世界と違う?日本のインクルーシブ教育の現状
パラサポWEB / 2023年2月15日 7時0分
SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」の概念、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)という言葉が広がる中で、教育という分野においても例外ではなく、インクルーシブ教育への注目が高まっている。しかし、日本ではまだインクルーシブ教育への理解は浅く、実際に教育の中へ取り入れるには多くの課題が存在している。そこでインクルーシブ教育の専門家であり、ノートルダム清心女子大学准教授の青山新吾氏に、その特長や課題について実例とともにお話を伺った。
1.インクルーシブ教育とはどんな教育か? 日本と世界の違い 2.共生社会づくりの基盤となる、インクルーシブ教育の特長 3.インクルーシブ教育の実践における課題とは? 4.インクルーシブな教育に向けて、先生一人でも実践できること
インクルーシブ発想の教育を長きに渡り研究・推進している青山新吾氏
昨今、よく耳にするようになった「インクルーシブ教育」。そもそもどのような教育なのか? まずはその基本的な考え方や、世界基準と日本の方針の相違点などについて聞いた。
――まず最初に、インクルーシブ教育とはどのようなものなのか教えてください。
青山新吾氏(以下、青山):まず日本の文部科学省が推進している「インクルーシブ教育システム」というものと、世界的にユネスコがサラマンカ宣言で出しているインクルーシブ教育の定義、方向性というものには、実はかなり違いがあります。
文部科学省が進めている「インクルーシブ教育システム」というものは、これまで行われていた特別支援教育の延長線上にあるものです。現状、障がいのある児童・生徒は特別支援学校に行くか、一般の小中学校に設置されている特別支援学級あるいは通常の学級で特別な支援を受けながら学びます。その制度・形を維持したまま、障がいのある子どもが、自身の教育的ニーズに対応する教育を受けながら、障がいのない子どもたちとできる限り共に学べるような機会を増やしていくというのが文科省の基本的な方向性です。
また、就学の基本的な考えについての法律改正も行われ、障がいの程度=行く学校が決まっているというのではなく、総合的な判断で適切な教育を受けられる場を選定できるという法律に変わりました。ただ、法律改正によって教育制度は変化してきているものの、元になる特別支援教育のシステムは大きく変わっていない状況と言えます。
――ユネスコが定義しているインクルーシブ教育はどのようなものなのですか?
青山:障がいのような特定のマイノリティだけではなく、全ての子どもたちにとって学べる教育を目指していく、それがインクルーシブ教育であるという考え方ですね。既存の教育システムに子どもを合わせるためにどう支援するかではなく、教育システム自体を子どもたちの多様性に合わせて変えていくという点で、日本のインクルーシブ教育システムと根幹の発想が違います。
また、ユネスコは理念に基づいて進めていくプロセスそのものがインクルーシブ教育だと言っています。教育の中でこれはうまくいく、いかない、これはできないということが起きますよね? それに対して常により良い方法を模索し続けていくことがインクルーシブ教育なんだという考え方は、とても重要だと思います。こういった姿勢があるからこそ、新しいことにチャレンジできますし、改革を進めていけるのではないでしょうか。
――同じインクルーシブ教育という言葉が使われていても、日本と世界とでは随分と内容に違いがある印象ですね。
青山:この点は昨今、議論が活発になっているところです。これまでの日本の制度や仕組みを大きく変えるのは、やはり簡単ではないので悩ましいところですね。
共生社会づくりの基盤となる、インクルーシブ教育の特長具体的な制度や仕組みに違いはあるものの、日本も世界も目指すところは「共生社会」だ。インクルーシブ教育(※本記事ではユネスコの定義するインクルーシブ教育の考え方に基づく)は、共生社会づくりにどのように貢献するのだろうか。その魅力について青山氏が障がいのある子どもをもつ親御さんから聞いたエピソードを交えて語ってくれた。
――現在の教育の中で、インクルーシブ教育の必要性をどういったところに感じていますか?
