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「私は皆みたいになれない。 窮屈すぎて生きづらい…」ホントに多様性の時代⁉ もっとゆるっと生きられないの?【専門医が解説】

OTONA SALONE / 2024年6月21日 18時1分

発達障害の女子高生を描いた映画『ノルマル17歳−わたしたちはADHD−』で脚本家デビューした神田凛さん。

神田さんは高校生の時に、発達障害のAさんと出会いました。なかなか学校に自分の居場所を探せなかったAさん。神田さんは、そんなAさんとの親交を深めていく中で、「ゆるっと生きたらいいんじゃない」と思うようになりました。

この記事は前編『すぐに感情爆発! 昔からトラブルメーカーの彼女。「治ることはない」と絶望している本人に、まわりの人間はどう接する?【専門医が解説】』に続く後編です。

>>>この記事の【前編】を読む

「ノルマルADHD」で脚本家デビューした神田凜さん

寛容に生きていきたい

shutterstock.com

高校生の時に発達障害と診断されたAさん。卒業後は社会人になり、学校の大人たちや家族以外の人と接し始め、「あ、こういう人もいるんだ」と気づき始めたといいます。

「学校と自分の家族以外にも理解してくれる人がいて、むしろ自分に近すぎない人の方が穏やかな気持ちになれることがあるようです。子どもの時は親と学校が全てですが、卒業して解放され、世界が広がったのだと思います。」

 

社会人になったといっても、決して順風満帆だったわけではありません。Aさんは職場を転々としました。

「当然、遅刻したとか寝坊した、行きたくない、職場の人と合わないということがありました。今いるところもいつまで続くのだろうという不安はあります。何かのきっかけで辞めてしまうのではないかとか、辞めた後どうするのかなと思うと気がかりです。職種は接客業が多かったですね。接客業って辛くないのかなと思うこともありますが、そういう部分は定型の人たちと変わりなく、文句を言いながらも続けているようです。」

と神田さんは気にかけているようです。

 

Aさんのご両親は、結婚するなら結婚する、バリバリ働くなら働くなど、ある程度安定してくれることを望んでいるそうですが、神田さんは、「今の時代もっと好きに羽ばたいてもいい」と考えていると言います。

「住める場所も日本だけではありませんし、仲良くするのも日本人だけじゃなくていいと思っています。もっと外に出てもいいのではないでしょうか。勉強していい大学に入って大企業に勤めるのも努力の成果だと思いますが、それだけがベストな生き方ではないでしょう。」

生きていけるのならどこの国でもいいし、どこの土地でもいいと思うという神田さん。

「ブラジル人は、待ち合わせをしても当日来ないということがよくあります。『なんで来なかったの?』と聞くと、『家族と踊っていた』と。そのレベルの約束のすっぽかし方で、全員がすっぽかしをやるから誰も気にしません。みんなが迷惑をかけるから私の迷惑も気にしないでねというスタンスでいけるのですごく楽だなと思っています。あまりにも行きすぎると法律に関わってくるのでやりすぎはよくないのですが、普段の小さな制限はゆるっとしていてもいいのではないかと。巡り巡って自分がしんどい時に自分にも適用されると思うと、楽に生きられる気がします。」

 

 

固定観念に囚われない

shutterstock.com

神田さんは、人と接する時に決めていることがあるそうです。

「人を見た時に、まず初めにその人に対して疑問が浮かんだらいいなと思っています。パッとみて派手な服を着ている人がいた時に、『うわ!なんか変な服を着ている人がいる』と、最初から決めつけてしまうのではなく、ピンクとかフリフリが好きなのかなとか派手な服が好きなのかなとか、子供の時からなのか、好きなモデルさんを参考にしているのかとか、色んな疑問が浮かぶと決めつけがなくなるでしょう。
まず自分が思いつく限りの疑問を浮かべて接していくと、初回でバチっと揉めるようなことはありません。この人はこういう人だと決めつけてグイグイ行くよりも、『この人はどういう人なんだろう』という疑問符を掲げて人に接していきたいんです。その方が結構みんなゆったりと関われるのではないかと思います。」

 

固定観念を前面に押し出して喋ってしまうと、回り回って自分に返ってきた時に苦しくなるということは容易に想像できます。

「〇〇大学以下の人はアホばかりだと決めつけていると、ずっと自分が尊敬していた人が〇〇大学出身だと分かった時に、『あれ?今まで尊敬してきた俺の気持ちは?』みたいになってしまい、どんどん自分で自分を締め付けることになってしまいます。」

普段の生活でも「人に対して厳しいルールを課さないようにしている」という神田さん。

「それを言うと自分も守らないといけなくなるのでしんどいでしょう。自分がミスをした時に、『あんたもこの前こう言ってたやん』と言われるので、言わないようにしています。」

 

 

 「普通」という呪縛に縛られず、ゆるっと生きてみない?

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映画の登場人物である高校生・糸。糸の母親は、「決めつけ」や「厳しいルール」に縛られ、糸が発達障害だと分かっていても認めたくないと言葉や態度で示して、糸を苦しめます。

「糸のお母さんの『あなたはみんなと同じようにやれば普通になれる』というのも、自分で自分の首を絞めていくセリフです。彼女がミスをした時に、『なんでこんなこともできないんですか、普通そんなことしないですよ』と言われたら、初めて間違っていたことに気づくのではないでしょうか。私はこれが『普通』だと思っていたのにと。そして、その時初めて糸の気持ちに気づくのでしょう。」

糸の母親だけではありません。私たちは知らず知らずの間に、「普通」という言葉に縛られているのではないでしょうか。

「特に、学校生活では少しでも周りと違うことをするとくすくす笑われてしまいます。小さい時から教育の場でそういうことを何度も経験すると、必然的に『人と違うことをしてはいけないんだ』という人間ができあがってしまいます。
ちょっとでも人と違うことをすると笑われるから、周りと一緒でありたいと思う。それが日本人の国民性といったら国民性なのですが・・・」

