「わかる」ってなんだろう? 川添愛×森田真生×玄田有史の学芸ライヴをリポート!

OVO [オーヴォ] / 2019年6月18日 12時0分

(左から)玄田有史氏、川添愛氏、森田真生氏

 例えば、親友の不幸を打ち明けられた時に感じる「わかる」と、試験問題の方程式を解けたときの「わかる」は違う。どうやら「わかる」には種類があるようだ。そんな話から発展して、学ぶこと・伝えることについて考えさせられる知的なイベントが、5月24日に都内・日比谷松本楼本店で行われた。サントリー文化財団設立40周年記念 学芸ライヴ(東京)vol.1「『語る』ということ、『わかる』ということ―言語・AI×数学―」だ。

 同財団は「知をつなぐ、知をひらく、知をたのしむ」を新コンセプトに、設立40周年記念事業を展開している。その一つである「学芸ライヴ」は、メディア関係者や研究者を対象とし、異なる分野のゲストを招き各々のテーマについて予定調和なしでとことん議論する、知的で臨場感あふれるイベントだ。

 今回はファシリテーターに東京大学社会科学研究所教授の玄田有史氏、ゲストに作家・言語学者の川添愛氏、独立研究者の森田真生氏を招き、言語や数学を起点に「人間にとって知とはどのような営みなのか?」というテーマについて、穏やかでありながら実りある対話を繰り広げた。本記事では、その一部を紹介していく。

■二つの「わかる」

 まずは森田氏が、このライヴの見取り図として、アメリカの哲学者、トマス・カスーリスの提唱した二つの「わかる」を紹介。

 一つ目は、「Intimacy(インティマシー)」。「親密さ」を意味する言葉で、カスーリスは「内深くにある大切なことを親友にわかってもらうように伝えること」であるという。つまり、親密な関係の中での「わかる」なのだ。このIntimacyを重視した言葉が、森田氏によれば「和歌」などであるという。感情の交流ができる宴などで言葉をはぐくみ、連語やら掛詞といった多義的な意味を含む和歌は、複数の意味を持つことが多い。したがって、同じ教養を共有する親密な集団のなかで理解されるものなのだ。

 二つ目は、「Integrity(インテグリティ)」。こちらは「状況に左右されない原則を持っている」「統合されている」といった意味を持つ言葉。つまり、Intimacyと異なって、親密さを必要としない理解であり、誰がどんな状況で見てもぶれない、単一的な意味を伝達するという「わかる」なのだ。森田氏は、言語のIntegrityを最もラディカルに追求してきたのが数学ではないかと言う。

 その上で、現代を「計算の時代」と規定する森田氏。現代は、人間があらゆる目的をもってコンピュータを使って計算する時代であり、人がコンピュータで身体を拡張している時代でもある。したがって、いま一番支配的な言語は、Integrityを追求する、「数学的言語」だという。東京大学理学部数理学科を出て数学を主題に研究を続ける、森田氏らしい発想だ。

 森田氏は続ける。「しかしながら、現代社会のIntegrityをラディカルに突き詰める営みが、結果として各学問の土台を崩している。今ほど、さまざまな分野において一つの信じるべき物語が崩壊した時代はない。Integrityを追求すればするほど各学問分野の専門化が進行し、逆説的にIntegrityを揺るがし、見通しの立たない世界を生んでしまった。だからと言って、いまさら芭蕉や道元のように自然と一体化するIntimacyベースの時代に戻ろうにも、われわれはもうIntegrityベースの科学の恩恵を受けた生活に慣れきってしまっている」と現状を定義。

■現代社会で「学ぶ」ために必要なこと

 では、そんな世の中で、われわれが知を育んでいくには、どういった視座を持てば良いのか? 森田氏は、カスーリスのことを知るきっかけになったという著作『日本を解き放つ』(小林康夫、中島隆博著)の中での議論を踏まえて「Integrityは最初から独立して存在するものではなく、しばしばIntimacyの中から生成する。例えば数学者はIntimateに対象と関わる中でIntegralな普遍性を追求していくし、空海はIntimateに自然と一体化しようとして、『曼荼羅』というIntegralな世界を見たかもしれない」とした上で、「大学というものが発足して以来、人類は破竹の勢いでIntegralな知を生み出してきた。その知は一人が知り尽くせるものではなく、誰にも統合できず、ばらばらになってしまっている。自分はいま、コンピュータに拡張された身体を持ちながら、どうIntimateに生きていくかが重要と考えている。Intimacyに根ざして知にIntegrityを与えていくには、人間存在がコンピュータにはないローカルな『身体』を媒介し、知を血肉化する、つまり、学問を一人一人の暮らしの中で着地させることが大切」であると説明した。

 全国各地で、数学に関する活動を行っている森田氏。農家の人や学校の先生といった地域に根ざした人々と、日常の会話で学問について語り合うことをライフワークにしているのは、そういう問題意識によるのだという。つまり、象牙の塔にこもるばかりでなく、町や村を訪れ、いろいろな人と語らうことで、ばらばらになった知を自分の生活の中に着地させていくことが大切、ということだろうか。

■学問は誰かを幸せにできる?

