【不倫の清算5】「仮面妻」の孤独。40代女性がハマるニセの愛
OTONA SALONE / 2018年1月2日 19時30分
ファーストフード店での出会い
— E子(43歳)からの呼び出しは、いつものように彼女が出勤する前、朝早くから開いているファーストフード店だった。
平日のうち数回、そこで朝食をとってから勤めている夫の会社に向かうのがE子の習慣だ。会社では総務部長という肩書きだが、実質は「社長の奥さんのためのポジション」であり、仕事はほかの社員がほとんどを担当しているという。
「遅刻したって誰も何も言わないしね、本当に『お飾り』だと自分でも思うのよ」
E子はからからと笑う。それでも、仕立ての良いウールのスーツに身を包み、パールのイヤリングが控えめな光を放っているE子の姿はどう見てもキャリアウーマンだ。従業員は10人ほどの小さな会社ではあったが、そこの「社長夫人」という自分を、E子はいつだって忘れていなかった。
こんなファーストフードで済ませなくても、と以前言ったが、「別に節約じゃないんだけどね、何か普通っぽくない?」とE子は楽しそうに答えた。
学生やサラリーマンが慌ただしく出入りする店内で、E子は「馴染んで」いた。それこそ、普通の会社員のように。
同じメニューを注文して席に座り、最近の「彼氏」との話を聞く。
E子の彼は年下の35歳、独身で仕事は製薬会社の営業をしている。出会いはこのファーストフード店だった。
いつも同じ席に座るE子を見初めたのが彼で、あちらから話しかけてきたのがきっかけだった。
「この年でナンパじゃないとは思ったけど」
と、そのときのことを思い出してE子はふふっと笑う。
彼からの最初の言葉は、「これから出勤ですか?」だった。顔を上げると、自分と同じようにマフィンを手に持ったスーツ姿の彼が斜め向こうに座っていて、思わず「そうです」と普通に答えていた。
そのときは短い会話で終わったが、それからたびたび同じ時間に見かけるようになった。注文の列に並んでいると「おはようございます」と彼から声をかけられるときもあって、気がつけば「何となく隣同士の席で食べるようになった」という。
明らかに彼より年上で、若くもなく美しさの消えた自分にどうして話しかけてくるのか、E子は不思議だった。
「でも、刺激的だった。こんなことってあるのね」
と笑うE子の顔は、以前より濃い目にチークが入り、アイシャドウも華やかなピンクのラメが印象的だった。
「仲良し夫婦」を演出したがる夫
E子と夫は結婚して18年、子どもはひとりいるが県外の高校で寮生活を送っている。
ふたりは以前同じ会社で働いており、E子は夫の部下だった。夫が声をかけてくれて交際が始まり、とんとん拍子で結婚、退職が決まったあとはすぐに妊娠して出産、育児に時間を費やしている間に夫が独立して今の会社を立ち上げた。
「あっという間だったよね、ここまで。勝手に周りが動いていって、私は何もしていないの」
子どもは可愛く育児は苦ではなかったが、仕事が忙しい夫は家にいる時間が少なく、子育てについて話し合ったことはほとんどない。何を言っても「それでいい」で締めくくられる虚しさに気がついてから、E子は高校受験も息子とふたりで決めた。
息子が県外に出ていってから家での時間を持て余しているE子に、夫が「会社で働いてはどうか」と提案したのが二年前になる。
「結局ね、家が苦痛なのよ。帰ってきても私と話すことがないの。ずっと無言で別々に寝るでしょ、休みの日もふたりで出ていくなんて何年もしてないしね」
これが「仮面夫婦」なんだ、とE子は実感したが、離婚には踏み切れなかった。息子のことが気がかりだし、離婚したところで10年以上社会から離れていた自分に生活できるだけの金額を稼げるあてもなかった。
しばらくして、E子は夫の「思惑」に気がつく。会社では、夫は笑顔で話しかけてくるのだ。「昔、同じ会社で働いていた頃みたいに」気安く声をかけてくる姿には違和感があったが、それは社員や外の世界に対する「ポーズ」なんだと、すぐにわかった。
自分を会社に誘ったのは、夫婦仲良く事業をがんばっています、という自分を演出したかったから。ある日地元の雑誌から取材の依頼を受けたとき、あらかじめ用意された質問の「解答」を必死に考える夫を見てE子は痛感した。
「馬鹿みたいだけどさ、ほんとにね、何のための結婚なんだろうなぁって……」
そのとき、下を向いたE子の瞳には深い影があった。
罪悪感がないことへの違和感
E子は、手にしたコーヒーの湯気を見つめながら
「もう10年もオトコと寝てないから、怖いなぁ」
と言った。
年下の彼とは、現在はふたりでランチに行く関係で留まっている。E子が「社長夫人」だと知ってからも、彼はまったく態度を変えなかった。
「今日のお昼も会うんだけどね、あそこの料亭で食べたいって言うから予約してるの。お金? まさか、もちろん割り勘よ」
彼の話になると、E子の顔は明るさを取り戻す。それは、忘れていた「オンナとしての自分」が蘇ったような力強さを感じさせる。
朝の短い逢瀬を繰り返すうちに親しくなり、連絡先を交換して個人的な時間を持つようになってから、「もっと仲良くなりたい」とE子は彼に言われていた。それが何を意味するか、E子自身も理解しているが、それでも彼と会うのをやめようとは思わない。
彼はE子に「大人っぽい女性が好みなんです」と語った。好きになる女性はいつも自分より年上。朝、ファーストフード店で無心にご飯を食べるE子の姿に惹かれた、と正直に話したそうだ。
一方的に手を出してくるような雰囲気はなく、どこまでも「ひとりの女性」として扱ってくれる彼に、E子の心は大きく傾いていた。
「一線」を超えるのも時間の問題だよね、と言うと
「わかってる。でも怖いよね、がっかりされたらどうしようって……」
頷きながらため息をつくE子だが、違和感は別にあった。
E子の中に、夫への罪悪感が見当たらないのだ。
肉体関係を持つことは、すでにE子にとって了解済みになっている。彼女が心配しているのは、ベッドを共にすれば本当に不倫関係となり、社会的に不利な状況になることではなく、「彼が自分との行為に満足してくれるかどうか」だけだった。
そこに、夫を裏切ることのためらいは見えない。
仮面夫婦であることの悩みはずっと聞いていたが、今のE子からそのときの翳りは消えていた。だが、新しい「悩み」が大きな間違いへの一歩になることを、E子自身気がついてはいない。
仮面夫婦からほかの男性との不倫関係に走る話はよく聞くが、その過程で一番ないがしろにされるのは夫である。
だが、彼女たちからすれば、これまでさんざん自分たちがないがしろにされてきたのであって、「不倫に走ったのは夫のせい」と思っていることもまた、事実として横たわっている。
この齟齬が埋まらない限り幸せな結婚生活を取り戻すことはできないが、そこには長い道のりと、避けられない痛みが待っていると言わざるをえない。
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