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「楽しくお米作りのことが知れた」 都内の小学生が「ヤンマー米ギャラリー」で体験学習 創業者の生き方を学ぶ授業も

OVO [オーヴォ] / 2023年11月30日 12時58分

「ヤンマー米ギャラリー」内での展示

 ヤンマーホールディングス(HD、大阪市)は11月初旬、JR東京駅前にある支社ビル1階「ヤンマー米ギャラリー」(入場無料)に、近所の東京都中央区立城東小学校5年生計26人を招いた。コメ作りを学ぶ「総合的な学習」で、同校5年生担当の五十嵐容子教諭からの企業努力と開発ストーリーを子どもたちに話してほしいとのリクエストにヤンマーHDが協力した。

 ギャラリーの見学後、学校に戻った児童たちは、講師役のヤンマービジネスサービスのヤンマーミュージアム・マネージャー三上哲哉氏から、「創業者の山岡孫吉(やまおか・まごきち)にみる『工夫と努力』」について、35分間の特別授業を受けた。

 一連の学習後のアンケートで、児童たちからは、「楽しくお米作りのことが知れた」「農業用機械のことがよく分かった」「家などでお米を食べられるのは当たり前ではないとあらためて気づいた」などとの声が寄せられた。


▼ゲームでお米作りの知恵を学ぶ

 「ヤンマー米ギャラリー」は、東京の玄関といえるJR東京駅八重洲口側に今年1月、オープン。もともとヤンマーHDの東京支社のあった場所に建てられたオフィスと商業フロアの複合ビル「YANMAR TOKYO」(地下3階、地上14階)の1階に設けられた。
「コメ」をキーコンセプトに、全国各地のブランド米が購入できたり、お米の持ち味を生かした料理を提供したりするなど、外国人を含めた訪問客に、日本のコメの魅力を発信するのが狙いという。

 「ヤンマー米ギャラリー」は、ほぼ全面ガラス張りで、開放的な空間になっている。クリエイティブディレクターの佐藤可士和(さとう・かしわ)氏がプロデュースしたギャラリーには、大きな赤色のトラクターが展示されているほか、コメの魅力が分かる映像コンテンツ「お米のチカラ」や画面上の質問に答えることで性格が判断され、それに基づくコメの品種を学ぶ「お米の性格診断」がある。
このほか、コメ作りのさまざまな苦労や努力をゲーム形式で学んでもらおうと、6面あるマルチタッチパネルディスプレイで、サイコロの形をしたオブジェクトを使用した、「お米作りの知恵」というコーナーもある。赤いマークの付いた「問題サイコロ」を画面の上に置くと、コメ作りの際の問題点が表示される。そこへ青いマークの付いた「知恵サイコロ」を置くと解決策が表示され、組み合わせが正解なら「解決」という表示がされる。

 この日、城東小学校5年生の計26人は、A、Bの2班に分かれ、まずはA班の12人の児童たちがギャラリーに、校長の平山尚彦先生に引率されて集まった。同校は、新潟県津南町の農家の協力を得て、校舎の屋上でコメ作りをしている。平山校長は今回のヤンマーHDとの体験学習に関連し「今年は約8.25キロの収穫があり、栽培に携わった5年生が、料理実習の場で新米を食べることを予定している。子どもたちにとっても、コメ作りのいろいろな学習ができて、よい機会だと思います」と語った。

 フォトスポットであるトラクターを興味深そうに眺める児童や「お米作りの知恵」のコーナーでは、児童たちが友だちと回答までのタイムを競うなど、ギャラリーを楽しむ様子が見られた。児童の間からは「トラクターを見たことがなかったので実物を見られてよかった。お米に対する興味がさらに深まった」「ゲーム感覚で遊びながら(お米のことを)学べて面白かった」などとの反応があった。


▼「自ら動き出すこと」

 ギャラリーを見学したA班の12人は教室に戻ると、ヤンマーミュージアムの三上〝先生〟の授業が始まった。ヤンマーミュージアムは、ヤンマー創業者の山岡孫吉の生誕地である滋賀県長浜市にある施設で、「やってみよう!わくわく未来チャレンジ」をコンセプトに、体験型コンテンツを通じてチャレンジ精神を育むことができる。今回の特別授業で三上氏は、「自ら動き出す」「あきらめずに工夫する」といった孫吉のチャレンジ精神を感じるエピソードの紹介を通じ、「総合的な学習」のテーマである「工夫と努力」の大切さを伝えた。

