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【はばたけラボ インタビュー】はばたくためには「自分がまず発信すること」 大正大学地域創生学部の田中晴樹さん

OVO [オーヴォ] / 2024年12月11日 10時0分

若者が自ら地域活性化に関与を促す事業「YouKeyプロジェクト」での中間報告の様子

 未来世代がはばたくために何ができるかを考えるプロジェクト「はばたけラボ」。食べること、くらすこと、周りと関わること、ワクワクすること・・・。今のくらしや感覚・感性を見直していく連載シリーズ。

 兵庫県尼崎市出身で、中学までは地元で過ごした。高校は島根県の離島の高校に進学し、大学は地域創生を勉強するため東京へ。今は大学を休学し、新潟県南魚沼市で地域おこし協力隊で活躍する一方、アイランダー高校生サミット2024の実行委員長にも就任。東奔西走という言葉がぴったりの田中晴樹(たなか・はるき)さん=(22)の行動エネルギーは、「まず自分が発信し動く。もし、その場に違和感があれば、環境を変えてみる。変えたところでまた発信してみる」という発信→行動→発信→行動・・・を通じ、世界とつながりをつくっていくことだ、という。それは田中さん自身が、さまざまな他者から働きかけられて勇気をもらい、成長してきたという体験に基づくものだ。地域活性化への思い、そしてはばたきに必要なものについて聞いた。


Q.1 尼崎市から島根県の隠岐島前(おきどうぜん)高校に進学した理由は?

 当初は、高校進学に当たって、兵庫県外に出るということは、まったく考えていませんでした。しかし、中学2~3年生の時の生徒会活動でのある出来事が、隠岐島前高校への道を切り開いたようです。

 当時、東日本大震災の支援募金活動を熱心に取り組んでいたのですが、あるとき、先生から学校の方針として「活動を中止する」と突然言われました。僕自身、まったく理解できませんでした。東日本大震災からの復興も道半ばでしたし、これからはハードからソフトへの復興も必要になるだろうと、仲間と議論していただけに、ショックは大きかった。

 まだ生まれてはいませんが、尼崎市も1995年の阪神・淡路大進震災の被災地の一つです。両親は、防災関連の活動もやっており、小さい頃から自分の生活の中で「防災」というワードは大きな存在だった、と思います。

 突然、学校側の都合で「活動中止」と言われ、悔しくてたまりませんでした。自分では社会的に意義のある活動だと考えても、学校としてバックアップはできないと言われ、とてももどかしい気持ちになりました。

 そこで、進学を控えた中学3年生なりに、①「防災」を軸に自分がやりたいこと②それが社会的に意義のあること③そのやりたいことを応援、サポートしてくれる環境に身を置くことなどを条件にしたい、と考えました。それから、高校探しをする中で、親がたまたま見ていたテレビで紹介されていた隠岐島前高校について、教えてくれました。中3の夏に、隠岐島前高校のオープンスクールに参加して、先ほどの三つの条件にぴったり合うな、と進学を決めました。オープンスクールで出合った、高校と地域をつなぐコーディネーターさんに、僕が「防災活動を深めたい」と相談すると、「ここでは結構サポートできるよ」と言われ、その応援してくれる姿勢がとても魅力的に感じたからです。もちろん、親の勧めもありました。

Q .2 実際、離島の高校に進学してどうでしたか?

 高校は島外からの学生は、必ず寮に入らなければいけませんでした。その寮の中で、仲間たちと、「防災」をはじめとしたいくつもの自主的なプロジェクトにかかわることができました。とにかく楽しく、充実した3年間でした。もちろん、プロジェクトを進める上で、壁にぶち当たることも多く、人間関係を含めつらい思いもしました。ただ、あそこでのさまざまな経験を通して、自分のできること、できないこと、足りてないことなどが痛いほど分かり、その発見はつらさとともに、喜びにもつながりました。

 隠岐島前高校に進学していなければ、間違いなく、今の自分は存在していないだろうし、人前で話すこともうまくなっていなかった。バレー部にも入り、夏場はビーチバレーをやり、練習が終わったら、そのまま海に飛び込み、クールダウンするという、離島ならではの部活動もやっていました。

Q.3 高校で取り組んだプロジェクトについて教えてください。

 隠岐島前高校の先生向けに、災害時の避難所運営ゲームというワークショップをさせていただきました。災害が起きた時に、防災の拠点になるのは、地域の学校や公民館などの公共施設がなることが多く、避難所としていろんな人が殺到してくる中で、いかに避難所をより効率的により安全に運営していくかを、役場の人に協力してもらいながら、ゲームを通して学ぶものでした。

 例えば、避難所に赤ちゃんを抱えた家族が来ます、一方で、ペットを連れた人も来ました。ペットのアレルギーを持つ人も懸念されるそういう状況で、避難してきた人たちの過ごす場所として、学校のグラウンドでテントを張ってもらった方がいいのか、それとも、教室を使った方がいいのかなどを示した、カードを読み上げて、運営者として避難者を配置していくというような、シミュレーションゲームでした。

