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華原朋美、今もバーキンにこだわるオンナのヤバさとは

OTONA SALONE / 2018年7月13日 21時0分

今年の三月頃、華原朋美のインスタグラムを見ていた時に思いました。

 

こりゃ、パパ、もしくは訳ありな彼氏がいるなと。

 

ファーストクラスでの旅行、エルメスのバーキン、サプライズのプレゼントとして高級ブランドのバックの画像が立て続けにアップされたからです。リア充を嫌うご時世ですから、華原もそれなりに気を使って、肝心な部分はぼかしています。たとえば、エルメスのバーキンの場合、「自分で買った」とも「もらった」とも書かず、「ずっと探していたこの色」というふうに、矛先をそらしています。

 

バーキンを手に入れることが、意味するものとは・・・

入手した手段を書かないのは「買った」と言えば、ウソになるからではないでしょうか。

 

芸能人の熱愛は仕事につながります。アラフォーの華原がバーキンを買える財力とコネクション(バーキンは常に品薄なので、店員さんと親しくなるほどの購入実績がないと買えないとセレブさんからタレコミをいただきました)を持っている男性と交際しているのなら、それをアピールしたほうが、芸能活動にもプラスになるはず。にも拘わらず、それをしないのは、表に出せない間柄、つまりパパか不倫なんだろうなと思ったのです。

 

すると、「FRIDAY」(光文社)が華原の不倫疑惑を報じました。相手は70代の一部上場会社社長で、華原が出演するCMのスポンサー企業でもあります。華原は「FRIDAY」の取材に対し、相手の男性を「お父さんのような存在ですから」とコメントし、不倫を否定しています。血のつながっていないこのお父さんは裕福そうだから、バーキンを買ってもらったのかな?と邪推するのは私だけではないはずです。

 

タレントがファンやパトロンに高価なものをもらうのはステイタスの一種であり、それでこそ芸能人です。なので、ここでは華原がバーキンを誰かに買ってもらったと仮定して話を進めます。

 

華原のインスタを見ていて思うのは、「人は変われない」ということ。バーキンをもらうことと、バーキンをもらってインスタにアップすることは、まったく違います。前者は単なる“事実”ですが、後者は「もらった私は価値がある」「愛される私」という自意識と、送った側の社会的地位の高さを同時に知らしめることができるのです。

 

林真理子センセイの「茉莉花茶を飲む間に」(角川文庫)に、「オトコがくれた人の輪や仕事は、オトコがいなくなったら消え失せる」といった意味の描写がありますが、音楽プロデューサー・小室哲哉との恋愛と破局で華原は「社会的・経済的強者に与えてもらう」関係の甘さと怖さを誰よりも熟知しているはずです。しかし、いまだに華原は「力のあるオトコに愛される私」を至上としているように感じられるのです。

 

小室に見いだされてB級アイドルからスターになった華原ですが、「華原朋美を生きる」(集英社)によると、レコーディングのために訪れたロスアンゼルスで、スタッフにホテル移動を命じられ、それからずっと小室に会えなくなったそうです。同棲していたマンションにも小室は帰ってこず、携帯は番号を変えられ、別れ話をすることもなくポイ捨てされた華原が、そこから自殺未遂や薬物中毒など、暗黒時代を経験することになったのは、みなさんもご存知のとおりです。

 

どこから本当でどこまでが嘘なのか。芸能という虚実→

華原と小室は似た者同士である

バーキンと言えば、華原の元カレ・小室哲哉のことも忘れるわけにはいきません。「週刊文春」(文藝春秋社)が小室と女性看護師との不倫をすっぱ抜きましたが、小室のお抱え運転手の車に乗る女性看護師はバーキンを持っていたのです。自分で買った可能性もありますが、上述したとおり、バーキンを買うには一種のコネがいる。小室がプレゼントした可能性もないとは言えないと思います。

 

その気になればバーキンを買えるであろう小室の不倫報道は、小室が引退を発表したことと、介護を前面に押し出したことで同情を集めて終わりましたが、「週刊文春」が逆襲をしかけます。小室の妻であるKEIKOの親族が「小室が記者会見で語った内容は、ほとんど嘘」と「週刊文春」に語ったのです。小室は「KEIKOは漢字ドリルをやっている」「オトナの女性としてのコミュニケーションが取れなくなっている」発言について、「ドリルをやっていたのは5年前」「KEIKOは要介護状態ではない」「そもそも小室は介護などしていない」と否定したのです。

 

何をもって介護というかは難しい問題だと思います。たとえば、食事を作って食べさせるなと実務も介護ですが、たくさん稼いで人を雇うのも介護だと言えなくもありません。ポイントは介護される側の状態を把握していることだと思うのです。別れ話もせずに忽然と姿を消す小室は、飽きっぽい上に、典型的な臭いものにふたをするオトコでしょう。そんな人に介護という七面倒なことができると私に到底思えません。

 

2008年に「オーラの泉」に出演した小室は、KEIKOが自分にとって必要な理由を「母親のよう」と表現していましたが、病気をして、お母さんでなくなったKEIKOはもう必要ないということではないでしょうか。不倫相手とされる女性は、看護師さんということもあって、いろいろ行き届いて“便利”なのではないでしょうか。使えなくなったら、相手をポイ捨てする小室と、その小室に捨てられた華原は実は「かわいがられることしか興味がない」という点で、非常に似ているのです。

 

なぜ華原は小室ネタを封印しないのか?

テレビであまり見ることがなくなった華原ですが、7月7日放送の「THE MUSIC DAY」(日本テレビ系)に出演した際、「TKとカラオケに行ったときに、TRFの歌を歌ったら、歌手になれました」と小室ネタを披露しています。テレビ出演時の華原が小室話をする率は、非常に高いものがあります。

 

一般論で考えれば、未練がましいとも言われる行為ですが、もしかしたら華原に「小室と自分は赤の他人である」という意識がないのではないかと思うのです。今は90年代ではなく、小室との思い出を振り返っても意味はない、自分はもう20代ではなくアラフォーということを、華原はわかっていないように感じられて仕方がありません。強いオトコでないと愛せないう華原には、バーキンの呪いがかかっているように思えるのです。

 

≪フリーライター 仁科友里さんの他の記事をチェック!≫

 

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