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育児を「仕事の片手間」にしたくない。喜びのベクトルの先にあったのは、「働き方を変える」という選択だった

OTONA SALONE / 2024年12月26日 21時1分

様々な価値観が多様化する昨今、「家族像」もそれぞれに唯一の在り方が描かれるようになりつつあります。この「家族のカタチ」は、私たちの周りにある一番小さな社会「家族」を見つめ直すインタビューシリーズ。それぞれの家族の幸せの形やハードル、紡いできたストーリーを見つめることは、あなた自身の生き方や家族像の再発見にもつながることでしょう。

 

今回ご紹介しているのは、都内在住・40代前半のワーキングマザー、ゆうさん(仮名)です。

前編では、「経済的自立」を実現すべくキャリアを積み上げてきた様子と、それが叶わないことに葛藤した一度目の出産。さらに、今後の生き方について夫婦で考えた二度目の出産についてご紹介しました。

今回の中編では、育児を経て様々な気付きを受け取ったゆうさん夫婦がそれぞれの生き方に向き合った結果、互いに新たな働き方を選び取っていく様子をお届けします。

【家族のカタチ #5(中編)】

我が子の笑顔と周囲からの“ありがとう”をかけ合わせて。夫の代名詞「虫おじさん」をライフワークに!

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キャリアの節目と次男の誕生が重なり、育児に関わる時間が増えたゆうさんの夫。迎えに行った保育園で目にした長男の笑顔に衝撃を受けたというエピソードは、前編でご紹介した通り。その経験から、様々なことを感じたようです。

「夫が遊び相手のときとはまた違う生き生きとした笑顔に、彼は本当に驚いていました。『大好きな友達と全身を使って伸び伸びと自由に遊ぶことで、これだけの笑顔が生まれる……周りに楽しませてもらうのではなく、子ども同士で自ら楽しむ姿は、なんて尊いんだ!』と心を動かされたのかな」と、ゆうさんはにっこり笑います。

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当時は転職を考えていたというゆうさんの夫。ところが、この出来事が大きな後押しとなり、転職ではなく独立という道にシフトチェンジすることに。

「夫は別名『虫おじさん』。虫採りをするのも、子どもたちと戯れるのも、大好きな人なんです。我が子や友人の子どもたちと共に山に入って虫取りをして遊ぶ――その時間が夫自身にとって喜びであり、参加している子どもたちの親御さんに感謝されてもいました。そんな夫だからこそ、あの日保育園で見た長男の笑顔が、独立して働き方や仕事を変える最後のひと押しになったようです。

とはいえ、“虫活動”そのものを単独の仕事として成り立たせるのは、なかなかに難しいですよね(笑)。ですから、主軸としては、それまで会社員としてキャリアを積み上げてきた業界での仕事を請け負う事業を。2本目の柱として、“虫活動”からインスパイアされた『アウトドア事業』を据えて、独立しました」。

こうして、ゆうさんの夫は迷いや不安を振り切って、働き方を変えることを決断。息子たちの笑顔と自身の喜びの最大公約数から導き出された新たな「家族のカタチ」が幕を開けます。

 

「私は何に命を使いたい?」辿り着いた答えは――。人生で一番大切なものを蹴散らす日々からの卒業

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一方、時を同じくして、ゆうさんも働き方の転機を迎えていました。

「次男の出産時に手帳を通して目標を描いて以来、いろいろな扉が次々に開きました。その中の一つが、育休の時間を有意義に過ごしたいママたちが集う、オンラインコミュニティへの参加です。価値観や意識が近しい人々との交流を満喫しつつ、そこのメンバーを巻き込んで、一緒に手帳を書く『部活動』も始めました。私自身、夫と一緒に手帳に目標を描いたことで人生と向き合えた経験があったので、今度は夫以外の仲間と手帳に取り組みたかったんです。最初はあくまでも趣味としてのスタートでした。

ところが、二度目の育休から職場復帰を果たした直後、仲間たちとともにオリジナル手帳を作る機会に恵まれました。さらにはそのプロジェクトのリーダー的役割にもなり……気づけば本業との二足のわらじ状態。その最中は無我夢中でしたが、いざオリジナルの手帳が販売される頃には、それを楽しいと感じている自分に気づいていました」。

 

“手帳”を本業にして、もっと時間を費やしたい――そんな思いはあったものの、大きなブレーキとなったのは、ゆうさんにとって譲れない価値観である「経済的自立」でした。

「副業を本業へ、という思いはずっと頭の片隅にありました。けれど『いやいや、私は会社員を続けることで、安定した収入を得ることが必要なんだ』と、夢と現実を行ったり来たりしていましたね」。

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そんな揺らぐ思いとともに2年近くを過ごした頃、ゆうさんは自分の本音に気づきます。

「2022年の6月、手帳を開いてその年の上半期の振り返りをしたときのことです。たった2ページの中に『バランスを取りたい』という言葉を何度も書いている自分がいました。『副業と本業』、『仕事と家庭』……いろいろなものが想像以上にせめぎ合っていることに改めて気づかされました。

 

特に課題に感じていたのは、子どもとの関わり方。私が描いた理想は、朝起きてきた子どもの隣に座って、一緒にテレビを見たり遊んだりする、そんな過ごし方でした。ところが現実は、副業がどんどん膨らんで、日常に侵食している状態。朝4時に起きてもタスクは終わらず、起きてきた子どもには1人でテレビを見せて、私は横で仕事を続けるという風景が常態化していたんです。これを当たり前にしたくない。私の人生から、何かを引き算しないといけないと思いました」。

これが独立に踏み切った決め手だったと振り返るゆうさん。とはいえ、実際に行動するまでには時間がかかったといいます。

 

「独立しても事業が続けられるのか、周囲に迷惑をかけるのではないか――渦巻く思いを全部書き出しながら、考え尽くしました。『自分でできる策は何だろう』『現状維持と独立した場合の5年後。それぞれどうなっているかイメージしてみよう』『いま本当に我慢していることは?手に入れたいものは?』という具合に。

そうして最後に見えたのは、『時間の手綱を握りたい』という強い思い。子どもと一緒に過ごすことや、心から愛せる手帳の仕事……本当に自分にとって大切でやりがいがあることに、時間を注ぎ込みたい。私の命をそこに使いたいと思ったんです」。

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一番の懸念点であった経済的自立も、手帳事業の収支が上向きになる予測が立つように。こうして2023年5月、ゆうさんは会社員を卒業しました。手帳の制作やユーザーコミュニティの運営に専念する日々へと切り替えた瞬間、そこには圧倒的な余裕が生まれたといいます。

「会社員時代は、たとえば朝9時から会議があれば、子どもの調子が悪かろうと、駄々をこねられようと、振り切って出社していました。ところが働き方を変えてからは、他人のために自分の大事なものを蹴散らす必要がなくなりました。

――会社員時代も、蹴散らさない方法はきっとあったと思うんです。でも、それを模索する余裕がありませんでした。働き方に自分を合わせると、身体を拘束される時間も長いですが……それ以上に私の心が拘束されていたんでしょうね」。

 

心が喜ぶ働き方とともに、家族との時間を大切にできる生き方を手に入れたゆうさん夫婦。この選択が、結果的に間違いなかったと思わされる出来事が、2人の独立直後に訪れます。それは、長男の不登校でした。

▶つづきの【後編】を読む▶▶▶▶▶

 

 

 

 

≪ライター 矢島美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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