 先生たちからは、これまで真剣に考えたことがなく、とても勉強になったなどの声をいただきました。僕が住んでいた海士町は、海抜1メートル地帯のところもあり、この島に初めて住んだとき、ここに津波が来たらどうなるのかと、来たら、避難所の運営はそうするのか、と発想したのがこのプロジェクトの始まりでした。やはり、阪神・淡路大地震を体験した尼崎に住んでいて、とても防災意識が高かったことと関係しています。

 また、社会福祉協議会と連携しながら、島内のおじいちゃん、おばあちゃんを安心して東京観光に連れて行くには、どうすればいいか、という企画も取り組みました。結局は、東京行きは実現できなかったのですが、どのように、道中の安全を確保すればいいのか、行くための費用をどのように捻出するのか、などを仲間と議論しながら、取り組みました。 費用に関しては、社会福祉協議会の施設内でお祭りをやってお金稼ぎをやってはどうかなど、さまざまなアイデアがでました。


Q.4 特に苦労したことは?

 今から振り返ると、寮や高校の授業で、同時並行でさまざまなプロジェクトにかかわり、思い通りに人が動かない、進行がスケジュール通りにいかないなど、チームリーダーとして空回りしていたことがつらかったですね。それは、周りの人が悪いのではなく、部活動もしつつ、自分でキャパオーバーとなるほどの業務量を抱え込み、人とのコミュニケーションの仕方を含め、自分の能力の足りなさが一番の原因だった、と思います。

 そういう反省から、プロジェクトを進めるに当たっては、いろいろな人を巻き込んで、役割に応じて動いてもらうためには、どのようにリーダーシップを発揮すればいいか、ということに興味が出てきました。自分の理想のリーダーシップ像は、リーダーそのものが頑張ることはないのではないか、と考えるようになりました。

 キャパオーバーの自分でしたが、自分の中でやりたいなと思ったことを一歩、踏みだして実現できたという実行力は、中学生の時には経験できませんでした。やりたいと考えたことに対して飛び込んでいく、自分で一から作り上げていく、そして、人を巻き込んでいくというような経験は、失敗もあったのですが、トライしてとても価値あるもの、だったと思います。

Q.5 壁にぶち当たったとき、どうしたのですか。

 プロジェクトへの取り組みでは、すべてうまくいったわけではありません。何回も何回も失敗して、壁にぶち当たることもありました。そういうときは、隠岐島前高校と連携している公立の塾である「隠岐國学習センター」の先生や、寮のハウスマスター、そしてコーディネーターの方に、相談に乗ってもらうことが多かったです。魅力的な大人たちからは、人を紹介してもらったり、アドバイスをもらったりしていました。特にコーディネーターの方には、とても厳しく指導してもらいました。いろいろな人を紹介していただいたほか、地域との接し方、プレゼンを含めコミュケーションの仕方、コーチングの技術、プロジェクトの進め方など、今でも役に立つ、物事の見方や具体的なノウハウを教えていただきました。「防災」から始まった自分の関心は、そのコーディネーターの方との出会いによって「街づくり」「地域おこし」に移っていきました。

Q.6 それで、大正大学の地域創生学部に進んだのですね。

 そうですね、隠岐島前高校で出会ったコーディネーターの方の存在は大きかったですね。隠岐島前高校で、防災プロジェクトなどに取り組む中で、街づくりに興味が出てきました。地域のコーディネーターと言う役割は、地域の内外の人と人をつなげ、人と行政、企業をつなげ、結果として地域の活性化につなげていく、そんな仕事を自分はしたい、と思うようになりました。

 大学で学んだら尼崎市に帰るか、島に戻るか、その先はまったく考えてはなかったのですが、コーディネーターにはなりたいという思いは変わりませんでした。

 進学した大正大学地域創生学部で「地域実習」というプログラムがあり、そこで初めて新潟県南魚沼市と出合いました。大学1年生の時は、実習に行く予定が、コロナ禍で中止となり、2年生の時もオンラインでの交流でしたが、僕自身が、南魚沼市の魅力にひかれました。これまでの人生で、〝雪国〟という世界は見たことがなく、とても心が動かされました。

Q.7 それで、南魚沼市の地域おこし協力隊に応募したのですか?

 南魚沼市の魅力を、オンラインで感じるようになり、2、3年生の時に、何度も個人旅行をしたり、南魚沼市のプログラムに参加したりしていました。3年生の後半になって、そろそろ就職活動をしなければ、と少し焦り始めたのですが、一方で、コーディネーターになりたいという思いも抱えていました。ただ、職業としてのコーディネーターという役割があいまいな感じがして、具体的になにを、どうすればよいか、迷っていました。

 そんなときに、以前からお世話になっていた、南魚沼市の一般社団法人「愛・南魚沼みらい塾」の方から、「南魚沼市で地域おこし協力隊をやるから、募集をするんだけど、どう?」と言われました。この団体は、首都圏の大学と地域をつなげたり、地域の中で中学生、高校生らの若者同士をつなげたり、企業と地域をつなげたり、というような存在でした。ですので、この団体に加わることで、地域コーディネーターの役割について、実践を通して自分の勉強になるのでは、と考えました。2023年4月に協力隊に任命されました。

Q.8 地域おこし協力隊でどんな活動をしているのですか?