 次に、川添氏が自己紹介を交えながら、自分の問題意識を提示していく。川添氏は九州大学大学院文学研究科博士課程で言語学を専攻した博士(文学)で、国立情報学研究所社会共有知センター特任准教授などを経て、現在作家として活躍している。川添氏は、「数学が苦手で文学部に入り、言語学研究室に入ったが、実は言語学はとても数学的な学問だと後で気付いた」と苦笑しつつ、「言語学は数学的装置を使って言葉のふるまいを説明する自然科学である」と解説。

 川添氏は、大学院の途中まではIntimateな「わかる」しか持っていなかったそうで、「権威のある人へ共感できない自分は間違いだ」と思っていたという。しかし、Integralな「わかる」に基づけば権威に依ることなく、誰の考えたことでも「その正しさを証明できるのであれば正しい」ということに気付いてから、苦労しながらも博士号を取得できたという個人的体験を紹介。その後、人工知能分野に進み、現在は研究者というよりも作家として、情報科学や言語学について理解を深めるための著作を執筆し、研究者と一般の人との間のギャップを埋める活動に注力しているという。

 川添氏は、「でも、学問は個人の幸せにどう関われるのか。知が人々の生活に貢献しているのは間違いないが、つらい思いをしている人に寄り添うことはできるのだろうか。他人と分かり合うための知が必要なのではないか」と問題提起した。

 この問いに対して森田氏は、「川添さんの作品では、つらい人に寄り添う言葉が出てきて、僕自身も救われたし、感動した。『自動人形(オートマトン)の城』などは、事実を事実として受け止める姿勢を通して、生きることを少し優しくする本。研究の中で培われたすべてが作品になり、誰かに届いて、誰かを救うだけでなく、Integralな知を描いている。本を通して(世の中の)あり方を少しずつ変えていっていると思う」と、川添氏の著作こそがまさに「誰かに寄り添える知」であると賛辞を送った。

続いて、各人の著作の話へ。

■本を作る背景にあるもの

 森田氏の著作には絵本『アリになった数学者』がある。これについて川添氏は興味津々の様子で、「とても仏教的かつ、数学的美しさを超えたちょっと常軌を逸している恐ろしい深みを感じたのですが(笑)。アリの『数』という発想はどうやって出てきたんですか?」と問いかける。すると森田氏は、「数学はどこまで普遍的なのか。人間までは普遍的なのか、それ以外の生きものでも普遍性を持つのかという疑問がある。人間とはまったく異なる身体を持つ生き物にとって数学とは何なのだろう?」という発想から出発したといい、「水滴を持つアリの写真を見たことで、人間は水滴を持つ体験をできないが、このアリは一つの水滴という体験をできる。『アリは水ではなく1を持っているのだ!』と気付き、アリはその1をどう仲間に伝えるのかと考え、絵本の主人公に決めた」と説明。

 一方の川添氏は、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』、『自動人形(オートマトン)の城』などの著作で知られる。物語の登場人物たちをどう創造するのかというと、「自分が体験したいこと」を描いており、「魔術的な、詩的な何かを感じたいし、感じてほしくて書いている」という。川添氏の著作について森田氏は「一個人は自己同一性を保たなくてはいけないような気持ちになるが、自分の中ではいろいろな主義主張が存在している。その分裂した自己を登場人物に仮託するのがうまい」と絶賛。自身も自分の中にあるさまざまな主張を、私淑する岡潔やチューリングなどの他者に託して登場させるという。確かに、さまざまな学問・主義主張を学べば学ぶほど、どの主張にも一理あるなと思い、どれか一つに絞りがたく感じるというのは、学問を進める中で多少なり感じることであるかもしれない。

■かっこいい「わからない」って?

