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40代、驚くほど急に「中年が始まる」。元ファンドマネジャーがこれだけは伝えておきたい「大人の危機」とその回避(前)

OTONA SALONE / 2024年7月3日 11時50分

大学生のアキさん、高校生のルミさん、2人の娘を持つ個人投資家・文筆家の澤田信之さん。「予測を業としてきた自分にも、彼女たちがこれからどのような時代を生きていくのかまったく判断がつかない」と語る澤田さんが、「生きる視点」を子どもたちに伝えるメッセージ書評です。

【父から娘へ書評#3『パーティーが終わって、中年が始まる』pha】前編

 

24年7月3日から、日本に20年ぶりに新札が登場。20年という年月が持つ意味

アキ、ルミ、お小遣い足りてる?

 

ルミはもう知ってると思うけど、7月から新しいお札が流通します。お札の刷新は日本では20年ぶりです。今回は資本主義の父・渋沢栄一、津田塾の開祖・津田梅子、細菌学の巨人・北里柴三郎の御三方が肖像画に選ばれました。

 

アキは日本に帰ってきたらびっくりするよね、偽札じゃないから心配しないで。あと手元にある旧札も使えるから。

さて、今日2人に紹介する書籍は、元日本一有名なニート・phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』です。

 

phaさんは現在45歳。大学卒業後に学校職員としてタイに赴任、帰国・退職後はブログやX(旧ツイッター)、書籍執筆をベースに、シェアハウス運営など好きなことをしてまったりと活躍されてきました。

 

ニート、って言葉知ってるよね。Not in Education, Employment, or Trainingの頭文字で、いわゆるひきこもりと並んで20年くらい前に話題になったんだよね。「いい若い者が働きもせず外にも出ず、社会的に問題ありだ」って論調で。

 

でも、なんと、その代表格と思われていたphaさんが、パーティーが終った、って言うんだからちょっと驚きじゃないですか。

 

中年期の入り口に、誰しもふと気が付いてしまうのだろう。「残りがあまりに長い」って

本書の冒頭でphaさんはこう言います。

 

『楽しさをあまり感じなくなってしまったら何を頼りに生きていけばいいのだろう。正直に言って、パーティーが終わった後の残りの人生の長さにひるんでいる』

 

僕は今50代ですが、2人に伝えておきたいです。人生はパーティーの連続です。それに気づいていないだけで、振り返ればイベント盛りだくさんで、楽しさや時に苦しさに満ち溢れています。

 

phaさんはこの著作に向けて過去の自作を読み返した、なんと楽しそうだったんだ、と振り返っていますが、きっとこの著作もいずれ未来に同じ感慨をもって読まれることと思います。そう、このパーティーが終わると次のパーティーが待っているからです。

 

パーティーとは、ライフサイクルそのものではないか。トリガーでどんどん変わる

僕は10代で上京、20代で就職、30代で転職、40代で親業、50代で独立、という流れで今まで生きてきました。だいたい10年で1つの業を終わらせていますね。

 

ライフサイクル、というのはそれぞれの人ごとに違って当然なのですが、転換点には外部的なものと内省的なものの二つがあります。外部的なものは自分では決められない事柄で、僕の場合は上京と転職がそれに当たります。

 

まず10代の話から順番に回顧します。中学高校時代、当時多くの高校生がしていたのと同様に、僕は部活にほとんどの時間を費やしました。

 

先生ごめんなさい、中高通して学校には弁当を持って部活しに行っていました。中学時代はチームが強かったこともあって練習はキツかったです。水を飲むな、先輩の練習中は球を拾え、頭は丸坊主。今の中学生からは想像できませんが、わずか40年前はそれが普通で、学校教師が兼任する部活のコーチからは鉄拳制裁もよくある風景。子供の鼓膜が破れても頭を下げるのは親、という時代でした。

 

高校はチームが弱くてコーチもいませんでしたが、やらされるのではなく自発的に行動する小数精鋭が集まったおかげで、チームの意味や役割分担を考えることができました。自発的な7時からの朝連、実力主義の選手選びなど、その後の人生に必要なものはすべて高校の部活から学んだような気がします。しかし残念ながら勉強がおろそかになって、大学受験は第一志望に合格できず、結果的に上京することになりました。

 

もう一つ、30代での転職も第一志望ではありませんでした。日系の資産運用会社にお世話になっていた僕は、証券アナリスト資格を取ってファンドマネジャーになりました。90年代は、世界的にみると冷戦構造が崩壊、国内でもバブルの崩壊が実体経済に残した傷跡が大きく、政治の世界が大きく動いた時期でもありました。政治経済に興味があった僕は、ある電機メーカーの創始者が始めたリーダー育成のための公益財団法人の門を叩きます。でも残念ながら扉は開かれませんでした。それで僕は外資系に転職したわけです。

 

つづき>>>人生の「思わぬ変化」をどう捉えておけばよいのか。それはいったい、どのように訪れたのか?

 

≪文筆家・個人投資家 澤田 信之さんの他の記事をチェック!≫

 

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