桂小五郎「あり得ないにもほどがある」勝ち続けるための手段とは?幕末の剣豪「負けなければすべて勝ち」の強メンタルに学ぶもの
OTONA SALONE / 2023年9月1日 10時0分
歴史上のえらい人たちって、みんな、天才に生まれついた上にものすごく努力をしたんでしょ、そんなの私が同じようにできるわけがない。何の参考にもならない……と普通は思いますよね。
よくよく人物を研究すると、意外にそうでもないんです。「結果的に成功した」人が後世に伝わっているのであり、ひとりひとりがやってることを見ていくと「まじですか????」と思うようなことも多々。
たとえば幕末の剣豪、桂小五郎もその一人。
確かに剣豪なのでしょう、しかし私たちが考える「剣豪」とはちょっと意味合いが違ったのかもしれない……? 『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三・監修、ねこまき・画)から抜粋編集してご紹介します。その実態たるや、恐るべきものでした。
「負けない」、確かにそれは事実かも。なぜなら「逃げに逃げまくる」剣豪だったから!
長州藩(現・山口県西部)から20歳で江戸に私費留学、江戸三大道場といわれた練兵館に入門し、一年で塾頭となり、幕末の志士たちの間で「剣豪」として名を知られた男──。
そう聞くと、幕末の志士・桂小五郎(維新後に改名し木戸孝允に)は、「敵をバッタバッタと斬り倒す剣の達人」と思われそうです。しかし、小五郎が実際に剣を抜いたという話はありません。身に危険が及んだときは、とにかく逃げに逃げたのです。
幕末に薩摩藩(現・鹿児島県と宮崎県南西部)と並んで討幕を成し遂げた長州藩。とくに長州藩の中心人物と見なされていた小五郎は、1864年の池田屋事件で危機一髪の出来事に遭遇します。池田屋事件は、幕府側の新選組が旅館の池田屋に集まった長州藩や土佐藩など過激派の尊王攘夷(*)の志士を取り締まり、捕縛した事件です。長州藩の大物である小五郎は、新選組がもっとも捕縛したい人物でした。
*天皇を尊び外国を打ち払う思想。開国した幕府に対する反対派が主張した。
しかし、小五郎は池田屋への到着が早すぎて人が少なく、いったん対馬藩邸の友人に会いに行ったところ、事件が起こったといいます。新選組に捕まった志士たちは生命を落としたり負傷したりした者が多かったなかで、なんと運のいいことでしょう。持ってる人は違います。
でも、「桂小五郎は池田屋より屋根伝いに対馬藩邸に逃げた」とする長州藩士の手記(誤報)もあり、この頃から「臆病者」「逃げ上手」という悪評も出始めたようです。
▶ボロを着てでも逃げる徹底的な逃げ技術とは
ボロを着てでも逃げる徹底的な逃げ技術、「逃げの小五郎」が見せるおおらかさ
池田屋事件のすぐあとに起きた禁門の変は、長州藩と幕府軍が京都で衝突した戦いでした。長州藩は敗れて京都を追われます。
この戦いでは多くの長州藩士が戦死しましたが、小五郎はというと生命からがら主戦場の京都御所を脱出。汚い身なりに着替え、避難民に紛れて鴨川のほとりに潜伏しました。小五郎は敗北者側なので、京都で幕府側に見つかったらたちまち逮捕ですからね。逃げ上手をここでも発揮しました。
小五郎のすごいところは、武士の面目とか、堅苦しいこだわりが一切ないところです。
当時の小五郎の心情は「とにかく生き延びてさえいれば、なんとかなるさ!」という感じでしょうか。汚い格好に変装したり、武士のメンツなんておかまいなし。剣だけでなく、メンタルも相当鍛えられています。食事は、のちに妻になる芸妓の幾松が、橋の上から下に落としてくれるもので空腹をしのいだといいます。
首尾よく追っ手から逃れた小五郎は、ヤバい京都から離れて遠くへ行こうと、但馬国(現・兵庫県北部) 出石まで逃げました。荒物屋や寺などを転々とし、情報収集をしながら1年近くにわたって潜伏生活をします。
後半は幾松と再会し、城崎温泉にも滞在しました。しっかり休んだあと、「ようし、そろそろ再起を懸けるか!」と長州藩へ戻ります。
逃げまくったことから、「逃げの小五郎」とあだ名がつけられたほどでしたが、逃げてもみじめな感じがなく、どこか明るさがありますね。
▶武士のメンツの時代に「死んだらおしまい」を理解していた合理性
武士のメンツの時代に「死んだらおしまい」を理解していた合理性。時代は変わり、新政府では重要な存在に
長州に戻った翌1866年1月、坂本龍馬などの仲立ちで、小五郎は薩摩の小松帯刀(*)と面会して薩長同盟が成立し、討幕へ向けた動きが加速していきます。その意味でも小五郎の功績は重要で、逃げ抜いて生きていたからこそ、その活躍があったのです。
*薩摩藩の家老で、朝廷や諸藩との交渉役を務めた。薩長同盟にも尽力。
1868年、明治新政府の政策・五箇条の御誓文の最終文案に小五郎が手を入れ、明治天皇の裁可が降りました。その後、版籍奉還や廃藩置県など新政府の体制作りにも貢献。小五郎は新政府のスタートに、かかせない存在だったのです。その後も1871年には「岩倉使節団」の副使として、欧米視察に出るなどもしています。
幕末の日本では、「武士の意地」を通して多くの人材が生命を落としています。困難に立ち向かったとはいえ、無理ながんばり方だったといえるかもしれません。「逃げの小五郎」がメンツを重んじて死んでいたら、明治政府に木戸孝允はいなかったのですから。ギリギリまでがんばらず、まずいときにはさっさと逃げる。無理せず、小五郎流で行きましょう!
文中イラストは実際の色と異なることがあります
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