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40歳は「ダブル成人式」。本当の成人、W成人とは by編集長アサミ

OTONA SALONE / 2018年1月7日 21時0分

40歳は「ダブル成人式」。本当の成人、W成人とは by編集長アサミ

「成人とは何歳からか?」、成人の日がくるたびに思い出すOTONA SALONE編集長の浅見です。というのは、中学3年生の国語の授業で、まさにこのタイトルで作文を書いたため。当時は15歳。いまは3倍の45歳……。成人式はもちろん、ダブル成人式の40歳もとうの昔に終えているいま、改めて「成人とは?」について考えてみた。

 

15歳で考えていた「成人」について

なぜ中学3年生のときにこのようなタイトルで作文を書いたのか。私は埼玉県出身なのだが、当時、県立高校の国語の試験内容のひとつに「作文」というのがあった。そのため、受験対策として国語の授業で時折、作文のテーマを与えられ、制限時間内に書くということがあったのだ。

このテーマを授業で書くことになったのは、まさに1月(あ、30年前か……)。そのとき15歳の私が書いた「成人とは何歳からか?」という作文は、このようなものだった。

 

「成人とは何歳からか?」

20歳を超えたからといって、誰もが成人とは限らない。何歳からかと問われると、17歳からかもしれないし、30歳を過ぎても成人ではないかもしれない。

社会的自立・経済的自立・精神的自立、この3つができて初めて「成人」だと私は思う。

 

社会的自立は、基本的な生活習慣を身につけていて、人間的にも職業的にも、一社会人として誰にも頼らずにいられること。

経済的自立は、文字通り、金銭面において自分一人の収入で生活できること。

精神的自立は、他人に流されず自分で考えて決断を下すことができたり、困難な状況下において誰かに依存せず乗り越えられたりすること。

この3つができて初めて、本当の意味で「成人」なのだと思う。

 

この3つの自立ができていれば年齢が何歳であろうと、たとえば17歳であっても成人と言えるし、逆にどれかが欠けていたら20歳を過ぎていても成人とはいえない。

いま私は15歳で普通に考えたら5年後に成人式を迎えるのだが、私は20歳で成人できていないと思う。それは、たぶんまだ学生でいるからだ。もし大学に入ったとしたら、大学2年生くらい。社会的自立や経済的自立はできていない。そして精神的自立もできているかどうかはわからない。

 

私が「成人」と言えるようになるには、早くても社会人になってからの22歳以降。もしかしたら30歳くらいなのかもしれない。でも、隣の席の友人は、16、17歳で成人といえる自立を確立しているかもしれない。

「成人とは何歳からか?」 その答えは人それぞれだ。成人の条件は「社会的自立・経済的自立・精神的自立」ができていれば、である。

 

学生は、成人or成人ではない?

15歳のころからなんとまぁ、可愛げのない、めんどくさい人間だったんだろう(苦笑)。しかし「成人とは何歳からか?」に対する考えは、いまも当時と変わっていない。経済的に親に依存している学生のうちは、やっぱり成人ではない(自分で学費や生活費を賄っていたら別だが)。もちろん、それに反論するご意見もあるとは思うが。

それなら私は20歳のとき成人式に出席したり振袖を着なかったのかというと……振袖を着て地元の市民会館に行った(苦笑)。前年の夏休みに「成人じゃないから成人式に行かないし振袖も着ない」と宣言したのだが、祖母に「死ぬ前に着物姿を見せてほしい」と涙ながらに懇願され、おばあちゃんっ子だった私はそれに根負けし……(苦笑)。

 

自分の中で「成人できた」と思った年齢

とはいえ、自分の中ではずっと「20歳は超えたけれど、本当の意味で成人ではない」という気持ちがあった。社会人になった22歳、社会的自立・経済的自立はいちおうできたけれども、まだ精神的自立ができていない気がしていた。

自分自身で「成人できたかな」とやっと思えるようになったのは、30歳だったと思う。それまでも、わりと他人に頼らないほうだったとは思うが、自分の中でブレない強いメンタルを確立できたのはこの頃だった。確か30歳のとき、着物一式を「成人した証」として自分で買った。

 

ダブル成人の条件・定義とは?

40歳のことを最近、「ダブル成人式」というらしい。理由は20歳の倍の年齢だから。

では、「成人とは?」について15歳の私が、社会的自立・経済的自立・精神的自立を条件としてあげたように、「ダブル成人とは?」に対する条件はなんなのだろうか。

社会的、経済的、精神的自立をしていても、私は成人として、オトナとして、何かまだ足りないものがあることに最近気づいた。

それは「誰かを支えること」「社会を支えること」だ。

 

 

誰かを、社会を支える=真の自立

「誰かを支える」というのは、家族や友達、恋人、仕事仲間など身近な人を支えることだろう。私は夫や子供がいるわけでもないし、両親も幸いなことに健康でいてくれる。子育てや介護、誰かのための家事ということをしていない(もちろん自分のために家事はやっているが)。

「社会を支えること」というのは、ひとことでいえば社会貢献だ。もちろん税金を納めるといった国民の義務を果たしたり、募金、環境を考えた生活も少しはやっているが、災害支援、貧困問題、経済的貢献、未来を考えた環境への取り組み……などについて、真剣に何か活動をしているかというと、そうではない。

誰かや社会を支えることができることこそ、「真の自立」かもしれない。たとえば一人で自立していても頼られたら倒れてしまうようでは、仮初めの自立。自分で立っていてなおかつ、頼られても立っていられるということが、本当の意味での自立ではないだろうか。

 

「ダブル成人とは何歳からか?」

私は40歳どころか45歳という年齢まで、突き詰めれば「自分のために」やってきた行動が多かったような気がする。自分のために中心で行動してきた同世代、もしくはそれ以上の世代のかたもいるかもしれない。

その一方で、40歳よりももっと若いうちに誰かを支えたり、社会を支えたりできているかたもいる。その人達は40歳を待たずしてダブル成人を迎えている。たとえば子育てをしている人は、すでに「子供のために」という行動をしている。

まだまだ私はダブル成人を満たしていないと反省すると同時に、これからは自分のためにだけではなく、誰かのために、社会のために行動していきたい。そう決意した。

誰かを支えてあげたいと思うし、何かがあって頼られても倒れない人間になりたい。

 

「ダブル成人とは何歳からか?」 その答えも成人と同様、人それぞれ、だ。ダブル成人の条件は「誰かを支えること・社会を支えること」ができていれば、である。

 

 

 

≪OTONA SALONE編集長・婚活コラムニスト 浅見悦子さんの他の記事をチェック!≫

 

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