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「花子さんは舞台で死にたい人だと思ってた」死の淵をさまよった経た芸人が「生き証人」に伝えた言葉は【なにわ介護男子#4】

OTONA SALONE / 2024年9月25日 20時1分

日本を代表する夫婦漫才・宮川大助さん・花子さん。2019年に花子さんに血液のがんである「多発性骨髄腫」が発覚、今もなお闘病生活を続けています。

 

今年6月末に『なにわ介護男子』(主婦の友社刊)を上梓。完治しないこの病気を抱えながら生きる花子さん、そして自身の体調も芳しくない中でも懸命に支える大助さん。花子さんはそんな大助さんを「なにわ介護男子」と命名し、大変な闘病と介護の日々にもクスッと笑えるスパイスを忘れません。本連載では、おふたりのお話から、「生きる意味とは?」「夫婦とは?」を考えていきます。また、介護をする側・される側の本音にも迫ります。

 

『なにわ介護男子』宮川大助・花子 著 1,650円(税込)/主婦の友社

多発性骨髄腫と診断されて以降、心肺停止寸前という危機を経験したり、さらには心臓カテーテル手術や抗がん剤治療などに臨んだりと、さまざまな出来事を経て迎えた2023年。ここでは、漫才界で第一線を走り続けてきた花子さんが、「芸人」から「患者」へと変わった日のお話をお届けします。前編『先生に言われてるから。「しんどくなったら、何があってもやめなさい」って。でも、ここは芸の世界で』に続く後編です。

 

「花子さんは舞台で死にたい人だと思ってた、しんどくなったらやめると言うとは意外だった」

2023年、闘病中の身でありながら、なんばグランド花月(NGK)で漫才復帰を果たした花子さん。その際、「体を最優先に考え、決して無理はしない」というスタンスがドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』の放送で公にされたとき、世間からどんな反響があったのでしょうか?

 

「『花子さんは舞台で死にたい人だと思っていた。しんどくなったらやめると言うなんて意外だった』と多くの人に言われました。そう思われても仕方ありません。発病から5年、たくさんのつらく苦しい経験をしてきました。自分でも知らないうちに、多発性骨髄腫であることを受け入れ、がんとの闘いを最優先する道を選んでいたのです」

 

会場に着いたら、二人の間にそんなやりとりがあったことなどおくびにも出さなかったという花子さんと大助さん。SNSで「今日の復活、泣きに行きます!」とメッセージをくださったファンの方には「笑いに来てや!」と明るく返したと言います。お客さまが待ってくれていると思うと、ぐっと気合が入るのは、芸人・宮川花子が生きている証しだと感じたそう。

 

「この日の出演は、全18組中4番目。若手が続いたあとだけに、なんとしても最初に大きな笑いが欲しいと思っていました。そして、私たちの出番。『4年ぶりにNGKに戻ってきたぞ〜!』。そう叫ぶと、予想以上の大きな拍手です。『今日来てくださったお客さんは、大助・花子の生き証人。4年ぶりに戻ってきたその日を見てくださった特別なお客さん。終わったら一人ひとり握手してお見送りしたい……という話は出ておりません(笑)』と言うと、ねらいどおりの爆笑が返ってきます」

 

私たちを待っていてくれた人がこんなにたくさんいた。このNGSのセンターマイクまでを何回歩いたろう

大盛り上がりの中、なんといっても極めつけは大助さんの言い間違いだったとか。いつものように大助さんを「大谷翔平です」と紹介したら、久しぶりのNGKステージに緊張したのか、予想外の答えが返ってきたのです(笑)。

 

「『ピッチャーとキャッチャーの二刀流で』と言うんですよ。もう、さすが大助くん! すかさず『誰が投げて、誰が受けるねん!』。どっと大きな笑いです。よし! いけた! 大きな手応えを感じました。舞台袖からは多くの芸人さんや吉本興業の関係者が食い入るように見つめています。その熱い視線も『ああ、待っといてくれたんや』とうれしかったですね」

 

花子さんも感無量でしたが、その思いは闘病生活を支えてきた大助さんも同じ。漫才後の会見で大助さんは「僕たちは、NGKに育ててもらいましたから。センターマイクに向かいながら、『ここを何回歩いたんだろう』ってしみじみ考えました」と語ったのでした。

 

「涙もろい大助くん、舞台袖からすでに泣きそうになっていたのです。私も、センターマイクに近づくごとにどんどんうれしくなって……。最高のお客さまたちが『大助・花子』を上手にのせてくださって、途中でやめることなく最後まで楽しく舞台を務めることができました。その後の検診で『熱男先生、途中でやめずにすみました』と報告すると、『よかった、よかった』と喜んでくださいました。その笑顔を見て、私も心からほっとしたのです」

 

次の話(9月26日20時に配信します)>>>>検査数値が悪化する。センターマイクが遠ざかっていく。私はもう、あそこには立てない【なにわ介護男子#5】

前の話<<<<先生に言われてるから。「しんどくなったら、何があってもやめなさい」って。絶句する大助の心中は

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『なにわ介護男子』宮川大助・花子 著 1,650円(税込)/主婦の友社

『なにわ介護男子』宮川大助・花子 著 1,650円(税込)/主婦の友社

 

<著書プロフィール>

夫婦漫才の第一人者。大助は1949年、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は1954年、大阪市生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。79年にコンビ結成。87年に上方漫才大賞の賞受賞。2011年に文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門を受賞、17年に紫綬褒章を受章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。書籍は『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。

 

 

≪ライター 濱田恵理さんの他の記事をチェック!≫

 

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