 続いて、玄田氏が「実は今日のテーマって実は『わからない』なんじゃない?」と提起。続けて、「かっこいい『わからない』を言う人がいるが、かっこいいのとそうでないものの違いはなんだろう?」と投げかける。すると森田氏は、「子どもはいつも驚いている。たとえば、物が落ちること一つとっても、それを必然と決めつけていないから、驚くことができる。偶然の混沌の中で、習慣や知識を習得して、偶然を必然化していくのが初期の学び」であるとしつつ、「しかしながら必然と信じていたことが偶然に転落していくときに起こる。このときの『わからない』には、新しい発見の芽があり、かっこいい『わからない』に通じるのでは」と語った。

 川添氏は「『わからない』は恐怖。例えば、自分の病気がわからないのは恐怖だから。一方で、知識が増えすぎていろいろな可能性を考えてしまう、『わかりすぎる』のも恐怖なのかもしれない。だから、必然を考えすぎないで生きるのも一つの手で、『ばかの一つ覚え』もいい。ほかの可能性を考えずに、何か一つに打ち込んで成果が出たこともあるので、大事なのかな」と語った。

■「書くこと」と「コミュニティ」の意味

 続いて、「書くこと」の話へ。川添氏は、「学問はコミュニティがないと進められない。一人の天才を生むには大勢の先生や、教科書を書いた人が必要。そんな中で本を書くことがどういう意味を持つと思いますか?」と森田氏に問いかける。

 すると森田氏は「書くのは自己批判。Intimateな場で話し合うなかでいいなと思ったアイデアも、書くと整合性が取れないこともあるから。コミュニティを作らないと本当の知的興奮は得られない。同じ関心と専門性を持った人たちで切磋琢磨したらどれだけ楽しいか。しかし自分は既存のコミュニティに所属する場を見つけられなかったので、書くことで仮想的な批判者を生み、自己批判をしている」とした。

 では、川添氏にとって、本を書くとはどういう意味を持つのか。「自分にとって書くことはもともと、研究者として続けていけなくなったという消極的選択だった。自分が研究者に育つ過程では、多くの方々から貴重なことをたくさん教わったので、そういったものを本の中で披露していけたらと思っている。どれくらいうまくいってるかはわかりませんが…。書くこと自体が勉強するモチベーションでもあります」と説明。

 ここで、玄田氏からも質問が。「皆さんも気になっていることと思いますが、お二人はコミュニティに属さずに活動されている。憧れでもあり、難しいことでもあるけど、そのことをどうお考えですか?」と問いかける。

 その問いに対して森田氏は、「独立は目的ではない。フンボルトの語る理想の大学と現実の大学はとても違う。自分がありたいようにやっていたら一人になり、そして独立研究者という形になった」としつつも、「数学ライブや自分の本を通して、面白いコミュニティを全国各地に築けていると思う。新しいコミュニティを作っている手ごたえはある」と答える。

 一方の川添氏は、「自分はゆるく研究者コミュニティとつながっているつもり。人工知能の本を書いた時も、偏見を持たれやすい人工知能研究を行う現役研究者が仕事をやりやすくなるように、自分の書くものでコミュニティに貢献したいと思った」と言う。それに対し、「ゆるいつながりの方がいろいろな新しい情報が入ってきていいですもんね」と玄田氏。確かに、ひとりで学んでいるとどうしても知識が偏りがちだが、切磋琢磨するコミュニティがあると、入ってくる情報も段違いになる。登壇者の皆さんがその必要性を語ってくれたように、学びを深める上で「ゆるいコミュニティ」はかなり重要な要素であると言えるだろう。

■「噛み砕く」ってどこまでやるの?

 そして、聴衆からの質問タイムでも、やはり「わかる・わからない」ということへの疑問が挙がった。「例えば『わかりやすい入門書』というものもあるが、噛み砕いたからわかるというものではない場合もある。伝える側として、噛み砕くとはどういうことなのでしょうか?」という質問だ。これについて川添氏は、「自分の本の中では、噛み砕くために、具体例を出し、理論装置の動き方を提示して、誰にでも頑張れば追えるようにしてきた」としつつも、「例えば新聞の短い枠で、専門用語を説明するのは不可能」であると言い、「ケースバイケースで、相手のニーズに合わせた噛み砕き方がいいのかな」とした。

 一方の森田氏は、「学びは自分の考えるきっかけを得るためにすることなので、噛み砕くというのは、読者のレベルに合わせるのではなく、読者の思考が動き出すような書き方にすること。語り手が素直に感動を表現し、読み手が『もっと学びたい』と思うように刺激されるのが一番ではないか」と語る。そして玄田氏は、「誰にでもわかるように噛み砕くのは不可能。一番伝えたい人にわかるように噛み砕くのがいいですよね」と、三者三様の意見を教えてくれた。記者として仕事をしている身としては、いずれもハッとされられる答えだった。

■終わりに

日々の仕事に追われていると、職場と家の往復で、なかなか新しい交流や学びの機会を得難いもの。しかしこのイベントには、これから学び、発信することを続ける上でのヒントとなるようなエッセンスが凝縮されていた。登壇者の話に加えてさまざまな質問が飛び交う中、自分一人では出てこない視点に驚き、そこから新鮮な知的興奮を得られたのは、きっと私だけではないはず。書を読み、街に出て人と語らう大切さに気付かされた1日となった。

(取材・写真・文:織部弓槻)

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