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「え、そんなもので拭くの⁉」貴族でさえ「紙」が貴重な平安時代、鼻かみやお尻拭きはどうしていた?

OTONA SALONE / 2024年8月19日 17時31分

*TOP画像/紙 大河ドラマ「光る君へ」 31話(8月18日放送)より(C)NHK

 

『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代における「紙」について見ていきましょう。

 

この記事の【前編】を読む◀まひろの「根の暗さ」は作家としての強みに。いよいよ、あの『源氏物語』が誕生するのか⁉ __◀◀◀◀◀

平安時代、「紙」は高級品!貴族たちでさえ、紙の使いまわしは当たり前

『光る君へ』の越前編では、まひろ(吉高由里子)が和紙の工房を訪れ、税として納められた紙を1枚ほしいと為時(岸谷五朗)に頼むシーンがありました。しかし、権利濫用を嫌う為時は娘の稀なおねだりにもかかわらず頑なに断っていましたよね。当時、紙はそれほど貴重なものだったのです。

 

日本において紙作りの技術は奈良時代に高句麗から伝わったといわれています。奈良時代は戸籍や税を記入する紙写経用紙漉(す)かれていましたが、平安時代にはこれらに加えて、和歌集の編纂にも紙が漉かれるようになりました。

 

平安時代、朝廷は人びとに紙を作らせていましたが、紙は貴重品で、珍しいものでした。また、質の高い紙は地位の高さの証明にもなったといいます。

 

当時は図書寮に官営の紙漉き場・紙屋院(かんやいん)が設けられ、紙漉きが行われていました。ここでは質が高い紙を漉いていましたが、紙の需要の高まりとともに原料が少なくなると、不要になった紙を漉き返し、宿紙(しゅくし)としていました。

 

 

当時、ティッシュペーパーやトイレットペーパーはあったの?

当時においても貴族は紙で鼻をかんでいたようです。彼らは懐に懐紙(かいし)という紙を入れており、それを使って鼻をかんでいました。

 

また、トイレットペーパーのようなものはありませんでした貴族は排泄のあと木や竹を短冊状に切った籌木(ちゅうぎ)で、お尻を拭いていたようです。木簡をお尻拭きとして再利用していたという説もあります。旅路では庶民と同じように葉や木の枝などそこに落ちているものでお尻を拭いていたといわれています。

 

 

紫式部や清少納言が執筆に使う膨大な紙を得られたのはなぜ?

まひろ(吉高由里子) 道長(柄本佑) 大河ドラマ「光る君へ」 31話(8月18日放送)より(C)NHK

紫式部は紙が貴重な時代に約100万文字にもおよぶ『源氏物語』や『紫式部日記』を執筆しました。彼女が長編を執筆できたのは道長が紙や執筆に使う道具を支援していたという説が有力です。ただし、『源氏物語』執筆においてどの段階から道長らの支援を受けられるようになったかまでは分かっていません。また、『紫式部日記』は彼女の個人的な日記というよりも、彰子に関する記録的な要素が強く、道長に依頼されて執筆したのではないかといわれています。

 

清少納言については伊周定子からもらった紙を使っていたという説が有力です。

 

参考資料
承香院 『あたらしい平安文化の教科書 平安王朝文学期の文化がビジュアルで楽しくわかる、リアルな暮らしと風俗』 ‎ 翔泳社 2024年

斉藤武行 『絵で見てわかる 伝統建築の図鑑』秀和システム 2019年

繁田信一(監修)『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』ジー・ビー 2020年

 

≪アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗さんの他の記事をチェック!≫

 

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