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陰で「ちょっと変わっているね」と、ささやかれていた小学生。中学でついに「本格的な登校拒否」に。救ってくれたコトとは?

OTONA SALONE / 2024年9月3日 15時30分

愛梨さん(13歳・仮名)は、小学校の時、「ちょっと変わっているね」と陰口をたたかれるようになり、クラスに馴染めず不登校に。なんとか卒業して中学に入学したものの、1年生の11月に発達障害だと診断されました。それと符合するかのように、なぜか右肩下がりに落ちて行く成績。実は、思いもよらないことが起きていたそうです。

 

【発達障害、生きづらさを考える #5前編】

 クラスメイトとうまくコミュニケーションできない

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愛梨さん(仮名)は幼稚園の時に、初めて「壁」にぶつかりました。父親が転勤族だったため年長の時に転園したのですが、同じクラスの女の子のなかにうまく馴染めなかったそうです。お母さんの玲奈さん(仮名)にお話を聞きました。

「夏休み明けに引っ越したのですが、幼稚園は地元の子ばかりでした。その子達は3年間ずっと一緒にいて、すっかり関係性が出来上がっていました。そこにうちの子がポツンと入ったのですが、娘は周りの子とコミュニケーションを取ることができず、特に、会話のキャッチボールが苦手でした。興味がある話題になると自分のことばかり話してしまうので、なかなか仲良くなれないのです。」

そこまではよくある話かもしれません。しかし、小学校に入学した愛梨さんは、尋常じゃないほど忘れ物が多く、玲奈さんは心配になりました。

「1年生の夏休みに教育委員会を通じてwisc(ウィスク)という知能検査を受けさせました。結果、1年生の能力的に考えたら、多少凹凸はあるものの問題ないということでした。知能指数もほぼ平均で、普通学級のままで問題ない、もう少し様子を見ましょうということになりました。ただ、忘れ物は本当に多くて、ランドセルの裏側にマスキングテープでメモを貼って、家に帰ってランドセルをしまう時に、連絡とか宿題とか思い出せるようにしました。」

小学校に入学しても、相変わらずクラスメイトとうまくコミュニケーションできない愛梨さん。ただ、本人も、周りに合わせないと友達ができないと分かってきて、周囲に話を合わせる努力していたそうです。

 

 

トイレから出られない

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3年生の夏休みに大阪に転居し、転校した愛梨さん。とうとう学校に行けなくなってしまいました。

「4年生、5年生にもなると、女の子は成長して難しい年頃になります。いじめとまではいかないけれど、『ちょっと変わっているね』と陰で言われるようになり、女の子の輪のなかに入れなくなりました。言った人は陰で言っているつもりでも、本人にも伝わってきます。休み時間も一人でポツンといることが多かったと聞いています。朝、学校に行こうとするとお腹が痛くなって、トイレから出られない状況が続きました。私が無理矢理トイレから引っ張り出して学校に行かせたので、本人も辛かったと思います。そのうち、愛梨は朝起きられなくなってしまいました。」

玲奈さんは、担任にスクールカウンセラーを紹介してもらいましたが、カウンセラーから病院に繋げてくれるとか教育委員会に話が行くことはありませんでした。

「愛梨の下にも子どもが二人いるので、その子達の幼稚園の送迎をしなければならず、かといって愛梨を一人で家に置いておくこともできず、気持ちが張り詰めていきました。夫も出張が多くてほぼワンオペ状態で、思うように愛梨に手をかけてあげることができない辛い日々が続きました。そんな時、コロナ禍だったこともあり、学校からもらった教育センターのチラシに『お子様のことで困り事があったら相談してください。学校に行けない子には他の考え方もある』と書いてありました。私のカウンセリングではありませんが、苦しい胸の内を聞いてもらうことでガス抜きできて助かりました。」

 

 

不登校を克服、支えになったのは大好きな吹奏楽

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小学校6年生になると、担任の先生が生徒たちに、「愛梨ちゃんは表情が顔に出にくい」「考えないと動けない」など説明して、友達の輪に入れるように誘導してくれました。そのおかげもあり、愛梨さんはなんとか小学校を卒業できました。しかし、愛梨さんは中学1年のゴールデンウィークのあたりから、再び学校に行けなくなってしまいました。