 先ほどの「愛・南魚沼みらい塾」で、派遣という形でさまざまな活動をしています。今取り組んでいる一つが、南魚沼市がこの団体に業務委託という形で、南魚沼市が主催する、中学生から高校生を対象とした、学校外での探究活動プログラムです。具体的には、中学、高校生の居場所となり、自分のワクワクを探究し、プロジェクトを作り上げることを全力でサポートする、「You Key プロジェクト」です。「You Key」には、あなたのカギを開くという意味と雪の意味が込められています。

 参加した中高生のサポート役には、新潟大学など県内の大学生も手伝ってもらっています。ディレクターと言われるようなポジションの人がいて、昨年は僕がそこをやらせていただきました。今年は他の学生に代わり、僕は裏方として支えさせていただいています。

 探究活動プログラムですので、中学生、高校生が何をしたいのか、何に興味があるのかなどを徹底的に引き出すことから始まります。みんなで集まって、車座集会のようなミーティングをしたり、1対1でじっくり話を聞いたりとか、します。

 中高生のホンネを聴こうとする際に、これまで教えてもらったコーチングの力が生きてきます。このほかには、総務省の「ふるさとワーキングホリデー」という事業があり、2週間地方に行き、うち1週間は働き、残りの1週間は地域の人たちとの交流体験などをします。この事業は、南魚沼市でも展開しており、その運営をやっています。


Q.9 2024年4月には、アイランダー高校生サミット2024の実行委員長にも就任しました。

 アイランダー高校生サミットは、地域の人材育成に取り組む大正大学と、全国136の離島関係市町村で組織する公益財団法人日本離島センターが共同で開催する島の高校生たちをつなぐ交流イベントです。2025年1月に都内でオンライン開催します。

 僕が離島の高校に行って感じたことは、島の中の高校生たちとの交流はしっかりとありますが、一方で、人数の規模は小さかった。今回のサミット実行委員の高校生たちからは、「今の島には高校生どころか若者は自分だけだ」とか「離島の高校生のコミュニティーがまったくなかった」などの生の声を聞きました。

 サミットの狙いは、離島という同じ境遇の人同士がかかわることで、お互いに情報交換をしたり、刺激し合ったりとする中で、つながりをつくろうとすることです。コミュケーションを通じ、自分が住んでいる島はどういう場所なのか、今後自分の島をこうしていきたいなど、このサミットに参加することで、新しく自分を変えるきっかけになってくれるような場にしたいですね。アイランダーというコミュニティーが心地いい場所になってほしい。そのためにも、多くの離島からの高校生参加者が集まってもらわないといけないので、僕らが目標に掲げている100人の達成を目指し、がんばります。

Q.10 今後の活動はどのように考えていますか?

 大学のルールで、3年連続で休学ができないため、来年春にもう1回復学の手続きを取る予定です。復学すると、前期に週1回、対面授業があるため、南魚沼市から通学することになります。そうやって、来年春以降も、南魚沼市の地域おこし協力隊として活動を続ける見通しです。

 まだ、構想中ですが、南魚沼市の協力隊の仲間たちと、街おこしの組織を立ち上げようということも考えています。

 わずか22年間の人生ですが、これまでを振り返り、まず自分が発信することが大事だと思います。自分の中でこういうことを、何かをやりたいと思っていても、自分の中にずっと心の中にあるだけですと、誰もくみ取ってくれないわけですから。

 ですから、自分からまず発信してみること。その上で発信し、それが受け入れられなかった、違和感を持った場合は、その環境から脱するというか、一歩踏み出して別の地域に行ったりとか、別の人間関係を築いたりとか、その関係を自分から変えていくことが大事だと思います。関係が変われば自分も変わるし、発信した時の相手側の受け止め方も変わってくるのではないでしょうか。

田中晴樹(たなか・はるき)/2002年生まれ。兵庫県尼崎市出身。島根県の隠岐島前高校に離島留学後、地域の創生を学ぶため大正大学に進学。地域実習で南魚沼市に惹かれ、大学を休学し地域おこし協力隊として現地で活動している。また、今年度は離島の高校生をつなぐアイランダー高校生サミット2024の実行委員長も務めている。

#はばたけラボは、日々のくらしを通じて未来世代のはばたきを応援するプロジェクトです。誰もが幸せな100年未来をともに創りあげるために、食をはじめとした「くらし」を見つめ直す機会や、くらしの中に夢中になれる楽しさ、ワクワク感を実感できる体験を提供します。そのために、パートナー企業であるキッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、雪印メグミルク、アートネイチャー、ヤンマーホールディングス、ハイセンスジャパンとともにさまざまな活動を行っています。

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