って思いました。
というのも、それまでも、ときどき、朝「今日、学校行きたくな〜い」と言い出すことがあって、私は必ず「いいよ〜、行かなくて」って答えてました。毎日同じ気分じゃないし、気持ちが疲れることもあるしね。
「そのかわり明日は行ってよね〜」とは軽くつけ加えていました。先にお話ししたように、自分自身が合わない学校に毎日通って、小学校、中学校と心が傷だらけだったので、無理に行かせることがいいこととは思えなかったんです。
母のクラウディアさんは(私は母を「さんづけ」で呼びます)、娘を学校に行かせようと努力しない私に「甘い!」って怒ってましたよ。百々果にも「学校行きなさい!」って怒ってましたし。
私は、学校に無理やり行かせることよりも、子どもが「学校に行きたくない」、「今、友達とうまくいっていない」などと早めに親にSOSを出せる関係を築くことが大切だと思っています。
なぜなら私自身が「親に言ったって、どうせ行かなきゃダメって言うんでしょ」って思っていて、「学校に行きたくない」と誰にも言えず、子ども心にすごくつらかったから。
二度目の不登校。高校に入学早々、学校大好きな娘が急に行けなくなった原因とは
次に娘が不登校になったのは、高校に進学してわりとすぐのことでした。半年くらい行けませんでしたね。厄介なことに、今度は、不登校になる理由がなかったんです。ある日急に、部屋に引きこもってしまったの。
ただ、私と口はきいてくれたからまだよかったかな。
前と同じく「行けないんだったらしょうがないよね」と言いながら、ランチに連れ出したりして、たくさん話をしました。
学校に行かせず、娘と遊ぶ親なんて、世間から見たらダメな親なんだろうけど。でもね、今は「娘とたくさんの時間を過ごす必要があるタイミングだったのかな」とも思えるんです。
——このときも不安はありませんでしたか? このままドロップアウトしたらどうしようとか。
やっぱり「学校に行きなさい」とは一度も言いませんでしたね。この子の将来をどうしようと不安に思うこともありませんでした。とにかく自分の経験から、行きたくない学校に無理に行くつらさを知っていましたし、娘が怠けて学校に行けないわけじゃないっていうのもわかっていたし。
それに、学校に行かなくても、今は生きていける道はいくらでもあるから。やっぱり高校卒業の資格が欲しいと思えば通信制も、大学検定……いまは高卒認定と呼ぶそうですが、そういうルートもあるしね。
ただ、小学生の不登校と違ってここで悩んだのは、娘といくら話しても、学校に行けない理由、部屋から出られない理由が見つからなかったことです。彼女自身も「わからない」って。ただ、「気力が出なくて学校に行けない」って繰り返すだけだった。
娘は小学校4年生でバレーボール部に入ってからずっと夢中になってクラブ活動にまい進していたし、友人関係もうまくいっていたから、決して学校を嫌いになったわけじゃなかったんです。
学校からはしょっちゅう連絡がきて、スクールカウンセラーさんをつけてくれたりと、親身になって相談に乗ってくれました。学力が落ちないよう、学校がチューターという女性の家庭教師を紹介もしてくれたんです。4週間来てもらったかな。
でもね、あとでわかったことなんですが、派遣された方ご自身が、むしろ娘よりも先に加療を受けるべき問題に苦しむ方だったのです。娘はおそらくその苦しみも一緒に引き受けていたのだと思います。
娘に「なんでそれママに言わなかったのよ」と聞いたんですが、「言ったら、先生が辞めさせられちゃうと思って」と返ってきて。
百々果って、幼いときから「自分の考え」がはっきりあって多数派の意見に流されることもないし、精神的にも強いし、忍耐力も人一倍ある子なんです。でも半面、自分が負担に感じても相手のことを思って我慢してしまうってことを自然にやってしまうところがあって。
彼女のその優しさや我慢強さ、忍耐力もよしあしだなと。ときに、その気質が知らず知らずのうちに彼女自身のことを傷つけてしまうこともあるんだな、注意して育てないといけないなと、彼女の言葉を聞いて思いました。
半年後、突然、不登校が終わった。結局のところ誰にも「なぜか」はわからなかった
半年くらいたった頃でしょうか、百々果が急に「明日から学校行く」と言い出したんです。なんだか突然「行ける」って思えたんですって。
