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お見事! ロシア文学の抵抗 【沼野恭子✕リアルワールド】

OVO [オーヴォ] / 2024年8月3日 8時0分

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つい最近、衝撃的な事実が明らかになった。

 ロシアの翼賛的な愛国詩人だと思われていたゲンナジー・ラキーチンなる男が、じつは、正反対の立場、つまり反戦の活動家グループによって考案された架空の人物で、しかも、ラキーチン作と見なされていた「Z詩」(ロシアのプロパガンダ詩)が、1930〜40年代に書かれたナチ・ドイツの愛国詩をロシア語に翻訳したものだったというのである。

 ラキーチンは、モスクワ大学文学部を卒業した49歳の教師という触れこみで、2023年7月よりロシアのSNSに詩を発表しはじめた。ただし、詩の作者が誰なのかについては言及しなかった。内容は、戦意高揚、自国礼賛、指導者崇拝など。翻訳に際しては原文の「ドイツ」を「ロシア」に変えるなど、最低限の変更しかしていないという。中には、ナチ映画の中で最も反ユダヤ的だといういわく付きの映画「ユダヤ人ズュース」の脚本を手がけたエーベルハルト・メラー(1906〜1972)の「総統」というプロパガンダ詩も含まれていた。

 ラキーチンの18篇(へん)のZ詩は注目され、彼のアカウントは、ロシア連邦議会の100人もの代議員にフォローされたばかりか、全ロシア愛国詩コンクールで入賞まで果たしたというのだ。

 ラキーチンを創出したグループはあるインタビューで、「ラキーチン・プロジェクトの目的は、Z詩の読者に、自分たちが夢中になっているものはヒトラー支持者が夢中だったものとまったく同じなのだとわからせることだった」と語っているが、その目的は十分果たされたと言えよう。ウクライナへの侵攻の大義の一つは「ウクライナのナチからの解放」だったが、まんまと騙(だま)されたラキーチンのZ詩ファンたちは、自分たちの方こそナチの理念に近いことを告白したようなものである。ブラックコメディーとでも呼ぶしかない。

 「ラキーチンの愛国詩投稿」が反戦プロジェクトだったことは、この6月末に彼自身のアカウントで明かされた。そこには「これまでずっとZ詩を嘲笑してきた」と書かれていた!

 言うまでもないが、ペンネームを使ったり、架空の人物を作者に見立てたりすることは一種の文学的な仕掛けだし、パロディーや風刺はれっきとした文学手法である(ちなみに、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にラキーチンという名の複雑な性格の登場人物がいる)。今回の出来事は、極めて巧妙でインパクトの大きい、高度に文学的なプロジェクトとして、文学が政治の鼻をあかした数少ない例と言えるのではないか。これほど見事な抵抗の形があったとは!

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 31からの転載】

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

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