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【輪島の「食」を守りつなぐ作り手たち】(1) 震災に屈せず、おいしい酒を、しょうゆを、再びここから

OVO [オーヴォ] / 2024年9月4日 10時0分

(左から)白藤酒造店の白藤喜一さん、谷川醸造の谷川ご夫妻

 2024年元日、マグニチュード7.6の大地震に見舞われた石川県能登半島の輪島市。8カ月余りを経た今、傷を負いながらも、立ち上がろうとしている人たちがいる。原動力は、自らが生きる地への強い思い。「土まで優しい」と多くの人に愛されてきた風土で変わらぬ恵みをすくい取った「食」を守り、未来へとつなぐ作り手たちを紹介する。

能登の酒造り、絶やさない  <白藤酒造店>

 江戸時代の末期から酒造りを続ける白藤酒造店の9代目・白藤喜一さんと、暁子さん夫妻は、ともに大学で醸造学を学んだ、自らが杜氏(とうじ)でもある。看板商品の「奥能登の白菊」は、日本を代表する航空会社の国際線ファーストクラス提供酒にも採用されるなど高い評価を受けてきた。


 いつもどおりに仕込みを始め、新年を迎えたその日。家族で過ごしていたところに揺れが襲った。能登半島は2007年にも震度6強の地震があり、その際に補強した酒蔵は無事だったものの、床は大きくひび割れ、タンクで搾りを待つばかりだった醪(もろみ)は、おびただしく流れ出していた。

▽支援で差した一筋の光

 絶望感にさいなまれる中、一筋の光が差す。震災から間もなく、大学時代の先輩である鈴木酒造店(福島県)の鈴木大介さん、高橋庄作酒造店(同)の高橋亘さんが、福島県で酒造りを行う大学時代の先輩が、タンクを積んだトラックで駆け付けてくれた。懸命に救出した醪を石川県内の酒蔵に運んで搾り、瓶詰め。「レスキュー酒」として世に出すことができた。

 生活用水1000リットルを届けてくれた長野県の「湯川酒造店」は酒米を積んで帰り、共同醸造を提案。「能登のお酒を止めるな!」と銘打った共同醸造支援プロジェクトでは、福井県や奈良県の蔵元から協力が得られた。「最も忙しい時期の酒蔵が既存の生産計画を変え、場所を空けるのは大変なこと。本当に感謝しているし、大きな励みになっている」。喜一さんと暁子さんは今、輪島とそれら蔵元を往復する日々だ。7月には、奈良県の油長酒造の代表ブランド酒「風の森」の蔵で、井戸の硬水を使った仕込みに取り組んだ。


 一方、震災が起きた時刻で針が止まった時計がまだ残る蔵では、酒米を蒸すかまどの修復に向けた準備を始めている。「蒸し」は、酒造りで最も大事な工程の一つ。待っているお客さんのために、「たとえ少量でも、今まで以上に良いと思えるお酒をつくりたい」。来春には、輪島で仕込んだお酒を再び出すのが目標だ。


▽ここから再びおいしい酒を

 地元ではまだ宿泊施設が足りず、遠方のかまど職人が計画通り入れるかも分からない。喜一さんは、酒蔵の上階で寝泊まりしている。それでも、「おいしいお酒を造ってきた環境をこの地でもう一度整えたい」。能登の仕込み水と酒米を使った「奥能登の白菊」は、「上品な甘口、穏やかで派手すぎない香り」が特徴だ。喜一さんと暁子さんは、自分たちの酒造りを強い気持ちでつないでいる。

この地でつくる、生きる <谷川醸造>

 「この土地で生活していくのが、どこか当たり前にあるっていうか」。1904年創業の谷川醸造は、今回の地震で蔵がほぼ全壊。醤油(しょうゆ)を仕込む12の大きな木桶(きおけ)もがれきの中で野ざらしとなり、ほぼ使えなくなった。それでも、4代目の谷川貴昭さん・千穂さん夫妻は、発酵に必要な菌を懸命に救出して研究機関に保管を依頼し、壊れた木桶の修復に動く。谷川さんにとって、つくり続けることが、この地で生きることだ。


▽「いつから醤油をつくるのか」

 谷川醸造の主力商品は、1918年から作り始めた醤油。生揚(きあ)げ醤油に独自の味付けをした甘口の「サクラ醤油」は、地元の食卓で100年余りにわたって親しまれてきた。「あれがないと、ご飯がまずい」「いつから作るのか」。震災後、醤油が買えなくなり、パニックになった高齢者がいきなり訪ねてきたことも。

 石川県、富山県で他社の委託生産の協力が得られ、再び「サクラ醤油」を出荷できたのが5月。「まだか、まだかと言われ続けて。ようやく出せて、一安心しました」。輪島のスーパーで、多くの人が待ちわびた醤油を手に取った。

 一方、能登産の大豆、塩、小麦を使い木桶で熟成させる本醸造のブランド「能登のお醤油」の復活は、これからが正念場だ。木桶仕込みの醤油の生産量は国内醤油市場のわずか1%ともいわれ、木桶を作る職人も希少。木桶醤油の伝統を継承するプロジェクトを進める小豆島などが拠点の団体とも情報をやりとりし、徳島県の職人に修復を発注することができた。「いろいろな人が支援してくれて、その力に背中を押されっぱなしです」


 ただ、木桶を置く製造施設は倒壊しており、新たに建てかえる必要がある。「来年の仕込み再開を目指しているが、なんとも言えないのが正直なところ」。現地では、人手不足や手続きの煩雑さから建物の解体が進みにくい。自分の力だけではどうにもならないもどかしさと戦いながら、谷川さんは「支援してください、だけの姿勢は違うと思う」と言う。「もともと健康な人は、入院しても元気になってきたら自立して動かないといけない。土地も同じではないかと。もしかしたら、今はまだ栄養剤を点滴されている状態かもしれませんが」。必死に歩みを止めず、心持ちは堂々、悠々と進んでいく。(第2回に続く)

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