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「14年もの間、娘が生きているかどうかすらわからない」連れ去り被害はこうして起きる。共同親権「推進派すら真向から大反対する」新法案の大問題(前)

OTONA SALONE / 2024年5月11日 21時0分

「いまでもこの季節がくると、心がどうしようもなくざわざわします」。こう語るのは、総務省入省後、高槻市副市長、那須塩原市副市長、政策研究大学院大学准教授、多摩大学客員教授などを歴任してきた渡辺やすゆき先生(52歳)。

 

2010年のGW明けに突如として「子どもの連れ去り」の被害にあい、その後身に覚えのないDVによる出頭命令を受けました。【3本中の

 

14年間、娘が生きているかどうかすらわからない…非常によくある「連れ去り被害」

「当時私は37歳、高槻市副市長の任にありました。大学に通う妻を東京に残して、2歳の娘と2人で高槻市での生活を本格的に始めて3か月めでした。GW中は妻も高槻にきて久しぶりに家族3人で楽しく過ごしました。GW明けはいつも通り娘を保育園に送って出勤、夕方に迎えに行ったら、『奥さんが連れて帰りましたよ』と。そうか、言ってくれればいいのに、ありがとうと思いながら帰宅して、ドアを開けたら家の中がも抜けのからでした」

 

一瞬、何が起きたのかがわからず、妻(当時)の携帯に電話をかけましたが、電源が切れています。妻の実家に電話したところ、義母がひとこと「孫は絶対に帰しません」。娘さんの日用品の多くが持ち去られていることに気づいてからは、ああ、これが連れ去りかとじわじわ実感がわいたそうです。というのも、出産で退職した国際支援の仕事への復帰を目指す妻が、娘を連れて元の勤務先に戻りたいと主張するため、相談を続けている最中だったから。

 

「元勤務先がどこかは申し上げられませんが、赴任地の多くが危険な場所。民族間で虐殺を行う国や、無政府状態の国、軍事衝突を繰り返す国など、教育どころか、命の保障も危うい国です。しかも勤務中は娘をメイドに預けておくと言うので、親として賛同いたしかねる。海外でキャリアを重ねることは応援するし頑張ってほしいので、婚姻を継続させてもよいし、望むならば離婚してもいい。離婚する場合も娘が物心ついて状況を理解できるまでは不都合のないようにする、帰国時の家も保障するし娘との交流も当然認めると文書にしたところでした。その文書を見て、妻は『考えさせてほしい』と。でも、じつは妻の側が1か月前から弁護士と共謀して連れ去りの計画を立てていました」

 

たとえば、GW中のある朝、元妻が突如として窓の外に向かって「助けてください!誰か警察を呼んでください!」と叫び始めたそう。渡辺さんは困惑しながら自分で警察を呼び、事情を説明したそうです。

 

「あとからわかったのですが、これは警察に『DVがあったと主張している』と調書を書いてもらうための行為でした。妻はその2日前くらいに病院に行き、DVによるストレス性腸炎であるという診断書も取っていました。全て裁判で使うための証拠作りです」

 

これら一連の行動は連れ去りを指南する「離婚専門弁護士」に指導されるのだそうです。この国では現状、連れ去った側が裁判所で親権を取れるため、親権獲得を相談された場合は心ある弁護士であっても同じように答えざるを得ないとのこと。

 

「でも、警察を呼んだ翌々日は3人でハイキングに行き、その翌々日には一緒にお祭りに行っています。連れ去りの直前に油断させるために仲良くしておけという指導でしょうが、本当に申し立て通りのDVが起きていたなら、こんなに仲睦まじい写真の残ったレジャーは理屈に合いません」

 

妻側の申し立てからは虚偽DVの痕跡が透けて見えるいっぽう、渡辺先生の側は離婚という言葉が出たあとも一貫して娘さんのために共同監護の準備をしており、家裁の裁判官からも「改正民法766条の立法趣旨に沿った極めて誠実な態度である」とお墨付きをもらったそう。

 

「そのため、なかったDVをなかったと証明するのは悪魔の証明と呼ばれるほど難しいのですが、地裁においては私に対する接近禁止命令も出ませんでしたし、離婚訴訟でも家裁でDVは無事なかったことが認められ、娘の親権者を私とする画期的な判決がでました。なのに、高裁では妻の側が31人にも及ぶ弁護士を立て、DVは引き続きないとされたにもかかわらず、家裁の判決はひっくり返されて親権は妻とされました」

 

あまりに「上手い」。法学部出身元官僚がうなった「親権獲得戦術」、もはや洗練の域

こうした「離婚指南」は長い間にブラッシュアップされ、非常に高度な戦術が構築されている、と渡辺先生は言います。

 

「虚偽DV被害を申し立てる戦術では、まずは裁判所から接近禁止命令を引き出そうとします。しかし、出ないとわかった場合は判決が出る直前に申し立てを取り下げてしまいます。すると、接近禁止命令が出なかったという証拠そのものも残りません」

 

このように、連れ去りは「ビジネスとして洗練された」域に達しているのだそうです。従来の「単独親権制」では親権が獲得できるかで子どもと親の人生が大きく変わってしまうため、確実に親権を獲得するノウハウが洗練されてしまったそう。

