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すぐに感情爆発! 昔からトラブルメーカーの彼女。「治ることはない」と絶望している本人に、まわりの人間はどう接する?【専門医が解説】

OTONA SALONE / 2024年6月21日 18時0分

発達障害の女子高生を描いた映画『ノルマル17歳−わたしたちはADHD−』で脚本家デビューした神田凛さん。神田さんは高校生の頃、身近なところに発達障害の人がいたことをきっかけに関心を深めたそうです。当時、神田さんは、試行錯誤してその人と関わろうとしましたが、なかなかうまくいかないことも多々あり後悔の念に駆られたそうです。苦悩の末、神田さんが導き出した答えとは。

発達障害の二人の女子高生を描いた映画「ノルマル17歳-わたしたちはADHD-」

 

17歳で発達障害と診断

「発達障害」と診断されることが生き方を変えるきっかけに  shutterstock.com

「私とAさんは17歳の時に出会いました。身近なところにいて無視できない存在でした。周りの人たちもAさんにどう接したらいいのか分からず、匙を投げる寸前まで行っていました。
たまたま知り合いが医師だったので、その人にポロッと話したら、『えっ!?それは発達障害じゃないかな。診断してあげないとかわいそうだよ。』と言われました。その後、Aさんやご両親に受診を勧めたら、心療内科を受診して発達障害と診断されたそうです。ご両親は発達障害だと分かって少し安心したようでした。本人も受診には抵抗がなく、そういうことなら行ってみようという感じでした。病名がついても発達障害が何なのか分かっていなかったので、あまり気にしていないようでした。でも、学校の図書室で発達障害の本を借りて、治らないと知ると泣いていたそうです。」

 

Aさんが明らかに他のクラスメートと違っていたのは、衝動を抑えきれないところでした。

「いわゆる“普通”と言われる人たちは一旦考えてから行動すると思うのですが、Aさんは『あ、あれしたい』『あれ、いいわ』と思ったら、すぐに行動に移さずにはいられない人でした。それを注意されたり制限されたりすると、うわ〜っと暴れたり癇癪を起こしたりしました。そういうことが相次いで、みんなが『あれ?この子ちょっとおかしい』と思い始めたのです。」

 

 

理解してもらえない

家族や周囲の人も本人との接し方に悩む shutterstock.com

Aさんは学校の先生ともめることも頻繁にあり、例えば、宿題を忘れてきた時に先生に、「なんで忘れたの?」と聞かれても、「忘れたものは忘れた」と押し問答になることがありました。

「先生は、『ちゃんとしなさい』、『普通は忘れない、連絡帳に書いてあるでしょう』と詰め寄りますが、Aさんにしてみたら、連絡帳に書いていても、それを確認しなかったらなかったことになってしまいます。先生と言い合いになって、『忘れたと言っているじゃないか! わー!』とヒートアップして、学校から逃げ出してしまうこともしばしばありました。」

 

Aさんは、他の人は意にも留めないような些細なことでも、できないことがたくさんあったそうです。

「先生に、教科書を開きなさい、ノートを取りなさいと指示されたら、最初の5分、10分はいいのですが、だんだん授業に集中できなくなるんです。最初は先生が読んでいるところを見ていても、筆記用具を見たり、教室を眺めたり、誰々ちゃんが何をしているとか見たりして、当初の集中すべきところから気が逸れてしまいます。
視界に入りやすいところから全ての情報が入ってきて、あれもこれも気になって授業に集中できなくなるんです。他にも、校則を守れないとか遅刻や居眠りをするとか、授業中スマホを触るとか些細なことを守れないことが多々ありました。」

 

だからと言って神田さんは、Aさんを見捨てようとは思いませんでした。Aさんが発達障害と診断された時に、発達障害のことを全く知らなかった神田さん。発達障害のことを知らないとちゃんと接することができない、一つでも二つでも傷つけられることを減らせたらと思い、まず本屋に足を運んだそうです。

「本屋に入り浸って一番分かりやすい本を買ってきて、周りの大人や家族と情報を共有しました。大人たちも動揺していました。世代的にも身体障害や知的障害という印象が強かったのだと思います。でも、知識だけを共有しても何もうまくいきませんでした。本には、『こういうふうに接しましょう』と書いてあったのですが、3歳〜5歳の子どもを対象にした本が多く、あまり参考にならなりませんでした。」

 

Aさんが10代だったこともあり、大半の人は、発達障害ではなく思春期特有の未熟な行動だと決めてかかっていました。

「ちょうど思春期と被っていたこともあり、ただの思春期でしょうとか、反抗期だからこれくらい誰でもあるよとよく言われました。遅刻一つでも甘えに見えたり、だらしない性格だと思われたりしました。どこからどこまでが甘えで、どこからがADHDなのか、という切り分けは定型発達の人にはとても難しいことだったと思います。
学校の先生もすごく問題児扱いしていて、ご両親から聞いていてもAさんが発達障害だなんて思いもよらなかったようです。手のかかる子というお墨付きでした。スクールカウンセラーもいましたが、その人とはあまり相性が良くなく、学校で理解してくれる大人を見つけるのは困難でした。」

 

