1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

たい たい たい尽くしの世の中を金なし、親なし、家もなしの蔦重が駆け抜ける!彼の始動のきっかけはひとりの女郎の死

OTONA SALONE / 2025年1月6日 20時31分

*TOP画像/重三郎(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第1話が1月5日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

燃え盛る吉原を颯爽と駆け抜ける蔦重。重三郎の生き方は令和の視聴者に何を語りかけるのか

今年度の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が幕を開けました。はげしい炎と舞い上がる火の粉の中を駆け抜ける蔦重こと、蔦屋重三郎(横浜流星)の吉原における冒頭シーンは迫力満点でしたね。このダイナミックなはじまりにこれから始まる本作への期待が高まった視聴者は多いのではないでしょうか。

 

吉原を燃やした明和の大火(めいわのたいか)といわれるこの火事はある無宿坊主が盗みを企て、目黒の寺に火を放ったのが原因でした。自分の利益のために多くの人の犠牲を省みない非情な事件です。この無宿坊主のように欲にまみれ、義理人情に欠ける人は江戸には少なくありません。

 

本作のナレーションにあるように、江戸時代は戦の火が燃え盛ることはないものの、偉くなりたい楽したい一旗揚げたい儲けたいといった欲の業火が激しく燃えていました。その傍らで、重三郎はたい たい「たい」尽くしの世の中を誰かの幸せのために駆け抜けていきます。

 

重三郎は恵まれた生まれとはいいがたく、金なし、親なし、家もなしの男です。しかし、彼は社会をうらむことも、境遇を嘆くこともせず、自分が生まれ育った地でハツラツと懸命に生きています。

 

重三郎(横浜流星) 唐丸(渡邉斗翔) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

令和に生きる私たちの口癖も“~たい”かもしれませんね。彼の存在は現代人に欠けている粋な人情や勤勉さを思い出させてくれそうです。

 

いつの時代も、誰もが生き抜くのに必死  次ページ

いつの時代も、誰もが生き抜くのに必死

多くの人たちでにぎわう華やかな吉原は、訪れた人たちにとっては現実社会とは一線を画す浮世を忘れられる場所といえるでしょう。しかし、ここで暮らす人たちにとっては、この場所こそが現実であり、女郎も引手茶屋の主人も暮らしを守るため必死です。

 

いね(水野美紀) 松葉屋半左衛門(正名僕蔵)  大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

きらびやかなイメージを抱きがちな女郎ですが、彼女たちの間にも格差があります。大見世で働ける花の井(小芝風花)のような花魁もいれば、河岸の場末の店で働く朝顔(愛希れいか)やちどり(中島瑠奈)のような女郎もいます。浄念河岸で働く女郎は満足に食べられず、常に空腹状態。重三郎が朝顔のために持ってきた弁当を本能的に食べてしまうほど厳しい状況に置かれているのです。

 

過酷な社会においては優しすぎる人は生存競争に負けてしまうのが世の常なのかもしれません。重三郎をかつて救った朝顔はきつい客を自ら引き受け、食事を女郎たちに分け与え、自己犠牲を厭わない生き方をした結果、体調が回復しないままこの世を去りました。

 

しかし、朝顔の死を気にする者も嘆く者も、敬う者もいないどころか、この女郎は着物を剥ぎ取られ、裸にされた状態で葬られます。

 

重三郎(横浜流星) 朝顔(愛希れいか) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

唐丸(渡邉斗翔)の「裸で捨てられるの?」という問いに、重三郎は「剝ぎ取って売るんだよ」と答えていますが、彼らにも換金できるものは奪わなければならない事情があるのでしょう。あるいは、死人から奪い取ってでも儲けたいほど単なる“罰当たり”なのか…。

 

史実においても華やかで、江戸文化の発信地として扱われがちな吉原ですが、片隅ではこのような心ない行為も日常茶判事でした。遊郭街である吉原において欠かせない存在である女郎ですが、彼女たちは朝顔の死に見られるように敬われる存在ではなかったのです。また、女郎は好んで吉原に来たわけでもありません。

 

「吉原に すき好んで来る女なんていねえ。[…]女郎は 口減らしに売られてきたんだ きつい つとめだけどおまんまだけは食える 親兄弟はいなくても 白い飯だけは食える。 それは吉原なんだよ!」

 

重三郎のこの台詞にうかがえるように、吉原は社会的に弱い立場にある女性やその家族が生きるための最後の頼みの綱です。吉原は訪れた男たちにとって夢のような場所ですが、この男たちの相手をする女郎にとっては楽しくも、喜ばしい場所でもありません。誰かの快楽は別の誰かの苦痛の上に成り立つことは多いですが、吉原もまさにそうでした。

 

重三郎は朝顔の死をきっかけに、女郎の待遇改善に動き出します。まずは、女郎を雇う主人たちに河岸の女郎のための炊き出しをお願いしに行くものの、彼らは自らを仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 の八つの徳目のすべてを失った「忘八」であると自称し、聞く耳をもちません。

 

この後、重三郎がある男(安田顕)の助言を得て向かったのは老中・田沼意次(渡辺謙)の屋敷でした。彼は意次に不逞な岡場所(非公認の遊郭)が増えたことで、吉原が危機に瀕していると事情を話し、警動(けいどう)を頼みます。意次は彼の頼みを聞き入れませんでした。宿場が潰れれば商いの機会が減るため、吉原のためだけに国益を逃せないと考えているからです。

 

ありがた山の寒がらす!意次からヒントを得た重三郎は… 次ページ

ありがた山の寒がらす

重三郎は警動の頼みを意次に断られたものの、彼から吉原を助けるためのヒントを得ました。

田沼意次(渡辺謙) 重三郎(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

意次は吉原の窮状は不逞な岡場所の増大だけでなく、忘八親父たちの取り分の多さ、吉原が成り下がったことも原因ではないかと助言しました。さらに、彼は「では 人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか? お前は何かしているのか 客を呼ぶ工夫を」と、重三郎に問いかけます。重三郎は意次のこの言葉によって他者にはたらきかけるばかりで、自分が客を呼ぶためには何もしていなかったことに気づかされます。

 

いつの時代も、満たされた状況にあっても他人のためにほんのわずかな不利益さえも被りたくない人はいます。このタイプの人たちは食事がありあまるほどあっても、空腹の人に分け与えないでしょう。しかし、人間はこうした人たちばかりではありません。重三郎のように相手への恩を忘れず、世のため人のために駆けまわり、状況を好転させようと奮闘する人も少なからず存在します。だからこそ、この世は捨てたものではないのかもしれません。

 

 

≪アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗さんの他の記事をチェック!≫

 

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください