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梅宮アンナが語る「子どもの反抗期」親はどのような信念をもって「耐える」べきなのか

OTONA SALONE / 2023年10月9日 21時3分

「育児って、答えがない。何が正しいということがないですよね。よその育児を真似しても、うちが同じになることはない。100の家族に100通り、子どもの気質や持って生まれた資質があって、全部違う。本当に答えがなくて難しいって思います」

 

そう語るのは梅宮アンナさん。

 

 

そんなアンナ流の「育児」について「将来」「親離れ、子離れ」「反抗期」の3つのテーマを聞きました。3つめは「子どもの反抗期への対峙」。

 

子どもの反抗期に親はどのような信念を持って「耐える」べきなのか

 

よく言われることですが、子どもの反抗期はとっても大事な瞬間だと思います。「うちの子は反抗しないで何でも素直に聞いてくれるのよ」と喜んでいるのは危ない。その子どもはきっと我慢しているだけだから。反抗期は自我の目覚めであって、大切なことです。

 

子どもって、すごく残酷なことを言いますよね。ママたちはそれにへこたれちゃいけない、聞き流す勢いでガンと強い態度でいかないと……。

 

って、頭ではわかっているけれど、実際に言われると傷つくんですよね。特に女の子のママは、娘が激烈な反抗期を迎えたとき、延々と続く日々の反抗にへこたれがちです。「これはこれで成長の証しね……」って受け流さないと、ホント、やってられないよね。でもね、周囲を見ている限り、反抗期がなかった子のほうがあとが怖い。ややこしいことになっています。

 

「ただひたすら見守る、口を出さずに」これがいちばん難しい、でもいちばん大事

私は娘と、親と子というカテゴリではないところで生きてたつもりです。いつも一緒の目線に立つよう意識し、頭ごなしに上から言わないよう気をつけ、逃げ場を残すようにしていました。ガミガミ言うと反抗されるから、いつでも心を平坦に保つ努力をして。なぜなら、自分が頭ごなしに逃げ場をふさがれる日々を送って、それがとってもつらかったからです。

 

娘は高校のころ、半年ほど学校に通えない時期がありました。幸いにして学校そのものは嫌がらなかったので、私は心を平坦に保つ努力に全力を向けて極力何も言わず、ひたすらそのまま見守っていたら、元に戻って卒業できました。

 

この、ただ黙って見守るという行為の難しさたるや! いちばん難しかったです。過ぎてしまえばこうして「見守るのが大事でした!」ってさらりと言えてしまうのですが、口から出てしまいそうな言葉をぐっと飲み込み続けて。いまも現在進行形で本当に難しいと思っています。

 

だってね、「若いうちは迷って当然」なんてアドバイスも他人に向けてなら気軽に口にできますが、わが子に向かっては言えない。つい「何やってんの」って口から出ちゃいますよね。手を貸せば簡単に終わることでつまずいていても、子どもの人生なんだからやっぱりそこで手を出してはいけない。わかっているけれど口と手を出しそうになる、それをぐっと我慢する。反対に、子どもに嫌われてしまうことを覚悟のうえで強く言わないとならないこともあります。

 

「ダメなものはダメ」私たちはこの昭和スピリッツをもういちど思い出すべきかも

いま思えば、「ダメなものもはダメ」というルールは子どもがまだ小さい、未就学のときにまっ先に教えないとならないことだったのですね。小さいときに頑張って手をかけ、こうした社会の基礎ルールをきちんと教えたご家庭のほうが、子どもが成長してからの意思疎通が楽なように思えました。その理由は「ダメなものはダメ」がしっかり身についていたからだと思います。放任主義もいいのですが、中には善悪を判断する力が育ち切らないケースもあって。犯罪寸前の方向へ進んでしまった子も見ました。

 

たとえば「どうして株をやっちゃいけないの」という問いに対して、私の答えは「その年齢に応じてやるべきことがあるからいまはダメ」。子どものうちは外で遊ばないとならない、家でごろごろしながら動画を見るのではなく、外に出て太陽を浴びないとならない。ダメなものはダメなんです。

 

こうした、太陽とともに生きる生活態度の大切さは何度でも言い聞かせないとならないですね。私、この夏は毎日ゴルフして太陽を浴びていたから、本当に元気だったの。いまの子は外で遊ばず、家でごろごろしてるから、うつ病が多いでしょう? 「人に迷惑をかけなければ自分が引きこもりでもいい」って言う子もいるでしょうけれど、そういう問題ではない。ここにきて私は昭和スタイルで子どもと付き合おう、親がやってくれたことをそのままやろうと思っています。世の中が何と言おうが、友達が何と言おうが、昭和の時代に親がやってくれたことを私もやりたい。

 

昭和の当時、中高生の私が自分で決めてやってきたいろいろなことは、決して間違いではなかったなと思います。昭和って物事がシンプルで正解があり、していいこと、悪いことが明確でした。何か迷うことがあったら「昭和のころの親は、周囲は、自分はどうしていたっけ?」と振り返ってみてもいいんだな、そう気づきました。

 

やっぱり何歳になっても、人生に悩みがない瞬間はないんだな!と、つくづく思います。何かが一件落着すると、すかさず次の問題が起きます。これはもう、日ごろの自分の行いや自分の運など自分側の行動とは関係なく、この世がそうなる仕組みなのだなと考えることにして、一つ一つの問題にしっかり向き合いながら過ごしています。

 

 

≪OTONA SALONE編集長 井一美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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