「入学して最初の1、2週間はみんな大人しくしていますが、慣れてくるとだんだん賑やかになってきて、本当の自分をさらけ出すようになります。愛梨は小学生の時に小児科で起立性調節障害と診断されたのですが、うるさいところがダメで、学校に限らず騒音の中にいるとぐったりしてしまいます。ただ、この時は、発達障害には見えないと言われました。」

休みがちな愛梨さんに、担任の先生は、「来られる時だけ来たらいい。登校して苦しくなったら、保健室にいてもいい」と言ってくれました。

「愛梨は吹奏楽部に入っていたのですが、学校に行かないと大好きな部活にも参加できません。何はともあれ授業を受けて、ダメだったら保健室に行くということで本人も納得しました。」

騒音が苦手とは言うものの好きな音は苦にならず、音楽が好きな子同士だと共通の話題が多いため人間関係も苦にならなかったそうです。

「愛梨は、私がピアノを弾くので、幼い頃からピアノが好きでした。私の友人がピアニストなので、よくリサイタルにも行き、音楽に興味を持ったのだと思います。小さい頃バレエを習っていたこともクラシックへの興味を掻き立てたのでしょう。やりたいと思ったことにはすごい集中力を発揮するので、部活は楽しんでいました。逆に、嫌なことに直面するとシャッターを下ろしてしまうので、教室から逃げて行方不明になったこともありました。その時は、違う校舎のトイレに閉じこもっていたところを、先生が愛梨と仲の良い生徒に頼んで連れ出してくれました。」

愛梨さんは、中学1年生の夏休みに二度目のwiscテストを受けました。その結果を受けて、小児科の先生に紹介状を書いてもらって大学病院で診察してもらいました。なかなか予約が取れず、診察してもらえたのは3ヶ月後の11月だったのですが、そこでは発達障害(ADHD、ASD、LD)と診断されました。

「wiscテストを受ける時に、『多分、あなたはADHDだと思うので確認したい。専門の先生の話を聞きたい』と、正直に伝えました。本人も生きづらさを抱えていて辛かったようで、素直に応じてくれました。愛梨の場合、知的障害はないので、風変わりな子だと思われがちです。発達障害と診断されることで、周りの人に、『こういうタイプの子なんだ』と分かってもらえたらいいなと思いました。本人も診断がついて楽になったと言っていました。」

 

 

青天の霹靂、娘は塾に行っていなかった

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診断がついてひと安心したものの、新たな問題が浮上してきました。

中学1年生の夏休み、愛梨さんは塾の夏期講習に通っていたのですが、後に、後半は全く出席していなかったことが分かったのです。

「夏期講習だけでなく、その後も9月中旬までずっとサボっていたそうです。塾の先生から『全然来ていませんが、ご存知ですか』と言われて、気が動転しました。毎日、時間通りに家を出て行って、夜は決まった時間に帰ってきたのですが、その間何をしていたのか。夜はどこにいたのだろうと心配になりました。本人に聞くと、駅ビルをうろうろしていたそうです。」

話を聞いてみると、勉強に嫌気がさしたとか塾の人間関係に問題があるというわけではなく、愛梨さんはある問題を抱えていたことが分かりました。

 

 

▶つづきの【後編】『「えっ。塾に出かけていたのに、ずっと出席していなかった⁉」成績は右肩下がりに。行かなかった理由を問い詰めると、ショッキングな答えが』では、愛梨さんが抱えていた「ある問題」についてお伝えします。__▶▶▶▶▶

 

 

 

岡田俊先生のここがポイント!