 

確かに私たちは、多くを語らなくても暗黙のルールで人と同じことができたり、マナーが良かったりすることがあります。それは良い一面でもありますが、その枠からはみ出してはいけないという無意味な縛りになってしまうこともあります。

「そういうところが全体的にもう少し緩んだらいいのになと思います。多少の小さいミスや見た目の違い、見た目が違うとか肌の色とか体型などのルッキズム、国籍についてはもう少しゆるっとなったらいいなと思います。」

 

映画に出てくる商店街の大人たちは、発達障害の糸と朱里のことを特殊な目で見ていません。彼女たちは自然と大人たちに馴染んでいます。

「商店街の大人たちは私の願望です。私自身があれくらい大きな器で構えられたらよかったなという思いもありますし、ああいう大人がいて欲しかったなという願望を込めています。もちろん、各自“普通”というのは持っていていいと思うのですが、それを人に押し付けないように生きていけたらいいなと思います。親子でも友達同士でも、朱里と糸の間でも決めつけがない世界になればいい。」

神田さんは、これからもずっとAさんと関係を持っていくつもりだといいます。発達障害の特殊な人ではなく、一人の人として。

 

 

児童精神科医 岡田俊先生のアドバイス

岡田俊先生

発達障害と診断される大人は増えています。これは発達障害のために困難を感じ、支援を必要とする人の裾野が広がったということです。そして、子どもであっても大人であっても、それぞれのライフステージに即した課題があり、支援を必要としていることが認識されるようになりました。大人で求められるのは、就労、家庭や地域における日常生活の自立ですが、それと同じく余暇活動も大切ですし、それらすべてを通して、その人がその人らしい人生を送ることができることが大切です。
しかし、自分らしい生き方といっても、漠然としていたり、この息苦しい世の中ですから、ちょっと贅沢すぎる希望のように思えたりします。自己実現は、誰にだってその人なりの自己実現があるはずですが、日々の暮らしと向き合っていると、目標を現実的な水準まで落とし込むことがあっても、自己実現なんて夢の又夢と思えるかも知れません。そういう葛藤が、大人の時代の苦悩のテーマともいえるでしょう。

発達障害がある人の生きにくさが浮き彫りになりやすい社会とは、どのような社会でしょうか。
現代では多くの情報が行き交い、それらの情報をもとにすばやく臨機応変に対応することが求められる社会になりました。多彩な能力を持ち、その能力を器用に使いこなせる人ほど、現代社会に「適応」しやすいのです。
一方で、このような時流に流されず、自分のペースを守れることが強みの人もあります。様々なタイプの人がいて、この社会の多様性が構成されています。
ここで大切なことは、発達障害の人が行きにくい世の中は、多くの人にとって窮屈な世の中なのです。なぜなら、私たちはみな違っていて当たり前です。誰もが個性的で社会で求められるいかなるニードにも応じることはできないのです。
ただ、そのような「違い」がより大きな発達障害のある人は、個性では片付けられない大変さを抱えていることには思いを馳せる必要があります。

発達障害のある人の生き方を認めるということはどういうことでしょうか。発達障害のある人の困難さを理解しても、その人を埋め合わせる人の身にもなってみてほしい、という思いが出てきます。発達障害のある人を理解したり受容したりすることは、発達障害のある人のことだけを認めて、周囲はがまんしましょう、ということではありません。発達障害の人も、発達障害ではないけれどもその特性をちょっぴり持ち合わせている人、普通のなかの普通のような人、発達障害の対極にあるような人、それぞれにはそれぞれの生きにくさがあるのです。それを互いに認め合えることですし、発達障害の有無にかかわらず、互いの大変さに思いを馳せる想像力は求められます。円滑に集団が動くためには、職場なり家庭のなかでの役割の調整をしてくれる支援者が必要なこともあります。

日本は、社会のなかの「和」を大切にしてきた国です。そのことがややもすると同調圧力が強くなり、排他的になることに繋がりえます。しかし、同調とは多様性を認めあうことで、歩み寄ることでもあって良いはずです。
とかく社会のゆとりが失われつつある今日ですが、そのような寛容さは大切にしたいものです。そのような多様性は、身の回りにも、ときには自分自身の中にも見いだされるかも知れません。
ニューロダイバーシティーという表現も用いられるようになりました。さまざまな多様性にどう向き合うかは、現代社会に与えられた最も重要なテーマになっているように感じます。

 

 

<岡田 俊 先生 プロフィール>

国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長/奈良県立医科大学精神医学講座教授

1997年京都大学医学部卒業。同附属病院精神科神経科に入局。関連病院での勤務を経て、同大学院博士課程(精神医学)に入学。京都大学医学部附属病院精神科神経科(児童外来担当)、デイケア診療部、京都大学大学院医学研究科精神医学講座講師を経て、2011年より名古屋大学医学部附属病院親と子どもの心療科講師、2013年より准教授、2020年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長、2023年より奈良県立医科大学精神医学講座教授。

著書「発達障害のある子と家族によりそう 安心サポートBOOK 小学生編」「親の疑問に答える 子どものこころの薬ガイド」「もしかして、うちの子、発達障害かも!?」など。

 

 

映画『ノルマル17歳。-わたしたちはADHD-』

映画『ノルマル17歳。-わたしたちはADHD-』

7月より関西・横浜ロードショー(順次全国公開/詳細は公式サイトにて)

出演:鈴木心緒、西川茉莉、眞鍋かをり、福澤朗、村野武範ほか

 

 

【Not Sponsored記事】

 

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