 

「子どもを連れ去った母親は、裁判所に何度も何度も申し立てを繰り返し、親子を引き離す時間を稼ぎます。その間、連れ去った母親は子どもに父親の悪口をさんざん吹き込んで洗脳するので、万が一面会が行われた場合も子どもは『悪魔のようなお父さん』を怖がって泣き叫びます。結果、子どもは父親に強い嫌悪感を有しているという『子の意思』という傍証も作れるのです」

 

驚くことに、「公平である」と信じ切っていた裁判所の仕組みそのものが、こうした連れ去りを起こす要因になっている可能性もあるのだそう。

 

「裁判所側も子どもを連れ去った側に親権を出したい事情を持っているからです。たとえば裁判所が子どもの引き渡し命令を出した場合、弁護士は子どもと一緒に2週間姿を隠すようにとアドバイスをします。2週間子どもの引き渡しが行われない場合はそこで強制執行終了になります。命令違反の状態が確定することになりますが、これは裁判所の権威が失われる結果であるため、裁判所としては、子どもを抱えている側をそのまま親権者にしたいのです」

 

「裁判所はパチンコ台」という言葉に全員が同意するほど、誰に当たっても結果は同じ

連れ去り被害の取材を続けると、被害者から「裁判所はパチンコ台と一緒」という言葉を聞きます。裁判官は、誰にあたっても結果は同じ。子どもを先に連れ去られれば、最後は、もれなく親権を剥奪されます。子を連れ去られた親は、パチンコ玉のように、裁判所内であちこちに弾かれた挙句、決まって最後は親権剥奪という穴に落ちるということのようです。

 

「真実とは関係なく、何か別の思惑が働いているのではと思わざるを得ないことが多々あるため、そういう言葉が生まれたのではないでしょうか。第一に、先に連れ去られたら二度と会えなくなるという実情が知られるにつれて、もともと親権を取りにくいお父さんの側が連れ去るようになりました。ですから、昨今連れ去り被害は女性の側が激増しています。その場合、裁判で男性側がDV被害者ですと訴えてもなかなか信じてもらえないため、代わりに児童虐待をでっち上げるという悪循環が起きています」

 

連れ去り被害にあった側の女性から直接お話を伺いましたが、連れ去られた上に児童虐待まででっちあげられるため、残された女性は悲惨のひとことに尽きるそう。「やっぱりあのお母さんとんでもないお母さんだったのね、女性なのに親権とれないなんてよっぽどなことをしたのね」と言われてしまい、絶望のあまり生きていくのがしんどいという声が普通にあがるそうです。

 

「国際的には、子のある夫婦の離婚の際には、まずは離婚後の養育の取決めを行い、そののち離婚する制度が整備されています。親の都合で片方の親と離されることがないよう、子どもが健全に育つ環境を保全するのが重要だからです。しかし、日本では『女と子どもに人権がなかった』時代の延長ともいえる制度がそのまま残っています。明治に立法されたいわゆる明治民法では、女性は離婚後に親権を与えられず、婚姻中すら親権がありませんでした、残念ながら今も基本はそのときの制度のままなのです」

 

当時の条文を見ると、女性は婚姻により男性の家に属し、離婚したら実家に帰されることとなり、子どもは家に属するので置いていくのが前提。女性とは子どもを産んで育てる乳母と変わらず、権利も責任も義務も何もない存在だったのだそう。戦後、それはおかしいと男女平等を規定した憲法に改正し、婚姻中は男女ともに親権者になると法改正しました。さらに戦後の憲法改正後は1年間だけ父母両方が離婚後も親権を持ち監護養育にあたる「共同親権」を選択できた時期もありました。しかし、すぐ離婚後の元夫婦のいずれかしか持てない「単独親権」に定めなおされました。

 

「当時の民法学者や官僚は、離婚後に女性が親権を持つ可能性は考えなかったのですね。アメリカに憲法を改正されたのでしぶしぶ婚姻中は共同親権にしましたが、離婚したら当然家長の父親が単独で親権を持つべきだ、そんな考えだったのです。今回、法改正が話題になっていますが、長らくこの明治民法の延長だった条文を諸外国同様に正すチャンスが到来していたのです。しかし、さまざまな調整の結果残念ながら骨抜きにされ、そのチャンスを逃してしまいました」

 

いったいどういうことなのでしょうか。

 

つづき>>>連れ去り指南が横行している離婚業界で、「どう考えてもやってはならなかった」ことって?「それは確かに」

 

お話/渡辺やすゆき先生

総務省元官僚 、高槻市元副市長 、 那須塩原市元副市長。1972年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科公法学専攻修了(修士(法学))。米国コロンビア大学大学院修了(修士(国際公共政策学))。1998年総務庁(現総務省)入省、2004年内閣官房郵政民営化準備室参事官補佐(郵便局株式会社担当)、2007年内閣官房行政改革推進室参事官補佐(国家公務員制度改革担当)、2010年大阪府高槻市副市長・大阪府特別参与、2012年栃木県那須塩原市副市長。2015年から政策研究大学院大学准教授。

渡辺やすゆき先生HP

 

≪OTONA SALONE編集長 井一美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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