鬼気迫る凄み 【コラム 音楽の森 柴田克彦】
OVO [オーヴォ] / 2025年1月19日 12時37分
パトリツィア・コパチンスカヤというバイオリニストがいる。生まれはウクライナとルーマニアに挟まれた小国モルドバ。旧ソ連に属した歴史や地理的な観点から立ち位置は微妙だ。ただしコパチンスカヤ自身の拠点は西欧。ウィーンとスイスのベルンで学び、2000年ヘンリク・シェリング国際コンクールで優勝後は、世界的な活躍を続けている。鬼才と呼ばれる彼女の演奏は実にアグレッシブで憑依(ひょうい)した巫女(みこ)のごとし。その表現のインパクトは極めて大きい。
今回ご紹介するのは、彼女がアーティスティック・パートナーを務めるアンサンブル「カメラータ・ベルン」及び首席チェロ奏者トーマス・カウフマンと共演した「エグザイル(Exile=亡命)」である。
これは「故郷を追われた、あるいはやむなく去った人々」をテーマにしたアルバム。「永遠に根無し草だと感じている」というコパチンスカヤが自らを重ねた内容でもある。
本来ウクライナとロシアに共通する民族楽器クギクリで演奏される伝承曲「クギクリ」、旧ソ連に翻弄(ほんろう)されてドイツで亡くなったシュニトケのチェロ・ソナタ、コパチンスカヤの故郷モルドバの伝承曲「灰色の羽のカッコウよ」、ポーランドから英国に亡命したパヌフニクのバイオリンと弦楽のための協奏曲、「内的亡命者」であるシューベルトの「5つのメヌエットと6つのトリオ」第3番、帝政ロシアからパリに亡命したヴィシネグラツキーの弦楽四重奏曲第2番、ベルギーから英国や米国に渡ったイザイの「逃亡者」が並ぶ構成を見れば、コンセプトは明瞭だ。
実際聴いても、ただならぬ緊張感を湛(たた)えた濃密で迫真的な演奏が続く。「クギクリ」はリズミカルな中にも不安を漂わせ、シュニトケのソナタは何かをぶつけ何かを吐露するように奏される。モルドバの伝承曲はいびつな響きの上で歌うコパチンスカヤの澄んだ声、パヌフニクの協奏曲は彼女のシャープで張り詰めたソロが印象的。やや異質のシューベルト作品もどこか孤独を感じさせる。ヴィシネグラツキーの四重奏曲は四分音(半音と半音の間の音)の効果を生かした凄絶な表現がなされ、イザイの「逃亡者」は不穏さと望郷の念が交錯する。
コパチンスカヤはここでバイオリンのソロと室内楽、指揮、歌、編曲をこなしている。本作の妙味の1つは、その類い稀な音楽性を満喫できる点にある。だが、この内容は明らかに現世へのメッセージであり、鬼気迫る凄(すご)みが横溢(おういつ)した演奏は、音楽によるある種の提示もしくは問いかけだ。
言い換えればこれは「CD全体で1つの作品」である。そしてそれは、行き詰まり気味の録音メディアの今後への道標ともいえるだろう。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 2からの転載】
柴田 克彦(しばた・かつひこ)/音楽ライター、評論家。雑誌、コンサート・プログラム、CDブックレットなどへの寄稿のほか、講演や講座も受け持つ。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)、「1曲1分でわかる!吹奏楽編曲されているクラシック名曲集」(音楽之友社)。
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