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【独占告白】梅宮アンナからメッセージ「私、7月31日に乳がん治療を始めました」

OTONA SALONE / 2024年8月13日 17時0分

こんにちは、梅宮アンナです。

 

突然のご報告ですが、私は乳がんにり患しました。

 

「浸潤性小葉がん」という希少な組織型のがんで、部位は右乳房。ステージⅢA、右腋窩(えきか・わきの下)リンパ節転移があります。ホルモン受容体陽性、HER2陰性でした。

 

5月下旬に異変に気付き、6月中旬に検査、7月上旬にがんと診断され、詳しい病状が判明しました。そしていよいよ7月31日から、手術前に抗がん剤治療を行う「術前化学療法」をスタートしています。

 

まずは術前化学療法として「AC療法」、その後「パクリタキセル」を行っていきます。そして、手術を行うという予定です。すべて信頼できる医師たちとの二人三脚で、「標準治療」をメインに、いろいろな角度から病気と対峙していこうと考えています。

がんを宣告された瞬間、「やっと私の番がきたな」と感じている自分がいました

「アンちゃん、大丈夫?」とたくさんの声、本当にありがとう。でも、私は、これは自分に必要なことだと受け止めています。きっと、この病気にかかったことには意味がある。神様が、アンナ、お前にはまだやることがあるんだよって言ってるんだろうって。だって、告知を受けて以来、いろいろなことの意味が、違った視点から理解できるようになったから。

 

「あなたはがんです」と言われた瞬間、いちばんさいしょに思ったのは、正直に言うと「やっと私の番がきたな」でした。

 

私は小さいときから梅宮家のみんなががんにかかるのを見て育ち、いつか遺伝で自分もがんになると思っていました。父、梅宮辰夫は36歳で肺がんになり、4年前に81歳で逝去するまでがんと一緒に生きました。父の2人の妹もそれぞれ大腸がん、乳がんにり患しました。

 

だから、がんを告知されたときもあまり驚きませんでした。

 

お医者様が何の前置きもなくさらりと「がんです」とおっしゃったので驚くタイミングを逃したのもあります。それよりも、その場に母も同席していたので、「母に直接聞かせたくなかった!」と感じました。怖くて右に座る彼女を見られず、「かわいそうなところに母、クラウディアさんを連れてきちゃったな、一人で来るべきだったな」と後悔していました。あとからクラウディアさんに「アンナがそういう感じでからっとしているから助かった。私だったら耐えられなかった」と言われて、少し心が軽くなりました。

とはいえ、すぐにがんを受け入れたわけではなくて。ずっとずっと泣いていました

そんな私も、告知を受けてから今日までの約1か月、ずっと元気だったわけではありません。やはり、がんという重い事実を受容するには段階がありました。

 

まず、告知から10日くらいはぼーっとしていました。そして、10日目くらいからでしょうか、突如として泣き始めたんです。

 

私、死んじゃうのかな。がんだって。死ぬよね。どうしよう。……抗がん剤? 髪の毛なくなっちゃうの? どうしよう。

 

ここで猛然とネットで検索を始めました。そして、「え、こんなふうに髪の毛がなくなるんだ」と強烈なショックを受けて。やっぱり治療やめようかな、このまま運命を受け止めようかなと思いました。毎日毎日泣いて、もうスーパーで玉ねぎを見ていてもスーっと涙が流れちゃうんです。起きて泣いて、寝て泣いて。

 

このころ、アメリカに住む友人に「私、がんなんだけど、もうこのまま治療もしなくていいかもって思ってて」と打ち明けたんです。そうしたら、その友人が猛然と怒り始めました。「ねえ、わかってる? あなた、百々果(ももか)ちゃんのお母さんだよね? 21歳で愛する母親が治療をあきらめて死んでいくのに直面する気持ちって考えたことある?」って。

 

いま60代の彼女は、長きに渡るがん闘病者です。彼女の言葉は誰よりも重い。このひとことでバッと私の脳が切り変わったんです。

 

いえ、もしまだ百々果が小さければ、いっしょに暮らしていれば、こんなことを言われるまでもなく、私はまっすぐに彼女のために生きようとしたでしょう。でも、いま百々果はアメリカにいて、距離ができています。彼女が家を離れたことがあまりに悲しくて、私はなるべく彼女のことを忘れようと努力を続けて、やっと彼女の不在に慣れたところでした。そのせいで忘れていた大切なことを、パッと思い出せたのです。だめだ、私死んでいられない、がんばらなきゃ。