ただ、教師によっては親身になってくれる人もいて、「今は発達障害と診断される人がすごく多いですよね。どうやって対応していきましょうか。」と、ご両親に声をかけてくれる人もいました。ただ、「要はあれでしょ、昔からいた問題を起こすような生徒でしょう。」と言う教師もいたといいます。

「毎年、担任の先生が変わるたびにご両親はビクビクしていました。来年の担任の先生とは合うかなと。」

 

 

何はともあれ話を聞く

「ノルマルADHD」で脚本家デビューした神田凜さん

神田さんはAさんとの接し方を考えました。

「どれだけAさんが悪くても、まずAさんの話を聞くようにしました。例えば、Aさんが暴れて揉めごとが起こった時に、暴れたことをどうこう言う前に、『どうした? 何があった?』と聞くようにしました。
周囲の人は、先入観があるからなんでもAさんが悪いと決めてかかりました。暴れたり手を出したりしたら絶対的にAさんが悪いということになり、もう終わりだと完結させてしまいました。でも、Aさんが何をしてしまったのか、もしくは何をされたのか、本人に一から話を聞かないと本当に何が起こったのか分かりません。私はAさんの話を一から聞く、話を遮らないと決めていました。
もちろん、筋の違うことをすごく主張してくることもありました。どう見てもAさんが間違っていることもありました。
でも、話を聞かずにAさんだけを責めてしまうと『ワーッ!』となってしまうので、全部話を聞いてから一つ一つ分解して、ここは間違っていないけど、ここは間違っているんじゃない?というように話をしました。するとヒートアップしていたAさんもだんだん落ち着いてくるので、落ち着いた頃に他の人も交えて話をしました。」

もちろんうまくいかないことも多々あり、興奮して全く話ができないこともあったそうです。ウワ〜!となってしまって話せないAさんと向き合うことは、神田さんにとってかなり根気のいる作業だったといいます。それでも神田さんはAさんとの関係を維持して、今も交流が続いているそうです。

 

【後編】では、社会人になったAさんと神田さんが思う発達障害の人と社会の関わり方について紐解きます。__▶▶▶▶▶

 

 

岡田 俊先生のここがポイント!

岡田 俊先生 近影

岡田 俊先生

発達障害の特性を自分で認識したり、周囲の人が認識するのは実に難しいものです。自分が何かしっくりといかなさや生きにくさを感じたとしても、誰もがそうなのか、自分だけが感じているのかどうか分かりません。また、周囲もその人の物事のとらえ方や考え方がどこか違うと感じても、なぜ何だろうと疑問に思ったり、ときには腹を立てたりしてしまいます。発達障害の診断があることで、「自分らしさ」「その人らしさ」の一片が明らかになり、自己理解や相互理解のきっかけになることがあります。

しかし、その診断をもとにどうすればよいのか、ということがないと、Aさんのように「治らない」と泣いてしまったり、周囲の人の「ちょっとおかしい」を言い換えただけになってしまいます。Aさんの「なんで忘れたの?」「忘れたものは忘れた」という押し問答のようなコミュニケーションエラーはよくある話です。

「なんで」というのは理由を聞く質問ですが、一方で反省し、今後の努力の表明を求める言葉です。文字通り理由を聞かれたと思っていても、「連絡帳には書いてあったのですが、それを見ませんでした」というぐらいの気の利く答えができればいいのですが、こう表現できるのも「これからは連絡帳を確認する習慣を身につけるよう努力します」という言葉を想定しなければ、うまく出てこない表現でしょう。
「教科書を開きなさい」というのも、ただ教科書を開くのではなく「教科書を開いて全員一緒に読みましょう」という前提があります。そこに、気の散りやすさも加わります。よく学校では行われていることですが、「では、みなさん」と再度呼びかけて注目させてから次に読むページを指示したり、ところどころで理解を深めるための質問をしたりすることも有効かも知れません。
日常生活のほんの小さな行き違いについても<わけ>を知ることが、言葉を補ったり、より良い方法を選択する出発点になるのです。

 「もう何年生になったのだから」「甘えなのではないか」という表現もよく聞きます。しかし、その結果として「自分でやりなさい」と突き放したり、ハードルをあげるだけではうまくいかないことがあります。自分でやれるようにしていくことは大切なのですが、そのための工夫については、一緒に考えることが必要な段階もあるでしょう。そして、試行錯誤をして、最初は失敗の増える時期もあります。そうして、それなりにでも一人でできる、という工夫を身につけたときに、本当の意味でのスキルアップができたことになるのです。

 

<岡田 俊 先生 プロフィール>
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長/奈良県立医科大学精神医学講座教授

1997年京都大学医学部卒業。同附属病院精神科神経科に入局。関連病院での勤務を経て、同大学院博士課程(精神医学)に入学。京都大学医学部附属病院精神科神経科(児童外来担当)、デイケア診療部、京都大学大学院医学研究科精神医学講座講師を経て、2011年より名古屋大学医学部附属病院親と子どもの心療科講師、2013年より准教授、2020年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長、2023年より奈良県立医科大学精神医学講座教授。

 

 

映画『ノルマル17歳。-わたしたちはADHD-』

7月より関西・横浜ロードショー 出演:鈴木心緒、西川茉莉、眞鍋かをり、福澤朗、村野武範ほか

 

【Not Sponsored記事】

 

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