青山:なぜインクルーシブ教育が大切かと言われれば、「共生社会の形成基盤」と学生には言っています。もうちょっと具体的に言うと、地域の中で友達や同級生、近所の人とか、あの人を知っているという感覚、関係ってありますよね。そういう身近な人と関係性を築いていくことは、共生社会づくりの一つなのですが、そこにインクルーシブ教育が貢献していくと思います。
――具体的なエピソードはありますか?
青山:私は元々、小学校の現場にいたので教え子が多いのですが、キャリア上、知的障がいや自閉症スペクトラムのお子さんをもつ親御さんとの付き合いも多いんですね。これはその中のある親御さんに聞いた話です。
知的障がいがあるお子さんが成人して就職することができ、毎日職場に通っていました。でもある日、いつも帰ってくる時間に帰ってこず、スマホに電話やメールをしても返事がない。何か起きているのかもしれない、どうしようと考えていたら、ピンポンと家の呼び鈴が鳴ったそうです。玄関を開けたら、お子さんと二人の若い男性が立っていて、その男性が「おばちゃん、久しぶり!」と。それで「ああ!小学校のときの〇〇君と〇〇君!」と、お子さんと同級生だった子だと分かったそうなんです。でもなんで一緒にいるんだろうと聞いたところ、駅でギャーギャー騒いでいる人がいて、よくよく見てみたら小学校のときに同じクラスだった〇〇だと気づいたそうです。それで話しかけて落ち着かせ、一緒に歩いて家に連れてきてくれたということでした。
その話を聞いたときに、この若い男性のように、学校で一緒に学び、生活をしたということは後々まで活きていくんだと思ったんです。知っている人に会ったときに友達ですと言ってくれる人が、同じ地域の中にいることの意味を考えさせられたエピソードとして、この話はすごく印象に残っています。
――同じ場所で同じ時間を過ごしたことによって、自然と助け合える関係性が生まれるということですね。
青山:他者の“違い”に対する感度(他者の“違い”を受け入れられる感度)といったものに、決定的な違いが生まれる。インクルーシブ教育は、そういう感度の良さというところに繋がっていく可能性があると思っています。
インクルーシブ教育の実践における課題とは?多様性を受け入れる教育として、理想的な考えを内包しているインクルーシブ教育。ただ、現在の日本の教育の中で実践するとなると、いろいろな課題が生まれてくる。実際にどのような課題があるのだろうか。
――インクルーシブ教育を実践する上で、どのような課題が上がってきているのでしょうか?
青山:通常学級については、カリキュラムのことが大きな要因、障壁になっていると思います。具体的に言うと義務教育の場合、この学年ではこういったことを教えるという学習指導要領があり、ものすごく細かい規定があります。そのカリキュラムを遂行していくことと、いろいろな子どもがいて、学ぶスピードや理解の仕方もみんな違うということ、そこがどう相容れるか?という問題が一つ。もう一つはいわゆる“一斉授業”というスタイルであること。日本の小中学校のほとんどはこれがスタンダードだと思います。カリキュラムを合理的に確実に遂行していくためには、子どもたちが全員理解できているかはさておき、全員が履修するための方法としてはものすごく効率的だと思います。しかし、いろいろな子どもがいるという多様性と、これがどこまで相容れることができるのかという、その二つが課題として大きくありますね。
――決められたカリキュラムと一斉授業、この二つを改善していくことが、日本にインクルーシブ教育を根付かせるための課題となるのでしょうか。
青山:いわゆる学校文化、通常学級文化みたいなものがあるように思うんです。これはヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム)の話と言えるのですが、一般的に言えばみんな同じことを一斉にやりましょうという文化、同調性が強いと思うんですね。これが一人ひとりみんな違うということと、相容れないところがあります。インクルーシブ教育を進めていくときに、この昔から根付いた文化に変化を起こしていくには、先生一個人ではいかんともしがたいこと、一人ひとりの努力を越えている部分での障壁になっていることがあるんじゃないかと考えています。これまでにいろいろな先生方とお会いしてお話を伺ってきたことで、実感していることです。
――海外ではどうなのでしょうか?この時期にここまで履修しなくてはいけないなどのカリキュラムはあるのでしょうか?
