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愚痴をこぼす人が、本当にこぼしているもの

OTONA SALONE / 2017年10月9日 11時30分

愚痴をこぼす人が、本当にこぼしているもの

以前、口を開けば愚痴ばかり言う女友達がいました。そして、彼女に10年ぶりに再会したのですが、久しぶりだというのに、なんとまた愚痴を言い始めたのです! これには正直驚きましたし、またある意味「この人は、一生愚痴をこぼし続けるのだろう」と感じました。そして彼女は、愚痴をこぼすたびに、幸せもこぼしているのだと確信しました。

 

愚痴はこまめにこぼす?

みなさんは、愚痴はこぼす方ですか?私はけっこうこまめにこぼす方です(笑)
こまめにこぼすメリットを聞くと、大抵の人は「こまめなストレス発散」という正当な、道理にかなったような理由を話します。たしかに、愚痴をこぼすことは「ストレス発散」にはなります。心にとどめず、発言することで、心のもやもやが整理整頓されたようにスッキリしますし、相づちでもうってもらえたら、気も軽くなりますよね。
そこでお伺いしたいのですが、あなたが愚痴をこぼした時、心のもやもやはスッキリなくなりました。では、それはどこに行ったのでしょうか?

 

こぼした愚痴はどこに行く?

あなたのもやもやは綺麗になくなったように見えますが、聞いていた人全員に散りばめられたのだと考えるとどうでしょう?
そして、実は全て吐き出した!と思っていても、当然のことながら愚痴るだけでは問題は解決しないので、その種は心の中に残るのです。そしてそれはまた何かの機会に、確実に芽を出し、子孫を増やすのです。
聞いていた人全員に散りばめられることが想像しにくい場合は、電車の中で大きい声で家族の愚痴を言っている女性たち、居酒屋で会社の愚痴をこぼしている男性達の例はいかがでしょう。運悪く近くにいたあなたは、それを聞いてハッピーな気分になるでしょうか? 何かいやーなものをどっさり受け取った気分になりませんか?
私は先日、喫茶店に入って原稿を書いていたのですが、となりに40代くらいの女性が二人座り、仕事から家族から友人から、それこそ「競争しているの?」と思うくらいの愚痴合戦を始めたのです。もう原稿どころではありません。耳から入った悪霊が頭の中を占領し、背中のあたりまで覆い被さっているような気分に。彼女達はもやもやを発散してスッキリしたのでしょうけれど、その分こちらの肩が重くなった感じでした。
そして、そういう場合、あなたならどうします?そうですよね。その喫茶店を出ますよね。喫茶店にとっても営業妨害。それほど、口から出たもやもやは、独り言でない限り、誰かに憑依するのです。

 

職場の愚痴はしんどい

職場の場合はもっとたちが悪いですよね。なぜなら喫茶店のようにその場から逃げられないからです。職場に愚痴をこぼす人がいれば、それはかなりのストレスになります。疲れ果てて、正直「もういい加減にしてほしい」と思う場合もあるでしょう。
同じ部屋で愚痴をこぼされると、誰かが聞き役にならないといけません。特にそのように愚痴をこぼす人が上司である場合は、本当につらいものがあります。しかし考えようによっては、人間として学ぶべきことがないという証。喫茶店をそっと出るように、物理的にそっと距離を置くことが良いように思います。

 

愚痴を聞く相手は、実はあなたでなくても良い

冒頭の女友達ですが、私が彼女から離れたのと同じ理由で離れた人も多いのです。私は彼女の話を上の空で聞く作戦でかわしていました。彼女が「ねえ、ひどいと思わない?」と聞いてきた時に「え?あ、ごめんよく聞いてなかった」と答えます。最初のうちは「もう。なんで聞いていないのよ。あのね……」と話し直すのですが、何回か上の空作戦が続くと、彼女は私に話さなくなりました。
嫌われることや、叱られることもありませんでした。
多分、彼女の愚痴を聞く相手は、私でなくても良かったのでしょう。
変に同調したり同情したりすると、聞いてもらえる人だと思われて厄介なことになると思います。また、その行動を正そうとすると、反感を買います。そう、彼女の愚痴のネタになる可能性も高くなるのです。

 

そもそも「愚痴」とは?

愚痴は、痴の別称です。

癡(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。
別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。
wikipedia

https://goo.gl/5L7Kkp( https://goo.gl/5L7Kkp )

 

また「愚痴」は、根本煩悩のひとつです。人間の煩悩は百八あるといいますが、そのうちの貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の6種を根本煩悩といいます。そして、この根本煩悩が抑えきれなくなると、六道へと迷い込みます。六道とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のことです。
このように仏教では「愚痴」の行く末は恐ろしいことになっているのです。自分で話すこともそうですが、なるべく聞かないようにすることも大切なように思われます。

 

口からこぼれ落ちる幸せ

久しぶりに会った彼女は相変わらず愚痴をこぼしていました。そして少しも幸せそうに見えませんでした。
人間は体が健康で調子が良く、心が満たされて幸せな時、絶対に愚痴はこぼしせん。
逆に、病気で調子が悪く、心が不満でいっぱいで、自分が不幸せだと感じている時は、つい愚痴をこぼしてしまうということは、簡単に想像できますよね。
つまり、愚痴をこぼす人は、不幸な人なのです。
そして、愚痴が多い人は、幸せな要素は少ないいつも愚痴が多い人は、いつも幸せではないということです。
久しぶりに会った彼女「まだ愚痴が多い」のは「まだ幸せではない」証のようでした。
自分で言わないことももちろんですが、相手が愚痴をこぼし始めたら興味のないふりをすることも、相手にとっても自分にとっても良いことなのかもしれません。

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