発達障害は、自閉スペクトラム症にしても注意欠如多動症(ADHD)にしても、男の子のほうが女の子に比べて多く認められます。これはおそらく発達障害の病態と何らかの関係があるものと思われますが、はっきりとした理由はわかっていません。しかし、同時に注意しなければならないのは、男の子に比べて女の子のほうが症状が目立ちにくく、過少評価されやすということです。

学童期の子どもを見ると、女の子のほうが男の子に比べて、言葉で表現する力やコミュニケーションケーションの能力の面で長けている子が多い、と感じることが多いものです。それは発達障害のある子でも同じです。自閉スペクトラム症があり、相手の行っていることや背景にある気持ちが手に取るように分からなくても、その場の雰囲気にあわせてうなずいたり、微笑んだりという風にして、その場を繕っていることがあります。
また、ADHDのある男の子は不注意だけではなく、落ち着きのなさや衝動的な行動が多く見られます。この場合、本人の困りごとであることはいうまでもありませんが、本人以上に周囲が心配したり、対応に困ってしまう症状として相談に至ることが少なくありません。

しかし、女の子の場合には、多動-衝動性は目立たず、不注意症状が中心なのです。不注意は、周囲が困るというよりも、本人の能力や努力が不足している、と捉えられがちです。男の子に比べて女の子のほうが症状が目立ちにくい、からといって、男の子に比べて女の子のほうが困難に直面することが少ないわけではありません。
女の子の世界のほうが、小学校の高学年から中学生の頃には、かなり難しい対人関係のなかで友人関係が繰り広げられていることが多いですし、そのなかでは同調圧力がある一方、仲間はずれ、さらには特定の誰かをスケープゴートにしてしまうということがあり得るのです。わずかな発達障害特性のある子の場合には、小学校の中学年までは特に大きな支障はなかったのだけれども、高学年ぐらいから困難に直面する、ということがしばしばあります。

学校でつらいことは、具体的には同級生のAさんかもしれませんし、B先生と折り合いが悪い場合もあります。授業時間は問題はないのだけれども休み時間が苦痛だということもあるでしょう。静かな授業なら問題ないけれども、学級崩壊しているような騒がしい教室だと苦痛であったり、楽器の集団練習のように、各自がばらばらに演奏しているような環境では、自分の出している楽器の音を聞き分けることもできませんし、その教室自体が地獄という場合もあります。
しかし、発達障害のあるお子さんの場合には、特定の人、時間、場面というわけではなく、学校そのものの安心・安全感が損なわれがちなのです。そのつらさを表現するのも得意ではありませんので、周囲が気づいたときには、すでにもう無理の限界を超えていて、学校に行けない状況になっていることもあります。「シャッターを下ろす」のは、もう限界を超えたときですから、その前に助けなければなりません。

他の生徒に「愛梨ちゃんは表情が顔に出にくい」「考えないと動けない」と説明するのは、それが正しい説明であってもベストではないように思います。なぜなら「ちょっと変わっている」ことを詳細に説明しているだけで、他の生徒がその先生の発言をどのように受け止めるのか、他の生徒たちが愛梨さんと対等の友人関係を築いていくのかが定かでないからです。
繊細な子もいれば鈍感な子もいるでしょうし、すぐに困ってしまう子もいれば直ちに判断して行動できる子もいます。愛梨さんが困惑しているのであれば、困惑しないように説明してあげるように促すことが大切ですし、しっかりと考えた上で行動する子もいるわけですから、クラスの中での様々な意見をきちんと整理した上で、誰もが納得して動けることが大切でしょう。こういった配慮は愛梨さんのためだけにするわけではありません。同じように困惑を抱えているクラスメイトもいるでしょうし、そうしてクラス全体のことを考えてみんなが動くことが思いやりの育みにもなります。

 

 

【岡田 俊先生 プロフィール】

国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長/奈良県立医科大学精神医学講座教授

1997年京都大学医学部卒業。同附属病院精神科神経科に入局。関連病院での勤務を経て、同大学院博士課程(精神医学)に入学。京都大学医学部附属病院精神科神経科(児童外来担当)、デイケア診療部、京都大学大学院医学研究科精神医学講座講師を経て、2011年より名古屋大学医学部附属病院親と子どもの心療科講師、2013年より准教授、2020年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長、2023年より奈良県立医科大学精神医学講座教授。

 

 

 

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