青山:他国の場合、例えばアメリカですと州によって全然違うようです。イタリアの話を聞いたら、そこまで絶対的な縛りがないそうです。カリキュラムに緩やかさがあり、チャレンジ的な実践がしやすくなっているようです。そのような実践を検討したり、我が国でも可能な範囲で取り組んだりすることで、カリキュラムとインクルーシブ教育の関係性が見えてくるだろうなという印象を持っています。
インクルーシブな教育に向けて、先生一人でも実践できること
インクルーシブ教育に関心はあるものの、様々な課題を考えると実践するのは難しいのではないか?と考える先生方も多いだろう。カリキュラムや学校制度にも関わる、教育行政全体に及ぶような議論のため、先生個人では取り付く島もないように思えても無理はない。だが、大きな取り組みや改革がすぐに出来なくとも、今学校教育で学ぶ児童・生徒にインクルーシブな教育を届けるために、一人でも取り組めることはあると青山氏は語る。
――ユネスコが定義するようなインクルーシブ教育を日本で実現するには長い時間がかかりそうですが、今から、先生一人からでも、インクルーシブな教育に向けて取り組めることはあるのでしょうか? アドバイスをお願いします。
青山:目の前の子どもたちに対して、一人の教育者としてできることが確実にあると思います。そのうちの一つが違いや多様性に対して、大人として感度を上げて、いろいろなことに疑問を持ったり、子どもたちにもその疑問を投げかけてみること。諦めずに自分の範疇の中で多様性や違いの感度を上げた実践を積極的に取り入れていくといいと思います。
もう一つは授業に関して。今の学校教育の中では、教師の教えやすさという論理で授業を作っていきますが、そこの視点の転換も重要なのではないかと思います。転換というのは、教師側ではなく“学習者の視点”に立って授業や教育を作っていくということです。その視点に転換できるかどうかは、とても大きなポイントになりますね。この二つを念頭に、自分の行える範疇の中でいろいろとチャレンジしていくのがいいのではないかと思います。
――最後に、今後インクルーシブ教育は日本の教育のスタンダードになっていくと思いますか?
青山:インクルーシブ教育が日本の教育のスタンダードになるかどうかは、まずカリキュラムにしても、いろいろな教育の課題にしても、その裏に何があるか?を考えると、「社会からの要請」というものが大きく関わってくるのではないでしょうか。公教育なので、例えば経済界が公教育に何を求めているのか?ということが、その在り方に影響を与えているはずですが、そうした教育議論の視野をもっと広げなければならないと思います。日本はどの方向に向かおうとしていて、経済界の人たちはどのような人材が育ってきたらいいと思っているのか、そのためにはどのような教育が必要だと考えているのか。それがインクルーシブ教育の理念と重なるのか、重ならないのか。学校現場の関係者だけでいろいろなことを言っていても、もっと地域の方々など、一般社会を形成している方々と一緒に、これからこの国は、どのような教育を行いながら進んでいけば良いのかという議論を重ねていかない限り、インクルーシブ教育は定着していかないと思います。
例えば、学力を向上させるためにインクルーシブ教育を行うのではなくて、一人ひとりが自分らしく生きているという取り組みをしていたら、テストの点にも反映されてきた、という風になっていくのがいいのかなと。社会の中での丁寧な議論が必要だと思っています。
インクルーシブ教育の定義や方向性、日本と世界の捉え方の比較、特長や課題などを分かりやすく、興味深く語ってくれた青山氏。インクルーシブ教育が当たり前のように行われる世の中になれば、多様性を自然と受け入れ、目標としている共生社会の実現へと近づくことだろう。後編では通常学級でインクルーシブ教育を進める際の実践例やヒントについてお伺いする。
続きを読む⇓
インクルーシブ教育を通常学級で行うには?専門家に聞いた実践例やヒントを紹介
https://www.parasapo.tokyo/topics/104711PROFILE 青山新吾(あおやま・しんご)
1966年兵庫県生まれ。ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁指導課、特別支援教育課指導主事を経て現職。臨床心理士、臨床発達心理士。著書に青山氏が編集代表を務める『インクルーシブ教育ってどんな教育?』や岩瀬直樹氏との共同著書『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』、『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(すべて学事出版)ほか多数。
text by Jun Nakazawa
photo by Shutterstock
資料提供:青山新吾
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