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「あなたの余命は半年です」その瞬間、宮川花子の脳裏をよぎった「この言葉」【なにわ介護男子#1】

OTONA SALONE / 2024年9月24日 20時0分

闘病や介護という難しいテーマに一筋の光が差し込むのようなお話をしてくれたのは、日本を代表する夫婦漫才・宮川大助さん・花子さん。2019年に花子さんに血液のがんである「多発性骨髄腫」が発覚、今もなお闘病生活を続けています。

 

今年6月末には笑って泣ける闘病&介護エッセイ『なにわ介護男子』(主婦の友社刊)を上梓。完治しないこの病気を抱えながら生きる花子さん、そして自身の体調も芳しくない中でも懸命に支える大助さん。花子さんはそんな大助さんを「なにわ介護男子」と命名し、大変な闘病と介護の日々にもクスッと笑えるスパイスを忘れません。本連載では、おふたりのお話から、「生きる意味とは?」「夫婦とは?」を考えていきます。また、介護をする側・される側の本音にも迫ります。

 

 

「あわてず、あせらず、あきらめず、私はこれからも挑戦を続けます」。著書の終わりをそんな前向きな言葉で締めくくっている花子さんですが、実際には計り知れない痛みや苦しみ、葛藤を経験しているのは想像に容易いものです。

 

『なにわ介護男子』宮川大助・花子 著 1,650円(税込)/主婦の友社

そんな花子さんが「転移性骨腫瘍の疑いあり」と告知を受けたときのお話をご紹介します。一体、いつどんな風に異変を感じたのか? 告知を受けたときの心境は? 当時を振り返ってもらいました。

 

ウォーキングイベントの途中で謎の腰の激痛。わずか2週間後、「余命半年」の宣告を受ける

テレビドラマではよく見かける余命宣告。でも、実際に自分や家族が受けることになったら……。どんなにメンタルが強い人でも、きっと気が動転してしまうでしょう。いつも太陽のように明るく元気なイメージが強い花子さんでさえも、医師から衝撃の告知をされたときは「記憶をなくすほどの大きなショックを受けた」といいます。

 

「初めて体調に異変を感じたのは、2018年3月2日に開かれた寛平マラソン前日のウォーキングイベントのとき。もともとフルマラソンを完走したこともある私ですから、12kmやそこらのウォーキングなんて余裕しゃくしゃくのはずが、なぜか途中から腰の激痛で一歩も進めない状態に」

 

二人のマネージャーの肩を借りて、なんとかゴールした花子さん。いったん痛みが治まったものの、2週間後にはまったく起き上がれなくなり、大助さんに説得されて家の近くの病院に向かいました。そこで、医師から衝撃の告知を受けることになったのです。

 

「『転移性骨腫瘍の疑いあり。背骨の2番と5番にがんがあり、内臓から背骨への転移であれば、余命半年』

テンイセイコツシュヨウ?

余命半年?

頭の中は真っ白です。病名の漢字も浮かびません。隣に座る大助くんは、顔面蒼白。どうやって会計をすませて病院を出たのか、記憶にないほどショックを受けました」

 

初対面の病院の医師が「母がお世話になりました」。……何言うてはるんやこのセンセ?

その後、奈良県立医科大学附属病院の血液内科へ。このときに出会ったのが、今もお世話になっている主治医の天野逸人先生だったのだそう。花子さんと大助さんの顔を見たとたん、『うちの母がお世話になりました』と丁寧におじぎをした先生。二人は顔を見合わせて「何、言うてはるんやろ?」と思ったといいます。

 

「じつは、大助くんがその理念に感動してボランティアに行っていた福祉施設『アガペの家』の息子さんだったのです。そういえば、私もおじゃましたことがありました。『天野のおばちゃんのボンかいな!』と喜ぶ大助くんの様子に、なんとも不思議なご縁を感じたものです」

 

天野先生のもとで生体検査を受けた結果、当初疑われた内臓から背骨への転移ではなく、形質細胞腫という診断が下されました。骨髄に形質細胞腫が10 %以上あれば「多発性骨髄腫」と診断されますが、この段階で腫瘍があったのは、第2腰椎と第5腰椎だけ。ひとまず「余命半年」という切羽詰まった事態からは逃れられたことに胸をなで下ろした二人だったのです。

 

「天野先生は『抗がん剤、放射線治療、重粒子治療といろいろ選択肢はあるけど、骨やったらまず、放射線の照射です』とおっしゃり、都島放射線科クリニックで放射線治療をすることに。周囲の誰にも病気のことは知らせず、仕事も普段どおりにこなしながら約2カ月で14回の放射線治療を受けました。先生も『よう効いてる!』と言うほど、がんの数値は見る見るよくなり、治療はいったん終了。これで大丈夫、すべて順調でよかったとほっとしたものです」

 

放射線治療中の4月1日には、なんばグランド花月で紫綬褒章記念イベントを開催。受章したのは前年秋だったものの、二人の結婚記念日4月9日に近い日を選んだのでした。会場いっぱいのお客さまを前にすると、花子さんは「腰が痛くて本番15分前まで楽屋で横になっていたのがうそのように痛みを感じなかった」というから驚きです。

 

「トークのときこそ座らせてもらいましたが、漫才もお芝居も笑顔でこなし、最後はみんなとダンスまで踊ったのです。楽屋での姿を見ていた吉本興業の前会長が『このNGKには笑いの神さんがいてる。やっぱり、ここにはな』としみじみおっしゃったのが忘れられません。私も感無量でした」

 

花子さんは放射線治療を頑張った甲斐があり、治療はひとまず終了。この先は再び穏やかな毎日に戻れると期待が膨らんだに違いありません。それなのに、なんとも神様は意地悪……。今度は地獄のような壮絶な闘病生活が始まるのでした。

 

つづき>>>「地獄やあ、地獄やあ」進行する多発性骨髄腫、不意の骨折。痛みのあまり寝返りも打てず

 

『なにわ介護男子』宮川大助・花子 著 1,650円(税込)/主婦の友社

 

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≪ライター 濱田恵理さんの他の記事をチェック!≫

 

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