 

そこからすべてが動き出しました。誰に電話しよう、誰に伝えよう。自分の身の回りの大事だと思う人みんなに言わなきゃ、私はいまこうなっていますと教えなきゃ。同情してほしい、救ってほしいのではなくて、「私の未来がどうなるかわからない状況なのです、力を貸してください」って、急いでお伝えしなきゃって。

 

激動でした。いろいろな人に来る日も来る日もメールを送って、治療のための生活の準備をてきぱき整えて、隙間の時間で乳がんの書籍を何冊も読んでひたすら勉強して。自分が抗がん剤治療を始めたら必要になるものも調べて、手配しました。ウィッグ、まつげケア、眉毛のアート……何があるんだろう、どこに行けばいいんだろうって、調べながらすぐ動きました。ちなみに、ウィッグはさっそくお気に入りを手に入れています。私、JJの頃からこういうアイテムを探し出すのが大好きで、大得意でした。みなさんにもお店やアイテムを紹介していきたいなと思っています。

こうして病を得たことで、私はいちど立ち止まった。そして気づいた私の「本当の心」

思えば、宣告を受けた日の夜は、何年かぶりにぐっすり寝ました。不思議ですね、私、「これで休める」って思ったの。きっと内心、長年の芸能生活にいったんお休みをいただいて、私が新しく自分の道を進み始めるミッションの始まりなのだと気づいていたのだと思います。

 

父、梅宮辰夫が亡くなって約4年たちました。当初は相続に忙殺され、その後はお仕事として相続に関する発信を続けてきました。そんな中、やっぱり芸能界って私の身の丈に合っていないんじゃないかと改めて思っていて。人がやっていないこと、自分にしか体験できないことは何なのか、それを見出そうと必死で、正直言って毎日が楽しくなかった。もうこれで人生終わっちゃうのかな、インスタこそ楽しく配信しているけれど、そのほかは毎日がとっても空虚でした。長生きもしたくないな、母なんて自分でタクシーも呼べないけれど、きっと私も80歳になったらその時代のスマートデバイスなんて使えなくて、後れを取ってお荷物になって生きていくんだな。「長生きなんてしたくない」、普段からそう友人にも言っているくらいでした。

 

振り返ると、私は自分を芸能人だと思ったことがありませんでした。芸能人のみなさんってとんでもない才能を持つ人たちで、そんな中で私だけ分不相応にこの場にいる、私にはこの世界は向いていないといつも思っていましたし、それがいつでも自分に対する大きなプレッシャーでした。

 

いま毎日ぼーっとテレビを眺め、登場しているみなさんを尊敬の念をもって見つめています。ずっとずっと、背伸びをして、なんでもできるふりをしてニコニコしていました。「アンナちゃん、疲れてない?」って聞かれたら、どんなときでも「疲れてません!」とニコニコ答えます。芸能界ではどんなときでも疲れていないと言いなさいと教わったからです。そんな自分はもう、体力的にも続けられない。

 

いま、私ははじめて立ち止まることができたように思います。これまでとにかく何もかもが忙しすぎました。ディナーのテーブルに最後までついていられることはまれで、次の予定ですと言われて席を立たなければなりませんでした。でも、病気がわかって、お仕事をいったんお休みさせていただいてからは、1つ1つのできごとを味わうようになりました。最後のコーヒーまでじっくり堪能してから席を立つようになると、景色ががらりと変わり、人生が楽しくなりました。いろいろなことのありがたみもわかるようになりました。嗅覚も味覚もこれまでとは違うんです、何を食べても最高においしい。誤解を恐れずに言うと、毎日が楽しいんです。

 

今日も母とマンゴーを食べて、こんなにおいしいの!って驚きました。お恥ずかしながら、マンゴーに種があることを知りませんでした。フルーツも野菜も嫌いで食べてこなかったから。でも不思議と体が「いま食べるべきもの」を欲するようになり、生まれてはじめてこんなにたくさん食べています。キウイなんて食べたこともなかったけれど、健康にいいよと言われて食べてみたら、こんなにおいしいんだって感動して。大げさに思うかもしれませんが、泣いてしまいました。

 