 滋賀県長浜市の農家に生まれた孫吉は一旗揚げたいと、15歳の春、米国への海外移民を夢見た。だが、渡航の際には180円という当時は大金の保証金が必要で、それが用意できず断念。それでも、16歳のとき、大阪へ3円60銭を持って旅立った。この3円60銭は、孫吉の母が父に内緒でコメ一俵(60キロ=1年分のコメの量)を売って、換金してくれたものだった、というエピソードを伝えた。三上氏は孫吉の「自ら動き出す」ということに関連させ、「当時の大阪行きは、外国に行くのと同じくらい、大きなチャレンジだったのではないか」と児童たちに語りかけた。

 孫吉は30歳の時に「農家を楽にしたい」という思いから起業を志す決心をした。人力で石臼を回してのもみすりなど、当時重労働であった農作業を機械化させたいと考えたのだ。ガスエンジンを改造して、持ち運びができる石油エンジンに改良することができれば、ビジネスチャンスになると思い立ったという。

 ただ、ガスエンジンを基にして造った石油エンジンは、大きくて重たく、農家にとっては使いづらかった。孫吉は、より小さくて軽い石油エンジンを自分の手で開発しよう、と前に進んだ。三上氏は孫吉の「自分の手で開発しよう」という思いについて、「価値のあるものを創造して社会に役立てるメーカーになりたい」との気持ちだったと解説した。


 ここで、三上氏は、ヤンマーという社名の由来に触れる。孫吉は1912年、「山岡発動機工作所」を創業。この社名がその後、豊かな実りの象徴であるトンボの王様・オニヤンマと、山岡の名前をかけて、現社名の「ヤンマー」になったと説明すると、児童たちは「へぇー、トンボなんだ」などと驚いた様子だった。

 孫吉は44歳のころ、ドイツで開催されていた機械見本市で、ディーゼルエンジンに出合った。ディーゼルエンジンは、燃料消費が少なく、しかも事故が少ないことに驚嘆したという。しかし、機械が「大きすぎる」という課題があった。山岡は小型のディーゼルエンジンを欧州中で探したが、見つからなかった。そこで、「世界にないなら、自分で小型のディーゼルエンジンを開発しよう」と覚悟を決めた。


▼「あきらめずに工夫すること」

 ドイツから戻った孫吉は、ディーゼルエンジンの小型化に向けて、精魂を傾けた。しかし、それは困難の連続であった。大型のディーゼルエンジンをそのまま小型化して設計しただけでは、さまざまな条件が違っていたからだ。結局、一つ一つの手作業で、問題解決に挑まなければならなかった。燃料の課題もあった。価格の安い重油を燃料として使えるようにしないと、貧しい農家には商品を買ってもらえない。さすがの孫吉もあきらめかけたが、孫吉の熱意に後押しされた技術担当者の奮闘により、1933年12月23日、小型化されたディーゼルエンジンが世界で初めて開発された。三上氏は「エンジンの周りで泣いている技術担当者もいた。約1年5カ月の苦労の末、世界中で誰もできなかったことをやり遂げたのです。孫吉も一緒に涙を流しました」と、当時の様子を話し、「あきらめずに工夫する」ことの大切さを強調した。

 三上氏はここまでの孫吉の生き方を踏まえ、児童たちに、「決してあきらめないという努力は、~のことだと思います」「工夫するというのは、~のことだと思います」と、この「~」に入る言葉を考えてほしい、と問いを投げかけた。

 手を挙げた児童の一人は「決してあきらめないという努力は、『いつか返ってくる』ことだと思います」と答えた。また別の児童は「工夫するというのは、『生活を便利にすること』だと思います」と発言した。三上氏は児童たちの回答に「特定の正解はありません。皆さんの考えの数だけ正解があります」と自分たちで考える大切さを語った。

 孫吉の夢の開拓者としての生き方を紹介してきた三上氏は、授業のまとめに入った。「ヤンマーの企業文化に根付いている価値観は、人の可能性を信じ、若い世代の挑戦を後押しする文化です」と語り、その象徴としてロゴマーク「HANASAKA(ハナサカ)」を示した。
そのHANASAKAの精神の発信拠点の一つが、今回見学した「ヤンマー米ギャラリー」のある東京支社「YANMAR TOKYO」だと説明。機会があれば、またぜひ他の店舗などにも立ち寄ってほしいと呼びかけると、児童たちは小さくうなずいていた。

 最後に行われた質問コーナーでは多くの手が挙がり、授業をきっかけにヤンマーの事業について関心を示す児童もいた。学習後のアンケートでは、特別授業について、山岡孫吉の生き方に触れ、あきらめない努力は、絶対に誰かがその努力を見ているんだなと思った、との感想もあった。

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