行けなくなった理由もわからないけど、行けると思えた理由も、自分でわからないって。強いて言えば、このまま不登校が続けば、出席日数が足りなくなって留年か退学になってしまうから、ギリギリになって「それはやっぱりやだな」とは思ったから、みたいですけど。
それからは、出席日数を稼ぐため高校1年生の夏休みは、毎日のように学校に通ってました。学校がそういう対応をしてくださるのも本当にありがたいですよね。それにしても娘の不登校への学校の対応を見て、改めていい学校に入れられたなって思いました。
娘の入ったインターナショナルスクールは、方針がすごくはっきりしていました。
「私たちは教育のプロフェッショナルです。もし、われわれのやり方に異論があるならやめてください」。「いじめは絶対許しません。見つけた場合、いじめた側に学校をやめてもらいます」。こんなことを入学時に親がはっきり言われるの。もう、それを聞いて「最高!」って思いました。
お受験は大変だったし、高額な授業料を払うのもすごく大変だったけど、頑張ったかいがあったなって。今でも、学校には心から感謝しています。
余談です。関係があるのかわからないけれど、「場所の呪い」ってあると思う
そしてね、これは、ちょっと不思議なおまけの話として聞いてほしいんですが……。百々果の不登校の原因に、「家」が関わっているんじゃないかなと、ちらっと思っているんです。
百々果が高校に入ってからすぐ、ある家に引っ越しました。すると、1週間もたたないうちに次々家族に嫌なことが起き始めたんです。
まず、父と母が、立て続けに倒れて入院してしまい、仕事と親の世話で私も大変でした。そんなある日、百々果がいつものように自転車で学校に行ったのですが、その途中、いきなりバタンと自転車ごと倒れてしまったんです。仕事先から慌てて戻り、病院に連れて行っても原因は不明とのこと。
でも、そこからなんですよ。彼女が学校に行きたがらなくなったのは。そのときふと、もしかして、この引っ越した家の影響もあるかなと思ったんです。
というのも、暖房をかけても、どんなに温度を上げてもこの家はまったく暖まらず、常に冷気が漂っていたり。私は、家中の温度を一定にしたいのと、空気がこもるのが嫌で、すべての部屋の扉を開けて外出するのですが、帰宅すると、なぜかそれらの扉がすべて閉まっているんです。
そんなことが続き、なんかおかしいなあと思っていたら私以外の家族全員に、不幸が起こってしまったんです。
「よし、次は私か? かかってこい!」と身構えていたのですが、私には何も起こりませんでした。結局、引っ越して2週間ほどで、その家は引き払いました。
離婚経験者がわが子に「離婚の話」をするタイミングって?
ちょっと違う話になるんですけれど、百々果が小学校に上がってから、毎日覚悟していたことがあります。それは、「どうして私にはパパがいないの?」という質問。彼女が帰ってくるたびに、今日こそ聞かれるかな? と身構えていました。
その日は突然、私が想像していたのとは、ちょっと違う形でやってきたんです。
娘が小学校3年生か4年生の頃だったと思います。「ねえ、ママ。再婚すれば?」って。ええ? いきなり、それ? って本当に驚かされました。「再婚」なんていう日本語を知っていたことにも驚きましたし。正直、拍子抜けもしましたしね。
つくづく子どもって大人が思うほどやわでもなく、センチメンタルでもないなと思いました。
——もしも、百々果さんに、「どうして私にはパパがいないの?」と聞かれたら、どう答えるつもりだったのでしょうか?
「仲が悪いから離婚したんだよ」って。これ以外なんの理由もありませんよね。
私は百々果に何ひとつ隠し事をしてきませんでした。何ひとつ。都合のいいことだけ言ったって、子どもはうそを見抜きます。
どうしてママがそういう決断をしたのかまで、彼女を子ども扱いせず、いつもありのままを話してきました。百々果は幼い頃から、そんな私が傷ついたり落ち込むと、静かに寄り添って慰めてくれることもありました。
つづき(6月16日21時配信、以降リンクがつながります)「お金に苦しんだ私だから言える」梅宮アンナが語る、子どもを自立させるために大切なこと#4
取材・文/斯波朝子(オフィスCuddle) 撮影/廣江雅美
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