クラウディアさんと「お昼はマックにしようか!」「いいね!」なんて笑っていると、こんなに時間がいっぱいあることに嬉しくなってしまいます。私は小学校、中学校のころからいつでも居場所がなかったけれど、いまひとつひとつそれを見つけ出している気持ちです。今回のできごとはこんな具合に、突然降ってきた「身の丈にあった自分の生き方を見つめなおす機会」なのだと捉えています。

私には「だいじょうぶだよ!」よりも、少しだけ遠い未来の約束をしてほしいです

私がこれからどういう経過をたどるかを正直にお伝えしていくことで、結果的に同じようにがんにり患している誰かが救われたらいいなと思っています。私はもともと何かをするときの基準が「誰かの役に立てるか」でした。これはブレていません。どう心が動くのか、どういう現象が起きるのか、それにどう向き合っていくか、そういう姿をお伝えしていきたいと考えています。

 

そんな私が、いまひとつ思うこと。

 

がんは人の数だけ違う表情を持っています。ステージいくつだから大丈夫、私の友人は大丈夫だったから大丈夫ということは、やっぱり、ないんだよね。人それぞれなんです。

 

がんって、肉体的にも精神的にもすごくキツいのですが、とにかく闘病が長いんですね。この治療をしたらハイ消えますよという病気ではなく、次の日がどうなるかが誰にも見えないんです。ひとりずつ細胞も血液も違うので、同じ治療をしても先がどうなるのか、誰も答えを知らない。

 

勇気を出して告白します。がんですと伝えるとみんな「がんばって!」「だいじょうぶだよ!」って言ってくれます。その気持ちは本当にうれしい、感謝しています。なのですが、ごめんなさい、こんな気持ちになったのははじめてなのですが、実は受け取る私の側はだいじょうぶではなかった。

 

もしかしたら私もこれまで同じ思いを誰かにさせてきたのかもしれませんが、「だいじょうぶだよ!」という言葉からもとんでもないプレッシャーを受け取ってしまいました。笑顔でありがとうと返事はするけれど、じつは毎回毎回辛かった。毎日こんなに考えて、こんなに動いて、だいじょうぶかどうかを調べれば調べるほど「だいじょうぶ」なんてことは絶対ないという事実がどんどんわかっていくのに、これ以上その事実を直視しながらがんばれないのです。がんと診断されてはじめてわかった心の動きです。

 

だから、「がんばって!」「だいじょうぶだよ!」と言われるよりも、これからは「じゃあアンナちゃん、元気になって快気祝いにハワイでゴルフしよう」なんて、「ちょっとだけ遠い未来の約束」をしてもらえるのが、今の私にとってはちょうどいいです。ありがとう、聞いてくれて。

 

ここからお付き合いが深まるお友達と、疎遠になっていくお友達がいると思います。疎遠になるお友達はきっと「アンナちゃんをそっとしておいてあげよう」って思いやってくれているのだと思いますが、私はむしろ「アンちゃん元気~?」と連絡してきてほしいです。「アンちゃん、今日の体温は~?微熱おさまった?」なんて。

同じように闘病するみなさん、支えているみなさんと、ゆるやかにつながっていきたいです!

インスタに掲載されているメールアドレスで連絡が取れます。メディアの皆様、前向きに闘病をエンパワメントできる取材ならば、ぜひお声がけください。また、がん患者をエンパワメントする活動をなさっている皆様ともつながりたいです。

 

ここからは体調を見ながら、インスタの更新のほか、コメントをまとめて連載も続けていきたいと思っています。私、がんになったことで、幸せを見出す気、かましてます(笑)。ひとつの大きな病があることで、人生の本質に迫れる気がしていて。

 

がん1年生の梅宮アンナをどうぞよろしくお願いいたします。

 

https://www.instagram.com/annaumemiya/?hl=ja

 

★お知らせ★今日、8月13日(火曜)21時から、私のインスタアカウントでインスタライブを行います。ぜひ、アンナの声を聞きにきてください。

 

 

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*編集部より/この記事は梅宮アンナさんの主治医とも相談のうえ、現状スケジュールされている治療方針含めて記録しています。また、本稿は通常日本国内で認められる引用水準であれば、出典「オトナサローネ」およびURL「otonasalone.jp」を明示いただくことで、メディア記事にご引用いただいて結構です。

 

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